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1.フラ令嬢

 フラ令嬢──

 人々は口々に囁いた。口元に弧を描いてクスクスと笑う。

 その中を一人の令嬢が俯きながら学園内の廊下を歩いていく。


「見て、フラ令嬢だわ。よく、外に出て来れるものよね」

「フラ令嬢に近付くなよ運気吸われるぞ」


 黒い髪に青い瞳。顔を隠すようにいつも俯いている暗い令嬢。

 彼女も昔はこうではなかった。

 公爵家の一人娘として生まれたロズリーヌ・エルフェは、幼い頃はもっと明るい女の子だった。

 笑顔が可愛い普通の女の子。

 だが、成長するにつれて彼女は変わった。ロズリーヌは、顔を隠すように髪を伸ばし人と目を合わせないように目線を下げて歩くようになった。

 まるで、人目を避け、人の目に映らないようにしようとするように。


「あははは、やめろって」


 前から複数の男子生徒の笑い声が近付いてくる。

 どうやら廊下でふざけ合っているようだ。真っ直ぐ歩けていない者もいる。

 顔は分からないが、俯いていても彼等の足元は見えていたから、ロズリーヌは嫌だなと思いながら廊下の端に寄った。


 ──わたくしの存在に気付かず、どうかそのまま行って


 廊下の端に身を寄せ出来るだけ存在を消した。

 すれ違う前に彼等の騒ぎ声が聞こえなくなった。

 ロズリーヌは両手に抱えた沢山の書類を持つ手に力が入る。


 ──だから嫌だったのに、頼まれ事なんて。


 ロズリーヌは教師から次の授業で使うからと、クラスメイト人数分の書類を教室に持って行くように言伝されて、職員室に取りに行き教師に戻っている最中だ。

 書類は思いのほか分厚いうえに多くて、両腕で下から抱え込むようにして持っている。

 周りの人達から向けられる眼差しは、侮蔑、軽蔑、嘲笑、嫌悪、不快感ばかり。

 また、陰でコソコソと陰口を言われ、嘲笑されるのだろうと身構えた。


「あれ?ロズリーヌ嬢?」


 集団の中にいた一人の男子生徒がロズリーヌに気付いて声をかけてきた。

 ロズリーヌの心臓が高鳴る。顔を見なくてもわかる、優しい声音にロズリーヌに声をかけてくれる人は一人しかいない。


「ジョナタン様…ご、ご機嫌よう」


 緊張で口ごもってしまった。恥ずかしくて更に顔を上げられないでいると、


「これ、教室に運べばいいんだよね?」


 ひょいと、両腕に持っていた書類を半分以上取って問う。

 ロズリーヌは突然のことに驚いていると、ジョナタンは来た道を引き返してロズリーヌの教室へと向かう。


「お、おい。ジョナタン」


 仲間たちが呼び止める。


「そういうわけだ。悪いが先に行っててくれ」

「先に行っててくれって……」

「これ置いたらすぐ行くから」


 ジョナタンは仲間たちに背中越しに告げてズンズンと歩みを進めた。


「あ、あの……よろしかったのですか」


 ロズリーヌが小走りにジョナタンを追いかけて問う。


「ロズリーヌ嬢一人じゃこの重さ大変だろ」

「で、ですが…ご友人達とご予定があったのではないですか?」

「ん?まあ、あるにはあるけどこんなのすぐ終わるし、仲間たちにもすぐ追いつくから大丈夫だよ」


 そう言ってジョナタンは笑う。

 伸びた前髪の隙間から見た彼の笑顔はロズリーヌには眩しかった。

 陽だまりのような笑顔が、ロズリーヌの荒んだ心を暖かいものへと変える。


「ありがとうございます」


 お礼を言うと、「おう!」とまた眩しく笑った。

 書類を教室に運び終えると彼は直ぐに仲間たちの元へと行ってしまった。


 ──好き


 ロズリーヌの胸に抱く想い。1度は封印したはずの感情が湧き出して、胸の内を抉られるようだ。


「きゃあああ」


 廊下から黄色い声が上がった。

 ロズリーヌは急いで廊下に出た。普段なら人が多い場所に出たがらないロズリーヌだが、黄色い声が何対して上げられたものか分かっていた。

 廊下の窓辺に映るのは広い中庭でボールゲーム、今でいうフットボールをして複数の男子生徒が遊んでいた。

 その中にジョナタンがいた。

 黄色い声援を送る女生徒の傍らでロズリーヌは静かに彼の活躍を見守った。

 ジョナタンがロズリーヌの方をみた。目が合ったと思ったが、それは前にいた女生徒たちも同じで、自分を見たのだとお互いに譲らない。

 そんな事知ってか知らずか、ジョナタンは満面の笑みでロズリーヌがいる方に向けて手を振った。


 ──わたくしに気付いてくれた。手を振ってくれた。


 それだけで、ロズリーヌは天にも昇る心地がした。

 ロズリーヌは、有頂天の片隅である事を思い出していた。

 数日前、父のエルフェ公爵から書斎に呼び出された。

 そこで告げられたのは、他国の王族との縁談。


「此度、オニキス王国と外交を行うこととなった」


 何でも、オニキス王国の国王は自国からではなく他国から妻を娶りたいという変わったお方らしい。

 ロズリーヌが暮らすサムエラ国の王家は代替わりして間も無い。その上、年頃の姫は既に結婚しており、新国王の娘もまだ小さい。

 本来であれば、同格の姫を嫁がせるべきなのだが、年頃の娘がいないため、王族を何人も輩出してきたエルフェ家のロズリーヌに白羽の矢が立ったというわけだ。

 サムエラ国では恋愛結婚が認められている。

 母は由緒正しき家柄の出身だが、エルフェ公爵とは恋愛の末結婚した。

 恋愛結婚をして、仲睦まじい様子を近くで見てきたロズリーヌも当然恋愛結婚をするものだと思っていた。


 ──いつか、わたくしにもお父様のような、わたくしだけの王子様が現れると思っていたのよね。


 ロズリーヌは眉根を寄せて厳しい表情で皺になるのも気にせず胸元を握った。


「無理せずとも良い。ロズリーヌには幸せになって欲しいからな」


 父は、ロズリーヌの様子を見て断っても良いのだと提示する。

 だが、そんなことをすればエルフェ公爵家の評判はガタ落ちだろう。

 周囲から非難されるかもしれない。

 大好きな家族が迫害にあうのだけは嫌だった。

 しかし、幸運にもサムエラ国で政略結婚は旧いとされ、恋愛結婚が主流であるため、ロズリーヌに想い人がいれば話は別だ。

 ロズリーヌは既にジョナタンへの恋心を自覚していた。


「お父様、期限をください」

「期限とな」

「はい。わたくしが学園を卒業するまでに恋人が出来なかった際には、その縁談こちらからオニキス国王陛下へ打診して頂けないでしょうか」

「良いのか」

「はい。それに、オニキス王国へ嫁ぐことになっても、陛下の寵愛は受けられずとも幸せには暮らせると思いますわ」


 王家との婚姻だ。少なくとも悪いようにはされないだろうし、生涯安泰の玉の輿だ。


「だ、だが。我がサムエラ国以外の周辺諸国では年々気温が上昇し、乾燥地帯が増え不作が続いているというではないか」

「大丈夫ですわ、お父様。それに、その為の縁談では無いのですか?」


 昨今、サムエラ国以外の国々では不作の日々が続いていた。

 要因は、年々上昇し続ける気候だ。

 晴天が続き、雨が降る日が極端に少ない。水も涸れ、乾燥地帯が増えているという。

 オニキス王国もその被害の一国だ。此度、唯一不作に困らないサムエラ国と外交を行い、縁談を持ちかけ懇意にしようというのだ。

 娘を心配する父に、ロズリーヌはそれに──と続けた。


「わたくしが卒業するまでに、いい殿方と恋人になれば他国に嫁ぐ心配もありませんもの」


 ロズリーヌは父を安心させるようにしっとりとした笑顔を向けた。


「それもそうだな。……いや、だが考えようによってはロズリーヌはこの国から出た方が幸せになれるのでは?」


 ロズリーヌの説得に頷きかけたエルフェ公爵だが、眉宇を引き締め両肘を机について考え込む。


「いやいや、王族と言えど何処の馬の骨ともしれん他国に嫁に出すより、我が領地の中で婿を探せば……」


 ──確かに、オニキス王国の国王という以外素性の知らない相手だけど、馬の骨って……お父様


 ブツブツと呟く父の言葉に思わず苦笑してしまう。

 だが、父が心配して言っていることはロズリーヌにはよく分かっていた。

 エルフェ公爵は自国を治めるサムエラ国の王族を快く思っていない。

 それは、王族がロズリーヌを虐げたとも取れる言動をしたからであった。

 そのうえ、明るかったロズリーヌが変わってしまった原因も理解していた。その為、自国にいるより、国を出た方がロズリーヌの為にも良いのでは無いかと一瞬思ったのだ。

 ロズリーヌは幼少の頃から周囲から白い目で見られてきた。他国に嫁いでも良いと了承したのは、家のためとこの国から出られるのならばと言う気持ちも僅かにあった。

 だが、ロズリーヌには今想い人がいる。感触はまあまあだと思う。寧ろ、好感触ではないかとすら思う時もあった。

 ジョナタンに想いを告げ、両思いになれた暁には周りの白い目など気にならないと思える程にジョナタンに恋していた。


 ──1度は、諦めかけた恋愛。だけど、ジョナタン様が再び恋する気持ちを思い出させてくれた。


 誰にでも優しいジョナタン。周りから疎まれているロズリーヌに唯一声をかけて笑いかけてくれる人。

 一人寂しい心に光をもたらしてくれた人物。好きにならないわけがなかった。

 ロズリーヌとジョナタンは最高学年でもうすぐ卒業だ。

 ロズリーヌは卒業する前にジョナタンに思いの丈をぶつけようと決意した。

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