44.彼女の腹の底
志賀は言葉遣いこそ丁寧だが、歓待ムードではなさそうだった。
俺の部屋にいることを知られたらまずいという認識があるからだろうか。いや、であればこうして堂々と出迎えるなんてしなかったはずだ。代わりに俺が出て、志賀は部屋のどこかに隠れておく――そんな風にやり過ごす方法もなかったわけではないのだから。
とにもかくにも。
こうなっては冴姫さんも長居しないだろうし、志賀もそれを望まないだろうと俺は考えていた。少なくとも冴姫さんを中に通し、お見舞いの礼にお茶でも出すとか、そういう時間は望むべくもないかに思われた。
が、この意味不明な玄関先での攻防は、冴姫さんからの手土産によって和平となった。
「途中でケーキを買ってきたの。コンビニのだけど、多めに買っているから志賀さんもどうかしら」
「それは、いただきます。どうぞ中へ」
いただくのかよ。ていうかお前の家かここは。
などと突っ込む余裕が今の俺にあるはずもなく、志賀に主導権を握られたまま冴姫さんを部屋の中まで通すこととなった。
冴姫さんがこのアパートの近くまで来たことはたまにあったが、実際に部屋の中まで上がってもらったのは初めてだった。
本来なら僥倖の場面だが、この日に限っては情けないという自己嫌悪が頭の中を満たしていた。部屋は普段より散らかっていなかったが、それは看病の合間に志賀が掃除していてくれたからだ。ほかにも、冴姫さんが買ってきてくれたケーキに合うコーヒーもカップも、準備をしたのはすべて志賀だ。
病み上がりの俺はなにもできなかった。というか、そもそも俺の部屋にコーヒーの買い置きなんて用意していないし、来客用のカップだってない。
俺一人では冴姫さんを満足にもてなすことなどできなかっただろう――そう考えると、いかに自分の生活が独りよがりなものか思い知らされる。
「先輩、なんだかずっとぼんやりでしたね」
冴姫さんが帰ったあと、志賀は当然のようにカップなどを片づけを始めていた。
「せっかく元部長さんがお見舞いに来て、部屋の中にまで上がってきたのに。チャンスだとか思わなかったんですか?」
「……そんな状況じゃなかっただろ。俺は病み上がりだし、それに」
「あたしがいるから、ですか? 先輩が本気なら、二人きりにしてあげるくらいの気遣いはできましたよ」
働き者の給仕のようにきびきびとカップを運んでいく志賀の後ろ姿を見て、俺の口から重たい溜め息がこぼれる。
「改めて、お前がなにをしたいのかよく分からなくなってきたぞ」
「はい?」
「俺は、自分が人から好かれるような人間だとは思っていない。特に女子からは……いや、やっぱり男女は問わずだが、つまらないとか嫌なやつだって思われている自覚はある。だから最初は、お前からもからかわれているのだとばかり思っていた。たちの悪いいたずらみたいだって」
「こんなに尽くしてもらってそれは、中々凄い感覚ですねぇ。ひどいとも言えますけど」
「ああ、その通りだ。単なるからかいにしては、お前は頑張り過ぎている。まるで……好きな相手に対して、やっているみたいに」
台所で振り返った志賀は、不思議そうな顔をしていた。
「もしそうだったら、先輩はなにがそんなに疑問なんですか」
「分かってるはずだろ。俺がずっと言ってきたことだ」
「ふふっ、それもそうですね。先輩のことが好きだとしたら、どうして元部長さんとの恋路を応援しようとするのか……いえ、それとももっと根っこ部分かもですね。先輩にとっての疑問って」
なにもかも分かっていそうな――けれど、腹の底がなに一つ分かりそうもない不敵な笑みが、志賀の顔に張りついていた。




