36.はじめてのお泊まり
もう夜も更け切っていた。
就寝時間にはまだ少し早いが、病体ではできることも限られる。
「集団宿泊ってボート漕ぎとかあるんですよね。なんか大変そう。先輩は去年どんな感じだったんですか?」
一人きりならもう寝てしまってもよかったのだが、例によって志賀は帰ろうとしない。
『集団宿泊のしおり』という、彼女にとってはもはや不要になった冊子をぱらぱらめくりながら話しかけてくる。努めて話題を絶やさないよう気を遣っているかのように。
「お前、いつまでいるつもりなんだ」
「はい?」
「もう夜の十時だぞ。普段でもさすがに帰ってる時間だろ」
「え、今日くらいは付きっ切りの看病って認識でしたけど」
なぜか不思議そうな顔だが、どう考えてもそれは共通認識ではない。
「付きっ切りって、まさかここに泊まるつもりか」
「そうなりますね。あ、大丈夫ですよ。先輩が寝たらあたしもちゃんと寝ますので」
「どこで」
「ここで」
俺が寝ている布団の隣、畳の上を指差す志賀。
病気は違った意味でめまいがしそうだった。横になっているのに、だ。
「少しは自覚を持ったらどうなんだ。俺とお前は同年代の男女なんだぞ」
「そんな自覚、出会った時からありますけど」
「だったら普通ありえないだろ。うら若き男女が同じ部屋で寝泊まりなんて」
「ふふっ、うら若きって。同年代の男子が使う言葉じゃないですよ、それ」
言ってしまって俺も同感だったが、この際どうでもいい。
「付き合ってるとかならともかく、俺たちはただの先輩後輩なんだぞ」
「関係性なんて関係ないと思います、ってなんか変な言い方ですけど」
「大ありだろ。というか、たとえ付き合ってたとしても、高校生で同じ部屋に寝泊まりなんて……」
「先輩、そういうとこ結構気にするんですね。そんなに女の子が同じ部屋に泊まることが大事ですか?」
「俺がとかじゃなく、一般論ではな。不健全と思われかねない」
「じゃあなにも問題ないです。先輩に限って、不健全なことになるとは思えないですし」
それはそうだ。そもそも今の俺は病気なのだから。
俗にいう、変な気を起こすとか、そういう状態にはない。
「それに先輩だって、あたしが帰っちゃったら寂しい夜になると思うんですよ」
「その自己評価の高さはどこから湧いてくるんだ……」
「だって、ほとんど一日中寝てるわけじゃないですか。いくら具合悪くても、これじゃ今から寝つくのも難しいと思うんです。こんな早い時間から眠れるとは思えません」
それは志賀の言う通りな気がした。
実際のところ、まだ眠れそうな気配はない。全体的にぼんやりとだるい感じはあり、いつものように本を読んで暇を潰そうという気にもなれず、かといって眠気も生まれないのであれば確かに辛いかもしれない。志賀はその辛さを想像して『寂しい』と形容したのだろう。
「だから、俺が寝るまで付き添ってくれるってわけか」
「はい、もちろん」
「だとしたら泊まる必要はないだろ。俺が寝たらさっさと部屋に帰ればいい」
「そんな寂しいこと言わないでくださいよぉ。先輩がしたいこと、あたしがなんでもしてあげますから」
じゃあ帰ってくれ、なんて願っても堂々巡りになるのは分かり切ったことだ。
というか、『寂しい』の対象がすり替わってないだろうか。
「たとえばですけど、あたしが先輩の代わりに本を読んであげるというのはどうですか?」
「代わりにって、読み聞かせるってことか」
「ですですっ。先輩、今の状態だと読むのもきついと思うんですけど、あたしが聞かせる分には大丈夫じゃないかなぁって」
「それはまあ、有難くないこともないが……」
思わず本音がこぼれる。
なにせ今日一日、まったく本を読んでいない。こんなことはここ数年なかったことだ。
活字を読むのが辛い状態が、読書欲が湧かないわけではない。むしろ苦しいくらいに本を求めている自分がいる。
「でもな、志賀。ここにあるのは絵本じゃなく小説ばかりだ」
「それがどうしたんですか?」
「難しいだろ、読み聞かせなんて。特に今ここにある小説なんて」
「ふっふっふっ、見くびってもらっては困りますね先輩。こう見えてもあたしは漢検六級を持ってるんです」
確か小学五年生レベルである。誇れるものではない。
「なんでそんな中途半端なんだ。たとえば小学生まで漢検受けてたとかなら、普通は五級まで持ってるものだろ」
「五級は強敵でした。当時のあたしには……」
格好よく言ってるが、つまり落ちたのか。余計誇れることではない。




