110 陰謀の影
「おい、これに見覚えがあるな?」
「そ、それは……?」
「おめえが渡してきたレシピだよ!」
敵情視察のために孤児院の近くに来てみると、何やら男の怒鳴り声が耳に入った。
孤児院の敷地をぐるりと囲む石壁の向こうから聞こえるようだ。無視も出来ず、俺たちは入り口からコッソリと敷地を覗いてみる。
「このレシピ、見覚えがねーとは言わせんぞ?」
「わ、わかりますよ? でも、それを渡せばもう手を引いてくれるっていう約束だったじゃないですか」
「俺はテメーらがコンテストで販売するスープのレシピを渡せっていったよな?」
「だ、だから渡したじゃないですか?」
単なる金銭トラブルとか地上げじゃないみたいだな。レシピとか言ってるし。コンテスト絡みか?
怒鳴っているのは、いかにもチンピラ風の厳つい男だった。
対して、子供たちを背後に庇って男と対峙しているのは、ローブのような服を着込んだ少々痩せ気味の中年の女性だ。
「こんな、少々とか適量ばかりの不完全なレシピで誤魔化されると本気で思ってんのか?」
「いえ、でも、普段から計量なんかしてないし……」
「はあ? そんなわけあるか! 適当に調味料ぶち込んだだけのクズ野菜スープで、予選突破できるわきゃねーだろうが!」
「でも、本当に普段から調味料の量なんか測ってないんですぅ!」
男がヒラヒラさせている小さい紙きれは、噂の孤児院特製スープのレシピらしい。何らかの手段――まあ、あまり穏便な感じではないが――を用いて手に入れたレシピが不完全だと怒っているみたいだな。男の言葉通り、適量とか少々ばかりだったら不完全と言うのも分かる。
ただ問題なのは、言い訳をしている女性が全く嘘をついていないという事だった。
本当に普段から計量をしていないらしい。それで、昨年度4位の味が出せるっていうのか? 興味あるんだが。
鑑定してみると、この女性――イオさんは凄かった。なんと、料理Lv9、鋭敏味覚、食神の加護、というスキルを持っている。本気で料理の神様に愛されてるじゃねーか。
この人にとって、適量とか少々っていうのは、その時その時の最適な分量っていう意味なんじゃないか? それをフィーリングで行えるからこその適量であり、少々なんだろう。その結果、その材料で出せる最高の味を出せて、安い材料でも凄まじく美味くなるのだ。
だが、男はそんなこと分かっていない。
「意味不明なこといってんじゃねーぞ!」
「ひぃぃぃぃ!」
まあ、こうなるよな。
(師匠、助ける)
『あまり手荒にするなよ?』
(ん、分かった)
そして、フランが飛び出した。音を殺し、一瞬で男との距離を詰める。背後から忍び寄ったフランには全く気付いてないな。
「いいか――がっ!」
フランの蹴りが男の後頭部を撃ち抜く。1発で意識を狩りとられた男が、白目をむいて前のめりに倒れ伏す。
あっれー? 手荒にするなって言ったら、分かったとか言ってたか? 言ってたよな?
『フランさん? 手荒だけど?』
(? 殺してない。斬ってもいないよ?)
手荒の定義って何だったっけ? まあ、やっちまった物は仕方がない。とりあえず男は寝かせておくか。
「どど、どなたか知りませんが、ありがとうございます!」
しきりに頭を下げて礼を言ってくるイオさんを宥めて、何があったのか事情を聴いてみた。
「我々にも何が何だか……」
まだイオさんも混乱しているようだな。それでも辛抱強く話を聞くと、なんとか事のあらましが理解できた。
バルボラ孤児院はここ数年、領主からの援助を打ち切られてしまい、金策に走っていたようだ。元々お金がある訳ではなかったが、それからは日々食事ができるだけでもありがたいという有様。
領主に訴えたのだが、取り上げてはもらえなかったらしい。そこに、領主の紹介だと言う商人が現れた。安い金利で金を貸してくれるという話だったので金を借りたそうなのだが……。
「返済期日が異常に厳しかったんです。半年で30万ゴルドなんて無理に決まってますぅ。でも、待ってほしいって頼みに行こうにも、どこにいるのか分からないらしくて」
「? どこにいるのかわからない?」
「はい、院長が手を尽くして行方を探しても、見つからないらしくて。どうやらバルボラで登録している商人さんじゃないようなんです」
うーむ。きな臭い。というか、完全にブラックじゃね? 金に困っている相手に低金利をうたって近づき、直ぐに返済を迫る。下手したら借用書の内容を改ざんするくらいはしてるかもな。そして、返せないなら、他の物をいただく。
ちょっと変なのは、要求がスープのレシピってところだが。普通は土地とか、子供の身柄とかじゃないか?
「あのチンピラは、その商人の部下?」
「はい。返済を半年待つ代わりに、レシピを渡せって」
やはりコンテスト絡みの不正か? だとしたら、かなり事前から仕込まないといけないが。しかも、30万ゴルドも使って。いや、かかっている経費はもっと多いだろう。
そこまでして、得るのはレシピだけとは思えないが。出場を取りやめろとか、そう言う要求もないみたいだし。
やっぱりよく分からないな。男から話を聞きたいところだが、下手に暴力沙汰にすると孤児院にも迷惑掛かるだろう。
それに、直接俺たちに何かされた訳じゃないし。自分たちで首突っ込んで、変な裏組織と敵対することになってもつまらない。
(師匠、この男どうする?)
『うーん。仕方ない、このまま放置は寝覚めが悪いし、ちょっと小細工するか』
(ん!)
こうなると、フランの姿を見られていないのは好都合かもしれなかった。色々やりようがあるからな。
『じゃあ、手筈通りにな』
「ん。ヒール」
「う?」
「目覚めた?」
「あ? 俺は一体……」
「話の途中に急に倒れた」
「俺がか?」
「ん。私は偶然通りかかった冒険者。たまたま回復魔法が使えたから、助けてみた」
そう、男が倒れたことに俺たちは無関係ですよ作戦。むしろ、助けてやったんだと恩を売るのだ。
「そうか、面倒掛けたな」
「急に倒れるのは、ヤバい病気の兆候。会話中に倒れて意識を失うのは、末期かも知れない」
「な、なに? まじか?」
「ん。今日はもう帰って、休んだ方がいい」
「そ、そうだな」
「そうした方がいい」
「お、おい。今日はもう帰ってやる。ま、また来るからな!」
虚言の理は俺自身の言葉じゃなくても、俺の装備者であるフランの言葉に乗せるイメージでも発動できるみたいだな。
寝起きの混乱と相まって、男はフランの大根演技をあっさり信じたようだ。孤児院の面々に啖呵を切ると、這う這うの体で退散していった。
『ウルシ、あとをつけろ』
(グル)
これで正体不明の金貸しの相手が分かればラッキー。ダメでも、ウルシが男やその仲間の匂いを覚えることが出来れば、コンテスト中は警戒することができるし。どっちに転んでも損はない。
5分後。
「今日はありがとうございました。あの、本当にこんな物で良いのですか?」
「ん」
フランは孤児院の中でもてなされていた。何もお礼ができないと申し訳なさげなイオさんに、スープを飲ませてもらえないか頼んでみたら、あっさりオーケーが出たのだ。
「いただきます」
本人たちにしたら、クズ野菜で作った質素なスープでしかないらしく、しきりに恐縮しているな。だが、その美味さはフランの反応を見ていれば分かる。
『どうだ?』
悔し気に唸るフランに尋ねる。
(おいしい)
『俺のスープよりも?』
(ん……。野菜のだしが絶妙。奇跡)
それは凄いな。他の店と違って、このスープの材料は、井戸水、クズ野菜、塩、以上だ。胡椒さえ使っていない。フランが質問したので間違いない。それで、俺のスープ以上の味を出すとか、マジで凄い。下手したらバルボラで1番料理の腕が立つのって、この人なんじゃ……。
「コンテストには出るの?」
「はい。出ますよ」
「このスープで?」
「ええ。皆さん優しい方ばかりで。うちの窮状を知っているので、10ゴルドもするのに買って行って下さるんですよ。有り難いことです。毎年、このコンテストのお陰で1年暮らせるようなものですから」
自己評価が低いせいで、皆が同情でスープを買ってくれてると思ってるみたいだな。いや、実際は同情票もあるんだろうが、フランが驚くレベルの美味さだったらそんな物無くても十分売れるだろう。
でも、そうか、10ゴルドか。うちのカレーパンと同じ値段だが、こっちのスープの方がはるかに利益率が良い。なにせ、1杯1ゴルドかかっているかどうかも怪しいし。これは、昨年4位は伊達じゃないかもな。
飲み終わったスープ皿を、子供が下げてくれる。かなり痩せ気味の、そばかす少女だ。その時に、少女が小さいお皿を出してくれた。上にはクッキーが1枚だけ載っているな。
「これは?」
「私のオヤツ。でも、お姉ちゃんにあげる。先生を助けてくれたお礼」
そばかす少女ははにかみながら、クッキーを勧めてくれる。自分だって食べたいだろうに……。
ええ娘や! うちのフランが1番だけど、この娘もええ娘や!
フランはクッキーを女の子と半分ずつ食べ、その頭を撫でてやっている。普段は子供扱いばかりだからな。自分より年下の子供相手にお姉さんぶれるのが嬉しいみたいだ。
領主め、許せん。こんな良い人たちばかりの孤児院を見捨てて、資金援助を打ち切るなんて!
『あの人に連絡しよう』
(ん、賛成)
ギルドを通じれば、他の支部にメッセージを送れる。それを使えば、アレッサにメッセージを飛ばせるはずだった。
「アマンダならきっと黙ってない」
『俺たちは、俺達にできることをするか』
とりあえず孤児院を去る際に、以前アレッサやダーズで買い込んだ食材を置いてきた。穀物類とか芋類、干し魚や干し肉などの長持ちする奴ばかりだ。そんなに大量じゃないけど、少しは食事が改善されると良いんだけどな。




