番外編 一 ノア、ヒロインになる
※最終話から二か月後くらいのお話です。
ノアさん視点でお届けいたします。
変ではないでしょうか。
料理が詰められた瓶を覗き込むふりをして、ガラスに映り込んだ自分の前髪をチョイチョイと整える。
わたくしの待ち人、マリーチ様はまだ時間がかかっているのか、中々ガストリエから出てこない。
竜神様のお誕生日と結婚式も無事に終わり、次はヴィティさんのお誕生日。まだもう少し先だが、もちろんあのマリーチ様がそれを待てるはずもなく。早々に準備が始まったのだ。
マリーチ様がガストリエに長居する理由も理解できる。……が、少し遅すぎやしないだろうか。きっと、ヴィティさんへのプレゼントを考えあぐねているのだろう。分かっていても、やはりあの溺愛ぶりにはモヤモヤしてしまう。
ため息をつきかけたところで、
「お待たせ」
と声を掛けられた。
少しだけ申し訳ないような、だが、どこか余裕のある穏やかな笑みを向けられて、なんともずるいお人だ、とわたくしはため息を飲みこむ。
「いえ。わたくしも、お誕生日にお出しするお料理を何にしようか、と色々なお料理を見ておりましたから。ちょうど良かったです」
嘘はついていない。正確にいえば、料理が詰められた瓶かもしれないけれど、視界にはきちんとその料理だって目に入っていたわけだし。
わたくしの答えに、マリーチ様は柔らかに目を細めて「ノアの気遣いには、助けられてばかりだね」と相槌を打つ。全てを見透かしたようなマリーチ様の返事に、わたくしがますます気を遣っているのだ、ということも、マリーチ様は知っているくせに。
「そうだ、ノア。これ」
マリーチ様は麻袋の中から、手のひらサイズのタルトを取り出してわたくしの方へと差し出した。
「えっと……?」
「お待たせしたお詫び。ここのは美味しいよ」
マリーチ様からの好意を受け取らない、なんて選択肢はない。
「よろしいのですか?」
一応、遠慮の意味も込めて確認したが、マリーチ様は「どうぞ」と素直にうなずいた。
「ヴィティには内緒ね」
「え?」
「ノアと俺の分しか買ってないからさ」
ニコリ、と微笑んだ直後、マリーチ様は二人分のうちの一つをヒョイと口へほうり込む。
「皆の分をお土産に買って帰ろうと思ったんだけど、売り切れでね。最後の二つだったってわけ。だったら、内緒で俺たちが食べたほうが喧嘩にもならないし」
どこか子供っぽいいたずらな表情で、口の周りについたタルトの欠片を指でぬぐったマリーチ様の、その妖艶さといったら。
わたくしは思わずいただいたばかりのタルトを落としそうになってしまって、慌ててもう一方の手でそれを阻止する。
「ノアも、甘いものは好きだろう」
綺麗なマスカット色の瞳が、わたくしだけを捉える。
そんな話をマリーチ様にしたことがあっただろうか。幼いころにはあったかもしれないが、わたくしの記憶をたどる限りでは覚えがない。
「マリーチ様に、そう、お伝えしたことがありましたでしょうか」
チラと彼の反応を窺えば、マリーチ様はいいやと首を横に振る。ではなぜ。
「なくても分かるよ。ノアのことは、小さなころからよく見ているから」
「……っ⁉」
「落としてしまうよ。ほら、口を開けて」
わたくしの動揺に気付いたのか、マリーチ様はわたくしの手からタルトをヒョイと取り上げると、ほら、と今度はわたくしの口の前へとそれを差し出す。
(これは、あーん、というやつなのでは⁉)
おそらく、マリーチ様は溺愛なされているヴィティさんとわたくしを重ねているのだ。ヴィティさんはすでに、竜神様の妻となられてしまったけれど、マリーチ様の中ではずっと妹であることに変わりはない。
ただ、さすがに妹とはいえ人妻にベタベタとするのははばかられるのだろう。竜騎士であるマリーチ様は、主様のご機嫌を損ねることも本望ではないだろうし。
「自分で、食べられます」
本当は食べさせてもらいたい! でも!
わたくしが必死に表情筋を固め、真顔を作っても、マリーチ様は意にも介さず
「そう? でも、なんだかぎこちがないし……見てるこっちが心配になっちゃうくらいだからね。たまには、ノアも甘えていいんじゃないかな?」
と優しく微笑むばかり。
この天然人たらしの悪魔め。わたくしの気持ちを知っておきながら弄ぶなんて。
だが、嫌いにはなれないのだ。昔から、ずっとお側にいて、ずっとわたくしの王子様なのだから。
「昔は、兄妹みたいに遊んでたこともあったのに」
「わたくしは、マリーチ様の兄妹ではありませんから……」
「そうだね、俺の妹はヴィティだし。ノアは、妹みたいなもの。妹じゃない」
「ですから、このようなことは……」
「妹じゃないから、こうやって触れ合っていけば、愛し合えるかもしれないよ?」
あ、この顔だ。いたずらに、人を惑わす悪魔の笑み。これまでに竜騎士として数多の乙女をたぶらかしてきた性悪な男の顔。
でも、そんなところでさえ、好きになってしまったわたくしには拒否できるものではなく。それがまた憎たらしいとも思う。
「ほら、あーん」
半ば強制的に『あーんイベント』が始まってしまった、とわたくしは唇を噛みしめる。完全にヒロインの立ち位置である。
こんなチャンスはもう二度と来ないかもしれない。そう思うと、逃すわけにもいかなくて……。
わたくしノア、僭越ながら、いただきます!
「あ、あーん……」
わたくしが目をつぶって口を開けると、優しいタルトの卵の香りがふわりと鼻腔をくすぐった。
そのまま咀嚼すると、卵本来の濃厚な甘みとチーズのようなクリームの優しい味わいが口いっぱいに広がる。
しばらくその幸せの味を楽しんで、マリーチ様がやけに静かだな、と目を開くと、なぜか顔を赤く染めて、固まっているマリーチ様のお顔があって。
「……え、っと」
マリーチ様から始めたくせに、恥ずかしがられてはこちらがもっと恥ずかしくなる。
なんですか、と必死の形相で睨みつけると、マリーチ様の視線が虚空をさまよった。
「まさか、本当にしてくれるとは、思わなくて……その……」
ノアって、可愛い、よね。
口元を手で覆ってしまったマリーチ様の口からくぐもって聞こえたその声に、わたくしの渾身のポーカーフェイスも見事に打ち砕かれてしまった。
番外編もお手に取ってくださり、本当にありがとうございます!
番外編その二は、ヴィティとフィグ様のお話です。
良ければ、引き続き、お楽しみくださいませ*




