最終話 ヴィティ、結婚する
フィグ様の『面倒だ』という鶴の一声ならぬ竜の一声によって、結婚式はつつましやかに行われることとなった。
てっきり、また王城だなんだと騒ぎになることを覚悟していた私にとっては朗報である。
もしかしたら、ノアさんもこれを見越して「準備なら大丈夫ですから」と言い張っていたのかもしれない。
結局、お兄ちゃんもノアさんに説得されたのか、最終的には折れて……本日も、大号泣の真っただ中。
結婚する私へのお手紙を読んでくれているのは嬉しいのだが、残念ながら、あまりの号泣ぶりに内容はまったく分からない。
あとでじっくり読ませてもらうことにしよう。
そんなお兄ちゃんを生温く見守るのは、近くの村からお祝いに駆け付けてくれた村長さんや私がお世話になった村人たち、ベル家の人たち、元竜騎士様たち、ツェルトの仕立て屋さん……などなど。なんだかんだ結構な人が来てくださった。
賑やかではあるものの、お堅くもなく、謎の儀式もなくて、私もすっかりリラックスモードだ。フィグ様にいたっては、お兄ちゃんのスピーチにすっかり飽きてしまっているのか、グビグビとお酒を飲み続けている。
「フィグ様、あんまり飲み過ぎないでくださいよ」
私がこそっと耳打ちすると、フィグ様は分かっている、と上機嫌にうなずいた。あ、これ、絶対分かってないな。
「ノアさんに言いつけますよ」
『……やめろ』
ノアさんともずいぶん仲良くなったんじゃないかと思っていたけれど、どうやらそれは間違いだったようだ。フィグ様の顔が一気に真顔になり、グラスをそっと机の上に戻したところを見るに、ノアさん恐怖症に近いものがあるのかもしれない。
『それにしても、あいつは何を言っているんだ。グルゲン語か?』
「ヴォヌール語ですけど、私にも分かりません」
『貴様の兄だろう』
「そうですけど。お兄ちゃん、たまに意味わからない時あるんで……」
「そこ! お兄ちゃんの! 愛の手紙を!」
涙で顔がぐしゃぐしゃなお兄ちゃんにビシリと二人そろって指をさされ、私たちは肩をすくめる。フィグ様は、もはや相手にする気にもなれないのか、私の髪をくるくるといじって遊ぶことにしたみたい。
お兄ちゃんの長すぎる手紙の朗読がしばらく続くと
「以上、マリーチ様によるお手紙でした」
空気を察する天才女神ノアさんが、お兄ちゃんを強制退場させた。竜騎士様たちには大うけだったようで、ドッと笑いが起こる。
神様が神に愛を誓うのは変だろう、ということで神父様もいなければ、結婚式を取りまとめて進行するような人もいない。
変わった結婚式だが、私たちにはこれくらいでちょうど良い気がする。
穏やかなみんなの笑顔を見つめていると、隣からクイクイと腕を引かれた。
『おい、いつになったら始まるんだ』
「何がです?」
『誓いの儀だ』
なんだそれは。全く聞いていない。私が首をかしげたと同時、先ほどまでお兄ちゃんが立っていた場所へとノアさんが歩みでた。
「お集りの皆さま。改めまして、本日はようこそお越しくださいました。主様、ならびに、奥様に代わり、わたくしノア・スリーズが僭越ながらお礼申し上げます」
凛とよく通る声は、簡単に人々の心を掴む。みんなの視線が、ノアさんへと吸い寄せられた。
「そして、この良き日にご結婚をなされるお二人に、心よりお祝い申し上げます」
ノアさんの完璧なお辞儀に、自然と拍手が起こる。そして、ノアさんに向けられていた視線が一斉に私たちの方へと向けられ、私の鼓動がほんの少し速まった。
(何これ……! ノアさん⁉ ちょっとまって、どういうこと⁉)
フィグ様とノアさんを交互に見つめると、ノアさんが一瞬、可愛らしい笑みを発動し、ますます私は混乱してしまう。
「突然ではございますが、ここで、誓いの儀を行います」
私が「え」と思わず声をもらすと、隣でフィグ様がゆっくりと立ち上がる。
「ヴィティさんも、前へ」
フィグ様に手を差しのべられては、ノアさんの言葉に従わざるを得ない。
(そもそも、みんなどうして当たり前の顔をしてるの⁉ 誓いの儀ってなんなの⁉)
「選ばれし者のみが、竜の夫人となることが出来ます。誓いの儀は、ヴィティさんが竜の妻となるに相応しいか、確かめるための儀式であります」
どこかで聞いたことのあるような話に、私は思わず顔を上げた。視線の先のフィグ様はなぜかドヤ顔で、もうダメだ、と本能が悟る。
竜の世話係になれ、と言われた時と同じくらいの衝撃。だが、もはや、慣れた。もう、なるようにしかならない。
暴走したノアさんを止められる人などこの世には存在しないし、それに悪ノリをする竜神様をたしなめることの出来る人もこの世には存在しないのだ。
「それでは、ヴィティさん。竜神様と向き合って、左手を前へお出しください」
ノアさんに促されるまま、私は左手をフィグ様の方へと差し出す。薬指にはまっているフィグ様からの婚約指輪は、今日も美しく輝いている。
結局、何をされるのか分からないまま、私がキョロキョロとフィグ様やノアさん、そして周りの人たちの様子を窺っていると、フィグ様にグイと顎を掴まれた。
「……え、と」
また、命を賭けたりしちゃったり、なんかするやつですかね?
しかと顔を固定されつつも、なんとか自由な目だけを慌ただしく右へ左へと動かすと、
『こういう時こそ、肝を据わらせろ』
なんてフィグ様に笑われた。うるさいな、誰のせいだと思ってるんだ。だいたい、なんなのこれ。結局、サプライズするの? あんなに色々あったのに、サプライズ好きなの⁉
『それでこそ、ヴィティだな』
うるさい、という意味だろう。こんな時まで嫌味とは、フィグ様もフィグ様らしい、と私がじとりと冷たい視線を送ると、フィグ様がふんと鼻を鳴らした。
『その指輪には仕掛けがある』
「は?」
フィグ様は、私の左手をするりと取って、薬指にはまった婚約指輪をなぞる。
『誓いの儀を行い、選ばれし乙女であれば、その指輪は花開くのだ』
永遠に溶けない氷、というだけでも十分だというのに、まだそんな仕掛けまであったのか。確かに、光に透かすと、その内側に花のような模様が浮かび上がって綺麗だ、なんて思っていたけれど。
「そもそも、誓いの儀って、なんなんですか」
尋ねるために顔を上げれば、フィグ様と視線が交錯して――
「んっ!」
私の唇に、柔らかな感触。冷たいのに溶けてしまいそうなくらいの熱量と、ふわりと香るブドウの芳香が私を包む。
それだけではない。
私とフィグ様を、キラキラとしたダイヤモンドみたいな輝きが、花吹雪のように取り囲んで舞い上がる。
美しい光景を見逃したくはなかったけれど、フィグ様からのとろけるようなキスには抗えなくて、私はつい目を閉じてしまった。
ヒュー、とあちらこちらから歓声が上がっているのが、確かに耳には聞こえているはずなのに、そんなことすら私とフィグ様の鼓動を余計に大きく感じさせる。
やがて、フィグ様のゆったりとした鼓動の音が、私のものに混ざって一つになって。
静かに離れていく体温。残ったのは、薬指に灯る陽の温度だけ。
『ヴィティ、愛してる』
晴天を写し取る双眸。そこにもあたたかい六花のきらめきが宿っていた。
『見ろ』
促され、薬指にはまっていた婚約指輪へ視線を落とす。
つい数瞬前までは確かに透明な氷の結晶だったはずなのに、いつの間にか、ほんのりとブルーの小さな花が咲いている。
『選ばれし乙女、ヴィティよ。ワタシの妻になれること、光栄に思えよ』
例のごとく高慢な態度で言われても、なぜだか、私の胸はいっぱいになってしまう。泣くところなんかじゃないのに、お兄ちゃんと同じ遺伝子だからか、涙がこぼれ落ちた。
そんな私の頬を優しくぬぐって、フィグ様は美しく笑う。
それはもう、神様のように。
「私も、フィグ様のこと……」
最後までお読みくださり、本当にありがとうございました!
ヴィティとフィグ様がこれからも互いに末永く愛しあい、幸せであることを、ここまで読んでくださった皆さまに誓います。
本編はここでおしまいですが、番外編とおまけも書かせていただきましたので、もしよろしければそちらもお付き合いいただけましたら幸いです*
本当にありがとうございました!




