第八十五話 ヴィティ、プロポーズされる
婚約発表から半年。
引っ越しも無事に終わり、シャヴォンヌの地で気ままなスローライフを送ることになった私たちには、平穏が訪れていた。
人員見直しにより、竜騎士様は結局、お兄ちゃんともう一人だけになり、竜の世話係はノアさんが、私の神様夫人教育係という名前に代わって続投されることになった。
私は、といえば、世話係としての役目を終えるよう言われ、その書類にも名前を書かされたのだが――いまだ、世話係を名乗っている。自称する分には、誰にも怒られないらしい。
というより、シャヴォンヌに移り住んでから、貴族たちも全くと言っていいほどこちらに干渉しなくなった。
竜騎士としての仕事を大臣から言いつけられていたお兄ちゃんですら、そういう面倒なことから解放されたのだというから驚きだ。
大臣や副大臣から届く、ひと月に一度の文書を処理すれば、それでおしまい。上司との仕事のやり取りが、月に一回の文通なんてどういう魂胆だろうかと思ってしまうが、どうやらそれで仕事が回れば問題がない、ということらしい。
一応、表向きにはフィグ様の「神様じゃない」発言も認められているようで、そういったこともあって、必要以上には近づかない、というのが暗黙のルールとなったようだった。
ゆったりとした毎日に、多少の刺激を求めてしまうのが、人間というものである。
フィグ様のお誕生日が近づいてきて、今年は何をしようか、なんて話をしていた私たちのもとに、そんな刺激をぶち込んできたのが、ノアさんだ。
「そろそろ、結婚式を挙げてはいかがでしょう」
サプライズは散々な目にあったので、当然、誕生日パーティの打ち合わせにはフィグ様も参加しており……つまり、私とフィグ様、当事者二人が揃っているところで切り出したのである。
隣で飲んでいた果実水を吐き出しかけて、さすがにそれはまずいと思ったのか、勢いよく飲み込んだ兄がむせるほどに唐突だった。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「ゲホッ……大丈夫だよ、ありがとう。ゴホッ、ゲホッ……いや、その、ノア? 一体どうしたんだい急に」
「一番良いプレゼントになるかと思ったのですが」
サラリと真顔で言うあたり、どうやら本気でそう考えているらしい。ノアさん、ちょっと天然なところがあるよね。
「そりゃ、一番のプレゼントかもしれないけど……」
どう考えても急すぎる。お兄ちゃんの言葉に、私はうなずいた。が――
『悪くない』
ノアさん以上のド天然、フィグ様が完全に同意を示した(フィグ様の悪くないは良いと同義だ)ことで、シャヴォンヌ家チーム対神様チームの構図が完成してしまう。
「竜神様はこうおっしゃっておりますが、ヴィティさんはいかがでしょう」
「いかがでしょうって……その、急すぎませんか? ほら、結婚だって、色々と準備はあるでしょうし」
「いえ。そうでもありませんよ。婚約もすでに済んでおりますし、王家や他の方々へのご連絡は三日もあれば問題ありません。予算だって、すでに見直しの際に確保しております」
「フィグ様のお誕生日パーティもあることですし!」
「そちらも、今年はあまり盛大にやる必要はない、と先日合意した通りですから、大した時間はかからないかと。仕事としても、一度にやってしまった方が効率的です」
「ノア。効率的かどうかで人様の将来を簡単に決めてはいけないよ」
「そうですよ。お兄ちゃんの言う通りです。その、結婚ってもっとこう、二人が話し合って決めるものでしょう?」
私がお兄ちゃんの意見に便乗すると、フィグ様がキョトンと首をかしげる。
『ワタシとヴィティは愛し合っているのだから、これ以上何も相談など必要ないが?』
「フィグ様! 乙女には、覚悟というものが必要なんです!」
『ふん。これ以上、何を覚悟する必要がある。婚約も結婚も変わらん』
「そ、そりゃそうですけど……」
『それとも、ヴィティはワタシのことが嫌いになったのか?』
「なっ⁉」
そんなことは言ってないじゃないですか、とは言えず、私が顔を真っ赤にして押し黙ると、フィグ様はふんと勝ち誇った笑みを浮かべる。
『ならば、なんの問題もない』
そもそも、婚約を結ぶ時点でありとあらゆる悩みは解消されているのだ。
ずっと一緒にフィグ様と過ごし、たまには、まぁ、その、ちょっといい感じの空気になって、二人で何度かお出かけもして……べ、別に今更、確かに何をって感じだけれど……。私だって、別に、今はやりの婚約破棄なんてするつもりもなければ、フィグ様以外の人と結婚するなんて考えられもしないし……。
「で、でも!」
『決まりだな』
横柄な主の一言に、ノアさんはこくりと頷く。そのまま彼女は、すくりと立ち上がったかと思うと、私の制止も聞かずに、兄を連れて部屋を出て行ってしまった。あまりの速さに、もしかして、フィグ様と打ち合わせをしたんじゃないかと思うくらいだ。
「……フィグ様」
『なんだ』
「ど、どうして結婚なんて急に」
『ワタシではなく、あの女に言え』
「そ、それはそうですけど……」
『だいたい、婚約してもう半年だ。貴様とひとつ屋根の下で暮らすようになってからは、一年半も経っているのだぞ』
「そんなに長くないですよ! 人間からしたって、割とあっという間ですよ!」
長く生きている竜の方が、相対的にもっと短く感じられたっていいはずなのに、フィグ様はやたらとせっかちである。
私がフィグ様の様子を窺うと、彼は整った顔をしかと私に向けた。
『人間は、短命だ。ならば、一日でも長く、家族として共に過ごしたいと思うのは、当たり前のことだろう』
神様が偉いのは当たり前だろう、くらいのテンション。この竜神様、あんなに素直じゃなかったくせに、本当にここ最近はある意味開き直っているというか、はたまた、成長したからなのか、こういうことをサラリというようになって、こちらが恥ずかしい。
一度は落ち着いた顔の熱が、再び沸騰してしまう。
「プ、プロポーズ、みたいなんですが……」
『結婚するのだろう?』
「よっ! 良くそんなさらっと言えますね⁉」
『返事は』
「ヒ、ハフ……フ、フュ~~~」
口笛を吹いてごまかそうと試みたものの、あまりにも口の中がパサパサすぎて音などでなかったので、もはや口で口笛っぽい音を出す。
(こ、これで切り抜けられたわね)
『貴様、阿呆が過ぎるぞ』
「好きでやってるんじゃありませんから!」
『……返事は』
「も、もっとこう! 良い感じでするものじゃないんですか⁉ そ、それこそ婚約の時みたいに、夜のテラスで、とか……」
『それが良いのか?』
ならばやってやろうか、と言い出しかねない雰囲気に、私はしまった、と愛想笑いを浮かべる。だって、絶対今日の夜やるじゃん。こ、断るつもりなんてないけど、もう、完全にどうあがいてもすぐ結婚コースじゃん!
私が「うぅ」とフィグ様を照れ隠しに睨みつけると、フィグ様は心底愉快だと言わんばかりに大笑い。
鬼畜非道無慈悲神様め。
「わかりましたよ‼ もう! 好きにしてください!」
私が観念すると、フィグ様はさらにゲラゲラと神様とは到底思えない笑い方で、
『人間とは、面倒な生き物だな』
と付け加えた。
お引越しも無事に終了し、のんびりしていたところに……最後の大きな爆弾投下! です!
婚約を結んでいた二人、ついに正式に夫婦になります!
次回が本編最終回! 最後までぜひぜひお楽しみください*
最終回「ヴィティ、結婚する」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




