第八十四話 ヴィティ、引っ越す
「引っ越し?」
洗濯物をたたむ手が止まる。私の髪を何やらいじって遊んでいたフィグ様も、同じように手を止めた。
目の前にいるお兄ちゃんは深刻な顔で、ノアさんはいつもと変わらず真顔だ。
「国王様が正式に決定されたらしい。竜神様とヴィティのことを考えて、と表向きには言っていたけれど、まぁ、平たく言えば軍縮だね」
「それに伴い、予算の見直しがかかったようでして。竜騎士様の人員見直し、お屋敷の撤収が良い例です」
ノアさんは淡々と説明したが、その瞳にはやや憂いが見える。きっと、お兄ちゃんが竜騎士でなくなってしまうかもしれない、と思っているのかも。
ノアさんはいまだ、お兄ちゃんへの愛を打ち明けていない。
「それで、引っ越し、ですか」
私がフィグ様の方へチラと顔を向けると、フィグ様は存外気にした様子もなく『そうか』と一言うなずいただけだった。
「良いんですか?」
『良いも何も、これ以上うるさく騒がれないのであればかまわん。むしろ、迷惑だったのだ。清々する』
今回ばかりはどうやら本当にそう思っているらしい。フィグ様にとってホルンは生まれた場所のはずだが、どうやら竜という性質上、移動に大した時間はかからず、その気になれば帰ってこれるから、という気持ちもあるのだろう。
もしかしたら、そういった思い入れめいた感情も、人間より少ないのかもしれない。
「ちなみに、引っ越し先は?」
お兄ちゃんが、私の言葉に目をキラリと輝かせた。どうやら、嬉しいニュースもあるらしい。
「ヴィティなら、きっと喜んでくれると思うんだ」
「ずいぶんとウキウキですね」
「そりゃ、俺にとっても嬉しいことだからね」
どういう意味だ。もったいぶらずに早く教えてほしい。
「ノアさんは知ってるんですか?」
「えぇ。名前だけは。実際に行ったことはありませんので、どんな場所かは詳しく知りません」
「どこなんです?」
私に問い詰められ、ノアさんはチラと兄を窺う。やたらとためている兄を気遣って、その役目を譲ろうとしているのだろう。兄は、ふふん、とドヤ顔を決めた。
「シャヴォンヌだ!」
その言葉に私とフィグ様の目がかち合って、お互いなんとなく、気恥ずかしいような、けれど、すっかり思い出の地となったその場所に笑みをこぼした。
実際、シャヴォンヌの地に私たちが引っ越すことになったのには、政治的な絡みがいくつかあったらしい。あの伝染病で荒廃した地を、竜神様に譲ることで何とかその土地自体を神聖なものとして上書きしたい、という理由だったり、フィグ様のお屋敷にある宝物庫をなんとか貴族たちで管理し、金回りの色々を解決したい、という理由だったり。
聞きたくなかった理由もいくつかあるようで、結局、私たちは良いように利用されたに過ぎなかった。
けれど、その引っ越しを取りやめにすることなどできない。フィグ様も気にしていないし、私も私で、両親の住んでいた家で暮らせること自体は、嬉しい話なのだ。
私たちはすぐさま引っ越し準備に取り掛かることになった。
春本番、柔らかな陽気が包む中、次々と荷馬車に荷物を積む。竜騎士様の中には、人員見直しにより、この引っ越し作業が最後の仕事となる人もいるらしく、引っ越しの喧騒も手伝って、ちょっとした宴会のような雰囲気だった。
「フィグ様! 少しは手伝ってください!」
もう神でもなんでもないのだ。竜の力を持っているフィグ様が最もこういった仕事に向いているだろう、と布団にくるまるフィグ様をたたき起こし、私はフィグ様の部屋に散らばっている小物やらなんやらを袋へと詰めていく。
『……酒は』
「もうとっくに積んでしまいましたよ。フィグ様のお部屋を片付けたら、もういつでも移動できるんですから」
何日引っ越し準備をしてきたんだ、と私が顔をしかめると、フィグ様はふんとそっぽを向いた。今まで手伝ってこなかったのだから、フィグ様にその答えを求めるのは酷だと分かってはいるけれど、文句の一つや二つも言いたくなってしまう。
少しはマシになったものの、率先して動いたりすることはまだできないらしい。
「フィグ様!」
いつまでそこにいるつもりですか、と後ろを振り向けば、フィグ様はぼんやりと窓の外に目を向けていた。ワイワイと荷物を運ぶ竜騎士様たちの姿を見つめるフィグ様の背中がちょっとだけ寂しそうに見えて、私は思わず口をつぐむ。
「やっぱり、寂しいんじゃないですか」
『別に寂しくなどない。静かになっていい』
私が隣に立ってその顔を覗き込むと、フィグ様はホルンの山へと目線を動かした。
「今度は、ツェルトの町に旅行へ来ましょうか。新婚旅行とか」
『ふん。別にそんな特別なものでなくとも、いくらでも連れていってやる』
「そうですね。いつでも、遊びに来れば良いですよね」
なんだか、私がちょっとだけ寂しくなってしまう。悪いこともいっぱいあったけれど、このお屋敷にはなんだかんだ思い出が詰まっているのだ。
フィグ様が、私の頭にポンと手を置いて、それから、ゆっくりと私の肩に手を回す。そのまま私はフィグ様の方へと引き寄せられた。
『なぜ、貴様が泣きそうなのだ』
「それが分からないようでは、まだまだですね。フィグ様」
『うるさい』
このお屋敷を初めて見た日のこと。ツェルトの町でお買い物をしたこと。フィグ様を探してホルンの山へと足を踏み入れたこと。フィグ様と過ごした毎日。
それらが私の胸の中を通り過ぎていく。
「フィグ様に、会えてよかったです」
『当たり前だ』
「光栄に思います」
『あぁ。光栄に思え』
フィグ様の真面目な返答に、私がふっと笑うと、フィグ様は『なぜ笑う』とむっと眉をしかめた。
「次のお家でも、よろしくお願いします」
私が頭を下げると、フィグ様は再び、当たり前だ、とうなずく。
今度は、私の両親が過ごしたシャヴォンヌの地で、フィグ様と新しい思い出を作ればいい。
お兄ちゃんとノアさんは、竜騎士代表、竜の世話係代表として、王城での色々な手続きを済ませてくる、と一足先に屋敷を後にした。
最後の日くらい、四人でゆっくり過ごしたい、と思っていたのだが、そんなことをするとシャヴォンヌで一緒に過ごせないみたいじゃないか、とお兄ちゃんに指摘され、それもそうか、と私は二人を見送った。
ガランとしたお屋敷に、私とフィグ様の二人きり。
夕日に照らされたお屋敷は、驚くほど静かで、寂し気だった。
明日から、宝物庫を貴族たちが管理し、この屋敷も、国王様やお偉い様方との会談などの場として使われるようになる。
「なんだか、変な感じですねぇ」
『また、センチメンタルとやらか』
「人間なんて、そんなものですよ」
『すぐに忘れる。それに、長く生きていれば、こういうことは何度もあるぞ』
「フィグ様に言われると、説得力がありますね」
確かに、フィグ様は生まれてから二千五百年、ずっとこの地にいたと思っていたけれど、もしかしたら、この国のいろんなところを転々としたこともあったかもしれない。
『そろそろ行くぞ』
「そうですね……」
フィグ様の姿が、ゆっくりと竜の形に変わっていく。白い鱗がはらりはらりと夕日に照らされて、お屋敷と同じ色に染まっていく。お屋敷の外壁の白が、フィグ様によく似ていることに、今更気づくなんて。
乗れ、と頭の中に響いて、私はフィグ様の背にまたがる。いつも通り、ふわりと体が持ち上がると、フィグ様はやがて屋敷の上を一周だけ旋回した。
それはまるで、お別れの挨拶のようで。
「また、来ましょうね」
私がそっとフィグ様の鱗を撫でると、フィグ様は、キュィルルル、と優しく鳴いた。
神様卒業と同時に、お偉い様方からの軍縮によって、お引越しすることになったヴィティたち。
二人のこれからの生活は、偶然にもヴィティの両親が過ごした土地で。
新しい思い出、たくさんできるでしょうか?
本編最終話まで後二話となりました。最後までぜひぜひ見守ってください*
次回「ヴィティ、プロポーズされる」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




