第八十話 フィグ、マリッジブルーになる?
婚約を前になんだか落ち着かないフィグ様視点です。
婚約発表は、年明けと共に。
そう決まったのがつい昨日のこと。
マリーチから告げられたそのスケジュールを見つめ、ワタシはどうしたものかと部屋をただウロウロと練り歩く。
ヴィティも、昨日、鉄仮面女から説明を受けているはずである。だが、ヴィティにこの悩みを相談は出来ない。
なし崩し的に、というか、ヴィティのことは、彼女との口論の果てに手に入れた偶然の産物のようなものであって、もちろん神であるワタシをヴィティが拒むはずがないとは分かってはいるものの――この婚約、ひいては結婚を確実なものにしたかった。
人間でいうところの『一世一代のプロポーズ』とやらをするのならば、この日しかない。
ヴィティは、普段信じられないほど肝を据わらせているくせに、こと恋愛についてはどうにも及び腰で萎縮している節がある。堂々としていればいいものを、何かにつけてワタシのことやら外聞やらを気にして、弱気になっているのだ。
結婚前は、人間の女は特にそうなると聞いた。マリッジブルー、と人間たちはそう呼んでいるらしいが、何のことやらサッパリである。
「だが、それで破棄にでもされてはたまらん」
ようやく手に入れた。二千五百年生きてきて、これほどまでにしっくり来る女は他にいない。ヴィティを逃しては、次はいつ婚期なるものが現れるのかとんと想像もつかない。
ワタシのような素晴らしい神を捕まえておいて、婚約破棄などありえないが、巷ではそういう物語も流行っていると聞く。まったく、油断も隙もあったものではない。
「……そのためにも、何か人間の女が喜ぶようなことを」
国民たち皆に「この女はワタシのものだ」と知らしめることが出来て、かつ、ヴィティに心の底から「貴様がワタシのものである」ことを理解してもらわねばならぬ。
とはいえ、それをヴィティに話しては、こちらの面目が立たない。かっこよく、さらっとやってのけるからこそ彼女をときめかせることが出来るものだと竜騎士たちが言っていた。
「まずは……やはり、花か?」
以前、誕生日の時にヴィティが好きだと言っていた花。それを渡すのはどうだろうか。喜んでくれるだろうか。だが、ヴィティの場合は食べられるものの方が良いかもしれない。貧乏な田舎娘だ。確か、王都のタルトとやらがうんぬんと言っていたような気もする。どうせなら、二つともプレゼントすべきだろうか。
だが、しかし……。
煩わしい、と羊皮紙を投げ捨てると、コンコン、と扉をノックする音がした。このノックの仕方はヴィティではない。鉄仮面女か。
『なんだ』
「お飲み物をお持ちいたしました」
『ヴィティはどうした』
「ヴィティさんは、お着替え中にございますので」
扉越しの返事に、『あぁ、そうだった』とワタシは頭をかきむしる。
婚約発表の際に着る衣装合わせだとかで、今日は一日、ヴィティは着せ替え人形にさせられているらしい。しかも、なぜかワタシにはその姿を見せたくない、と強く拒否されてしまって、さすがのワタシもそれを強引に押し切ることは出来なかった。
それこそ、ここで嫌われてはたまったもんじゃない。恋というのは、人間だけでなく、竜をも狂わせるものらしい。こんなのはワタシらしくない、とは思うものの、どうにかして必死にヴィティを繋ぎ止めておきたい、という想いがワタシを縛り付けるのである。
仕方がない、とワタシは『入れ』と鉄仮面女に促す。ちょうど、酒も飲みたかったところだ。
いまだ何を考えているのか分からない、ワインレッドの瞳を持った世話係には嫌悪感しか抱かないが、これもヴィティのため。
彼女は、ワタシの前にそっとワイングラスを差し出すと、机の上に投げ出された羊皮紙へチラと視線を投げた。ヴィティに昨日渡したであろうスケジュールが、すでにくしゃくしゃになっていることを不思議に思っているのだろう。
「……何か、ヴィティさんにサプライズでも?」
『ふん。別に……そんなつもりはないが』
「ヴィティさんは、竜神様に喜んでいただくために、あえて衣装を秘密にしたいのだとおっしゃっておりましたよ」
あえて、の部分を強調されてワタシはふんと鼻を鳴らしてしまう。過去二回、誕生日サプライズとやらに関わってきたが、人間というのはどうしてこうもサプライズが好きなのだろうか。
かくいうワタシも、似たようなことを考えてしまっている時点で、どうにも思考を毒されている気がしてならないが。
「竜神様」
『なんだ』
酒を置いたのならさっさと出て行け、と鉄仮面を睨みつけたが、やはり女の表情は変わらなかった。
「差し出がましいことと存じますが、一つ。人間には婚約を交わす際、指輪を贈る風習がございます。ヴィティさんもお喜びなられるのでは」
スンといつも通りの真顔から発せられる言葉に、ワタシは『は』と思わず気の抜けた声を発してしまう。口からこぼれてしまった、という方が正しいか。
「竜神様のお力であれば、この世界で唯一の、特別な指輪をお渡しになることが出来るのでは」
『……話くらいは、聞いてやろう』
まるでこちらの心が読まれたのではなかろうか、というタイミングだが、もはやそんなことにはかまっていられない。今は、ヴィティが喜ぶこと、その一点に時間を割いてやりたかった。
「竜神様が、ホルン……あの、雪山からお生まれになられたことは、以前ヴィティさんよりお聞きしております。そして、それゆえに特別な力を操られるということも」
『だからなんだ』
「永遠に溶けることのない氷、なんていかがでしょう。ダイヤモンドに勝るとも劣らない、美しくも神秘的な輝きを、お造りになることが出来るのでは」
『……確かに、それくらい造作もないが』
本当にそんなことで、ヴィティが喜ぶのか? 指輪、というのは、人間が指にはめているアクセサリーのことだろう。ワタシには一ジントの価値も想像できない。大体、氷なんぞいくらでも作り出せるものが、特別?
からかうでない。どこまでも苛立たしい女だ、とワタシが睨みつけるも、鉄仮面女はきっぱりと「喜ばれます。必ず」と言い切った。
『なぜ、言い切れる』
「竜神様のお力は、特別だからですよ。竜神様にとってはそうでなくとも、わたくしたち人間にとっては」
ペコリと形だけは美しいお辞儀を添えて、彼女は部屋を去ろうとする。その時、初めて鉄仮面女の心の声が聞こえた。
(いつもなら、ご自身の力に絶対的な自信をお持ちになられているのに。竜神様も、マリッジブルーにはなるのですね)
『貴様!』
待て、と彼女の背に怒声を浴びせると、振り返った女の表情に少しだけ意地悪そうな笑みが浮かんでいるように見えた。
「神様もずいぶんと人間らしくなられたようで、世話係としては大変ありがたい限りです」
今すぐかみ殺してやろうか、と思った瞬間には、バタン、と扉を閉められる。微塵にも心の声が聞こえなくなり、ワタシは募った苛立ちをソファにぶつけて、酒をあおった。
『腹立たしい!』
何がムカツクって、また、あの女のアドバイスが中々役に立ちそうなところだ。
ヴィティの指に、ワタシの生み出した氷が永遠に輝いている様を想像して、なぜだか心が温かくなるような気がすることが、この上なくイライラする。
他人の目につくところに、ワタシの証が刻まれているような気もするし……考えれば考えるほど、あの女のアイデアは的を射ているのである。
『クソ!』
絶対に理解などしえないと思っていた相手に、ほんの少し、ほだされたような気がして、ワタシはグラスを机にたたきつけた。
婚約発表の時期が決まり、ソワソワするフィグ様。
どうやら、きちんとプロポーズをしたいと思っているようですが、果たして、ノアさんのアドバイス通り、無事に指輪を贈ることは出来るのでしょうか??
次回「ヴィティ、信じる」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




