第八話 ヴィティ、提案する
竜の世話係になって、わかったことがいくつかある。
まず、竜の世話係とは文字通りのことで、竜神様の身の回りの世話をする仕事だってこと。
身の回り、と言っても、彼は着替えや湯浴みは自分でやったし、夜のお付き合いもない健全なものだ。やっていることはハウスキーパーと一緒で、名前に似合わず地味な仕事である。
屋敷の掃除に始まり、料理や洗濯はもちろん、庭の手入れやベッドメイキングを行う。あれほどキッチンを騒然とさせていた竜神様が、今更ベッドメイキングなど必要なのかは甚だ疑問ではあるものの、世話係の仕事だと言われれば、悔しいかな、「そうですか」としか言いようがない。
どの作業も当然一人で全てはこなせない。竜神様が歩き回る場所を中心に、日々少しずつ取り組んでいる。
特に大変なのは夕暮れ時。暗くなる前に、屋敷のあちこちへ明かりを灯す作業をしつつ、並行して料理を作り、湯浴みのための湯を沸かす。食料を届けたり、夜の警備に訪れたりする竜騎士様と共に手分けをしても、まったく手が足りない。分身したいが、それは竜の血の特典対象外らしい。使えない神め。
それから、この屋敷は全て私の管轄である、ということ。
竜神様と竜騎士様を除けば、世話係はもちろん、庭師や料理人の姿もない。
初日、私に美しいドレスを着せてくれた女性たちは、あの日のためだけに竜騎士様が雇ったらしい。それを聞いた私は、当然、金銭感覚の違いにドン引きした。大体、あの日のドレスや化粧に、何の意味があったのか。私が知らないだけで、儀式にはドレスコードがあったのだろうか。いや、おそらくないのだろう。
そして、竜神様のこと。
彼が生まれたのは、二千五百年ほど前。まだこの国どころか、人もいなかったような世界に、竜神様は命を授かったらしい。何から? 山からだそうだ。だから、神なのだ、と竜神様は偉そうに言った。聞いてもいないのに、自分語りが少々おうるさくていらっしゃる。とにかく、それからこの国を住処とし、人と共存……もとい、人をこの地に住まわせてやっている、のだそうだ。
「この国を守っているって噂は本当なんですか?」
竜神様の話を聞いたときには、思わず当の本人にそんなことを尋ねてしまった。
少なくとも私は、この竜神様に守られた記憶がない。それどころか、この国は私の知る限りは平穏で、守護されるような状況に陥ったこともない。
『当たり前だ』
周囲を四つの国に囲まれたヘルベチカが、今まで一度も領土争いに巻き込まれていないのは、竜神様のおかげらしい。
信じないわけではないが、実感はわかない。どれほど強い力でも、使われなければ確かめようはなかった。
だが、彼が特別な力を持っていることは、すでに実感済みだ。人の姿になれるのもそうだし、心の声を聞くのもそう。私を動けなくしてみせるのもその力で、その他にもいろいろと使えるらしい。人並みの生活は出来ないくせに、人間離れしたことは易々とやってのける竜神様のドヤ顔には、いまだノーコメントを貫いている。
最後に付け加えるのなら、竜神様は相変わらず、非常に嫌な奴だってこと。
私が昼食を作り終えたころに、メニューの変更を申し出たり、昼からワインやらセルボワーズやらを要求しては飲んだくれたり、食糧庫に忍び込んでは何かをつまみ食いしていたりと、仕事を増やす以外に能がない。まさに、人でなしの象徴。食う、寝る、飲む、寝る……。かと思えば、時折、私のもとへとふらりと現れては、やはり、余計な仕事を増やすのである。
荒れ放題の芝を刈り、雑草を抜いていた昼下がり。
ガサガサと音が聞こえて振り返れば、先ほど集めたばかりの枝葉を踏み散らす竜神様の姿があった。
「竜神様!」
『なんだ』
「なんだ、じゃないですよ! 掃除してるんですから、荒らさないでください!」
『ふん』
謝罪がないことにも慣れた。彼は、自らの都合が悪くなると、顔をそむけてどこかへと去っていくのだ。そうでなければ。
「竜神様」
『次はなんだ』
「邪魔です。草刈りが出来ません」
なぜか私の体にぴたりと寄り添うようにひっついてくる。理由を問えば、悪くない匂いがする、だの、あたたかい、だの、聞くに堪えぬ言葉がするりと口から飛び出るものだから、恥ずかしいことこの上ない。本人にその気がないところも、なぜだか無性に腹立たしい。
「竜神様……」
『悪くない髪だ』
「人の髪で遊ばないでください!」
一生懸命に庭の手入れをしているというのに、隙あらば邪魔ばかりされる。竜髪様と命名してやりたい。
『貴様、センスがないな』
「あら、ご主人様にとびきり素晴らしいお名前をつけて差し上げようかと思いましたのに」
私ができうる限り最高の笑み、皮肉たっぷり添えで竜神様を見つめ返せば、彼は少し目を見開いた。いつもは飄々としているその美しい顔が、時折まぬけ面になるのは見ていて気持ちがいい。悪を好んでこらしめる人間の気持ちがよくわかる。
『……ふむ』
てっきり、一言どころか、お小言が二つ、三つと続くと思っていたのに、今回は違った。私はその妙な空白に違和感を覚えて、すぐさま眉根を寄せる。何やら、仕事が増えそうな――嫌な予感がする。
『悪くない』
「何がです……?」
文脈上、記憶をたどって思い当たるのは名づけの話。冗談だから良いのであって、本気にされては私が困る。彼を呆れさせるようなものならともかく、本気と書いてマジと読むものは無理である。
方向音痴と壊滅的なネーミングセンス。この二つは、死んでも治らないと私の祖母は言っていた。私は祖母を知らないけれど。とにもかくにも無理なものは無理。絶対にダメ。私は断固として首を横に振る。
『人間は昔から、名前をつけるのが好きだからな。名前がないのは、不便なのだろう?』
一方、竜神様は心底楽しげで意地悪な笑みを浮かべた。立場逆転。どうしてこういう時だけ、ちょっとまともっぽい講釈を垂れるのか。理解不能だ。
そして、こうなってしまっては誰にも止められない。なぜなら彼は、竜神様であり、私のご主人様だからである。
「竜神様という、素晴らしいお名前があるじゃありませんか」
『それは、名前ではない』
「ですが、他と区別は出来ます。不便もありません」
『自ら言い出したことすら、まともに出来んのか』
人が……特に、私が嫌がることをするのが得意な竜神様が、ニタリと悪質な笑みを顔に張り付けた。その笑い方は怖い。神というより悪魔極まれり。
「……壊滅的なネーミングセンスだと、知っているじゃありませんか」
『無謀なことへ挑戦する人間を見ることほど、面白いものはない』
性格がゆがみ過ぎている。この北の大地が、彼をそうさせてしまったのか。私は大きくため息をついて、いまだ自らにすり寄ってくる竜を片手に追い払う。
「この話はおしまいです。ワタシが神だ、とご自身で名乗っていたでしょう」
『それは、名前ではない』
「ですが、他と区別は……」
デジャヴを感じて、私は口を閉ざす。このままでは、永遠に仕事が片付かないどころか、付きまとわれること間違いなし。
さっさと引き受けて、飽きるまで適当にはぐらかし続ける方が得策か。
「……わかりました」
『余計な接頭語がついていたぞ』
「最終的に引き受けたんだからいいでしょう。心の声を勝手に読んで、むっとするのはやめてください」
しかめ面でホウキを握りなおせば、竜神様はどこか嬉しそうに目を細め、クツクツと笑う。アイスブルーの瞳の奥に、狡猾な光が鈍く輝いて見えた。
私がこの選択を後悔することは、言わずもがなである。
少しずつ様々なことが分かってきて、竜神様ともなんとかうまくやっていけている? はずでしたが、ヴィティには再び面倒なお仕事が。
自ら撒いた種を、彼女は無事に回収できるのでしょうか?
次回「ヴィティ、名付ける」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




