第七十九話 マリーチ、号泣する
今回は、ヴィティの婚約準備を見守る(?)マリーチさん視点です。
「マリーチ様」
ややトゲを含んだようなノアの声が聞こえてきたけれど、俺はだからと言って正面を向くことは出来なかった。
「お兄ちゃん……」
困ったような最愛の妹に呼ばれても、今ばかりは無理である。
「唯一の親族なのですよ。しっかりなさってください」
「そうですよ。大体、お兄ちゃんが言い出したんじゃないですか。どうして言い出しっぺのお兄ちゃんが棄権してるんですか」
女性陣はあからさまに呆れた物言いだが、そんなことを言われたって困る。俺だって、それこそ、数刻前まではウキウキだったのだ。
ヴィティと竜神様の婚約発表に当たり、その衣装はとびきり素晴らしいものにしなくては。そんな想いもあったし、ヴィティのそれはもうとびきり麗しいであろうドレス姿も見てみたかった。
(だけど……)
見たら、泣いてしまうだろう!
ノアの言う通り、俺にとっては唯一の家族であり、十年以上も探し続けてきた妹の花嫁姿なんて、まともに見れる自信がない。
「まだ一着目なんですから」
俺が用意させたドレスは、山のように積まれている。試着した中で最もヴィティに似合うものを、と思っていたが……それどころではない。
「お兄ちゃん」
時間も無限にあるわけではないのですよ。ヴィティの視線が、突き刺さっている気がする。
「ノ、ノア。その、どうだい? 似合っているかい」
「ご自身でお確かめになられてはどうです」
「こ、心の準備ってものが……」
「見たくないのですか?」
「見たい」
「でしたら、どうぞ」
はい、と体をぐるりと回転させられて、俺は思わず顔を両手で覆った。だが、やはり、見たいものは見たい。見たくないけど、見たい。俺はそろりと指の隙間から覗き……すぐさま、「やっぱり無理だ!」と視界を自らの手で閉ざした。
最愛の妹の花嫁姿が美しくないわけがない。何を着たって似合うに決まっている。そりゃ、確かにヴィティを嫁がせるなら、自分よりも良い男のもとでなければ、と思っていたが、まさか竜神様だなんて思わなかったわけで。悔しい。もっと家族としての時間も過ごしたかった。
ぐるぐるとまとまらぬ思考を吹き飛ばすように、「マリーチ様」と、ノアの実力行使が入る。俺の両手を無理やりにどけて、ヴィティの前へと連れて行ったのだ。ぎゅっときつく目を瞑っても、見たい、という好奇心がまぶたを持ち上げる。
「ヴィティさんの素晴らしいお姿を目に焼き付けることが、兄としてのお役目ではないのですか。マリーチ様、これを逃してしまっては、もう二度とこの姿を見ることも出来なくなってしまうかもしれないのですよ」
ノアの正論が胸に突き刺さる。その通りだ。その通りなのだが……。
ええいままよ!
俺が渾身の力で目を開くと、それはもう女神のごとく美しく着飾ったヴィティの姿があって、俺は思わず「うっ」と胸を押さえてうずくまった。
青いドレスがまぶしい。ヴィティのシェリーカラーを引き立てるような薄青が、透明感を際立てている。胸元に入った金色の装飾が華やかな印象を与え、品も良い。
「……お兄ちゃん?」
少し照れたようにはにかむヴィティもまぶしすぎる。普段は豪奢な衣装を自ら進んで着ることのないヴィティだが、やはり婚約ともなれば別らしい。ドレスのデザインも気に入っているのだろう。
「ヴィティ……本当に、お嫁に行ってしまうのかい」
いやだいやだと泣き叫んで暴れまわることが出来れば、どれほど良いか。許されることならば、今すぐここからヴィティを連れて逃げ、あの性格ひん曲がり神から奪ってやりたい。
だが、実際に奪い去られたのは、俺の感慨に浸る時間だった。
「さ、では次の衣装に着替えましょう」
無慈悲なまでに淡々とノアが次なるドレスを手にして、俺を部屋から追い出したのだ。
ここに、竜神様がいないことだけが、俺にとっての救いである。こんな思いの丈を聞かれていては、殺されていたに違いない。ヴィティが「どうせならば、フィグ様に驚いてほしい」なんて言ってくれたおかげで、今日は竜神様もお役御免というだけで。
ヴィティが着替えをしている間、特にすることもないので、一人悶々とあれやこれやを考えてしまうことだけが唯一の欠点である。
「……嫌だなぁ」
いくら相手が神様だとはいえ。しかも、ヴィティのことを気にいってからは、ずいぶんと丸くなり、良い神様に近づいてきたとしても。今までの悪い噂の数々が無くなったわけではないし、ヴィティもいつか捨てられてしまうのではないか、と不安にもなってしまう。それが、ありえないことだと分かっていることが、腹立たしくもあるのだが。
「ヴィティが、お嫁に……」
ついに巡り会えた妹は、それはもう大変美しく育っていて、最初はそれこそ人違いだと思っていたくらいだ。名前こそ聞いてはいたものの、見知らぬ妹があんなに美人な娘だと誰が信じることが出来るだろう。
しかも、だ。妹と判明し、一緒に過ごすようになってからはまだ大した時間も経っていない。家族としての時間を取り戻すことすら出来ず、別の男の家族になるだなんて。
相手が神様でなければ、その案件ごと握りつぶしているところだ。
反面、兄として、妹の幸せを願うのも当然のこと。なんだかんだ、ヴィティは竜神様と共にいることで、笑ったり、泣いたり、怒ったり……いろんな表情を見せる。心を許している証拠であり、竜神様を信頼している証拠でもあるのだろう。
今までは、村長のもとで養子として育ち、様々な遠慮や我慢を積み重ね、一人で色々なことをやろうと努力してきたはずだ。そんな彼女が、あの竜神様には遠慮しない。
主と世話係という関係性や、竜と人という種別にも関わらず、ヴィティが望んだこと。
彼女が幸せならば――兄は応援するしかない。
「……ヴィティ」
妹の名を口に出せば、自然と涙がこぼれ落ちて、俺は再び両手で顔を覆う。失恋なんかじゃない。家族をまた失うみたいで、喪失感を感じているだけだ。今度は、一人になるわけではないはずなのに。
ボロボロとあふれて止まらないそれを拭うことすら出来ず、俺は声だけを押し殺す。
泣くにはまだ早い。婚約発表こそが本番なのだ。今日はまだ、そのドレスを決めているだけ。分かっている。なのに……。
「ぐ、うぅ……」
妹愛が溢れすぎて、それを止めることが出来ない。
「……マリーチ、さ、ま」
扉が開かれる音で顔を上げると、あからさまに動揺を見せたノアの顔が目に入ってきて、俺は乾いた笑みを漏らす。
「はは……。すまない、ちょっとね」
ノアになら、少しくらい情けないところを見せたって良いだろう。小さいころから、共に育ってきた仲である。いつもならば、竜騎士らしく格好いいふりをするところだろうけれど、今更、彼女に取り繕う必要もない。
「ちょっと、どころか、号泣されているように見えますが」
ノアは、そっと扉を閉めると、真っ白なハンカチをこちらへと差し出してくれる。チラと顔色を窺えば、もうすっかりいつものポーカーフェイスに戻っていて、さすがはノアだな、と俺はそのハンカチを受け取った。
「もう、二着目を?」
「いえ。まだ、もう少し。ですが、着付けの方がいらっしゃいますから、わたくしがおらずとも問題はありませんので」
「じゃ、どうして外に?」
「……マリーチ様が、泣いていらっしゃるのではないかと思いまして」
ノアは、相変わらず表情一つ変えずに告げると、俺から一人分の距離を開けて腰を下ろす。
「わたくしにも……愛する人を思う気持ちくらいは、分かりますから」
ピンと背筋を伸ばして前を見つめる彼女は、凛々しくて、美しかった。
婚約発表に向けて、ドレス選びに余念がないお兄ちゃんでしたが……やっぱり、妹がお嫁にいっちゃうんだなぁ、という実感がわくとどうにも素直にお祝いが出来ないようです。
婚約を前に色々と考えてしまうのは、マリーチさんだけではないようで……?
次回「フィグ、マリッジブルーになる?」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




