第七十八話 ヴィティ、続ける
フィグ様とのお付き合いをはじめて一週間。
前代未聞の展開になったと騒ぎ立てたのは、国王様でもなく、そこら辺のお貴族様でもなく、兄、竜騎士マリーチ様であった。
ここしばらく、私とフィグ様の婚姻について王城はバタバタとしており、国民への発表の時期や、その婚姻祝いをどうするかなどで駆り出されていた竜騎士様たちの中に、兄も含まれていたのである。
つまり、一週間ぶりの兄。ゆえか、彼はすさまじくうるさかった。
「ヴィティ! 気を確かにするんだ! そりゃ確かにお兄ちゃんはヴィティの幸せを願っているし竜神様だって幸せになってほしいと思っているよ! 竜神様がヴィティを気に入っていることも知っていた! 応援だってしてたさ! でも、ヴィティ‼ それとこれとは話が違うだろう⁉」
早口でまくしたてられるが、何を言っているのか全く意味が分からない。
(ていうか、お兄ちゃん、知ってたの? いつから? 恥ずかしすぎて死にたい)
「ヴィティ。本気なのかい? 君は、人間。相手は主で、竜神様だよ。あの、横柄で無慈悲で、冷たくて、恐ろしい神様なんだよ?」
もはやフィグ様の悪口である。間違ってはいないから訂正もしないし、この兄の相手をするのも面倒くさいので、私はただただ手元の鍋をぐるぐるとかき回す。
「考え直さないかい? 神様が言うならば、と国王様たちは認めてくださったようだけれど、ヴィティにはもっと素敵な相手がいるはずだ」
「お兄ちゃん」
「ヴィティはまだまだ若いし、それに、神様に脅されたとでも言えば、バツイチでもヴィティのことを悪くは言う人はいないよ。だからヴィティ……」
「お兄ちゃん!」
私が声を荒げると、視界の端で兄がビクリと肩を震わせたのが見えた。ようやく我に返ってくれたようだ。
「心配してくださる気持ちはありがたいです。竜騎士様として、フィグ様のことをずっと見てきたから、色々と知っているのでしょうし、私だって、一度はお兄ちゃんと同じことで悩みましたから。ですが」
私が完全に手を止めて兄の方へ向き直ると、彼はしゅんと目を伏せる。
「もう、国王様からのご許可もいただいたことですし、今更覆すつもりはありません。フィグ様が素晴らしい神などではないことは私も重々承知していますが、だからこそ、私が隣にいて支えて差し上げたいとも思うのです」
一度決めたことだ。曲げるつもりはない。私はもう、自らの心を欺きなどしない。素直に、正直に、ドンと構えて生きる。周りになんと言われようと、覚悟は決まったのだから。
というよりも……もう、これ以上あれやこれやと考えるのは、私の性に合わなかった。
このことをいつまでも悩んで、ノアさんに心配をかけることだって不本意だ。
鬱陶しいくらいフィグ様にベタベタされるのは以前からのことで慣れていたし、そりゃ、少しばかりフィグ様を意識することはあるけれど、常に一緒にいるせいで、今更何か特別なことを、なんて気にもならない。
世話係の仕事だって、結局ノアさんとフィグ様の意向をくみ取った結果、今までとさして変わらず、部屋はとっくにフィグ様の寝室の隣へと移動させられているのだし……。
国民に発表されて広く自らの名が轟けば、また少し変わってくるのかもしれないが、今のところ、フィグ様との関係を知っているのはごく一部の人だけ。
であれば、今まで通りの生活となるのは当たり前だった。
変わったことと言えば、フィグ様がずいぶんと私に甘くなり、ツンデレでいうところのデレ要素が増え、素晴らしい神様に近づく行動をとろうと意識し始めたことくらいである。
「お兄ちゃんは一週間ぶりのこの環境で思うところもあるのでしょうけれど、私は今まで通り、何も変わりませんから」
私がピシャリと言い放つと、兄は「でも……」とまだ言い足りないことがあるのか、声を振り絞る。
「世話係を、辞めるかもしれないんだろう」
子犬のような、キュルンとした瞳で不安げにこちらを見るお兄ちゃんは、ノアさんがいたら卒倒ものだっただろう。
「そうなったら、また、ヴィティとは会えなくなってしまうじゃないか」
「……は?」
話が飛躍しすぎて、私は別の意味で卒倒しそうだった。
兄の話を要約すると、私とフィグ様が婚姻をすれば、私は必然的に神の妻ということになり、そんな人間に世話係を続けさせるなんて、という王城内で話が持ち上がったのだという。
そもそも、ここ数年……いや、もっと前からだろうが、ヘルベチカ政府内で『竜』についての扱いを見直す動きが推進されているらしい。
竜のおかげで戦争を知らぬ政治家、もとい、お偉い様方は、平和ボケまったなし。多くの国民もそうである。そんな中、自衛のためとは言え、何もしない竜神様に大金を当てているともなれば抗議の声だって上がる。
なんなら、フィグ様の悪い噂は国中の常識として広まっているのだから余計だ。
「だから、ちょうど良いタイミングなんじゃないかって……。竜神様を、この国に住まわせ続けはするけれど、この婚姻を機に、俺たち竜騎士や、世話係の制度を見直さないかという話になっていてね」
兄は、はぁ、と深いため息をついて
「俺が、なんのために竜騎士になったと思っているのか」
とボヤく。最愛の妹を探すため、合法的にかつお金をもらって、数多の乙女を見る旅に出られる職業が竜騎士だったからだろう、と私が鋭い視線を飛ばせば、兄はへらりと笑う。
もう、妹と再会も出来たのだから良いではないか。ここでやめても、お兄ちゃんにはなんの問題もないはずだ。
「ヴィティと一緒にいる理由がなくなってしまうだろう?」
「そんなの、なくたって一緒にいればいいじゃないですか」
家族なんだし、と私が言うも、兄は「いや」と声のトーンを落とす。
「さすがに、新婚夫婦の邪魔を出来るほど、俺も図太くはないよ」
そうだろうか。今までの彼の行動を振り返れば、それくらい余裕でやってみせる気がするのだが。
「ま、そんなわけでね。すぐには決まらないだろうけれど、ヴィティが、世話係を辞めるんじゃないかって噂でもちきりなんだ」
話を聞いていると、私だけでなく、ノアさんやお兄ちゃんも、このままでは路頭に迷ってしまいそうな雰囲気であったが。
「私、世話係は続けますよ」
そりゃ、事業再編、なんてデカデカと王族に掲げられてしまったらどうしようもないけれど、その時が来るときまでは、世話係を辞めるつもりなど毛頭ない。少なくとも、フィグ様が良い神様になるには、まだもう少し時間がかかる。
私がためらいもせず答えたからだろう。兄は、一瞬驚きに目を見開いた後、私の言葉を飲み込んだのか、パチパチと二度まばたきをして見せた。
「……どうして?」
「フィグ様と、約束しましたから」
「約束?」
「私が、フィグ様とお別れする時が来た時、フィグ様が孤独になってしまわないように……フィグ様が、多くの人から愛される神様になれるようお世話をするって、約束したんです」
結構良いことを言った気がするのだが、お兄ちゃんはなぜかくしゃくしゃと顔をゆがめて――それはまるで、泣くのを我慢しているみたいな表情で――私にガバリと抱き着いた。
「ヴィティ! あぁ、いつの間にこんなに大きくなって!」
出会った時から、何も変わってないと思いますけど。その言葉を飲み込んで、私の頭をよしよしと撫でる兄を好きにさせてやる。
「……幸せになるんだよ。ヴィティ」
何かあったら、すぐにお兄ちゃんに言うんだよ。
そう念押しする兄の後ろに、複雑そうな顔をして私たちを見守るフィグ様の姿が見えたけれど……私はほんの少しだけ、フィグ様に気付かなかったフリをした。
子離れ、ならぬ妹離れ。ついにお兄ちゃんも、素直にヴィティの幸せを願うことができました。
これでヴィティたちにも、ようやく平穏な日々が訪れそうですが……。
シスコンお兄ちゃん、果たして本当にヴィティ離れが出来たのでしょうか……?
次回「マリーチ、号泣する」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




