第七十四話 ヴィティ、突き付けられる
「ヴィティさんって、竜神様のことがお好きなんですか」
真顔でノアさんから聞かれて、私の手からするりと洗濯物が落ちた。
お誕生日パーティから一週間が過ぎ、私たちはすっかり通常営業に戻っている。確かに、あのお誕生日をきっかけに、私とフィグ様の距離が縮まったことは否定しないけれど。
「ど、どうしてそう思うんですか⁉」
「いえ。竜神様がヴィティさんのことをお好きなのだろうと言うことは、一目見てわかるのですが。ヴィティさんも、最近は……特に、ここ一週間ほどは、まんざらでもなさそうに見えましたので」
相変わらず感情の起伏が乏しいノアさんだが、どうやら、他人の感情にはいたく機敏らしい。
慌てて落ちた洗濯物を拾い、ついた草を軽く払って私はごまかす。
「好き、とか、そういうのでは……。どちらかと言えば、フィグ様の横暴にも慣れてきてしまったといいますか、可愛いところもあるな、と思うと言いますか……」
「それで、一緒にいるのが楽しいと思えるようになってきた、と?」
「そんなお医者様みたいな」
とはいえ、それくらいバッサリと言われた方が、こちらも気が抜けて良いのかもしれないな、と私は真顔のノアさんを見つめる。
外聞を気にするとか、恥じらうとか、ノアさんには関係がない。お兄ちゃん以外のことには興味がないのかもしれない。私の想いを包み隠さず代弁してくださるノアさんは、清々しくて、ある意味かっこいい。女々しい兄よりもずっとイケメンに見えるくらい。
「ヴィティさんの、そういう感情を、好きというのだと思っておりました」
「いえ。それは、ないと思います、けど」
「なぜです」
「だって、恋ってもっと、ドキドキしたり、ワクワクしたり、フィグ様のことを思って胸が締め付けられたり……」
するものでしょう、と言いかけて、私は口をつぐむ。どういう訳か、そのどれもに思い当たる節があって。
少し前から……そう、ちょうどノアさんが竜の世話係としてこのお屋敷に来てくださった時くらいから、そういうようなことが時折、私を襲っていたような。
(え⁉ だとすると、もしかして私って……)
今に始まった話ではなく、もっと前からフィグ様のことを意識していたということになる。
フィグ様が、ノアさんと一緒の部屋に入っていったあの日。私がモヤモヤを感じて、どうしようもなく嫌になった、あの瞬間にはフィグ様のことを?
「……っ! ありえません‼」
私がシーツをバサリと広げると、真っ白なシーツの向こうから、ワインレッドの瞳が突き刺さる。
顔を真っ赤にした私の、心を読むように。
「自覚、されましたか」
決してからかう訳でもなく、騒ぎ立てるでもなく、淡々と事実確認を行うような物言いをしたノアさんは、視線を再び手元の洗濯物へと戻した。
続く沈黙が、彼女の静かな一言を私に咀嚼させる。
止まってしまった手に、シーツからじわりと湿気を感じる。きっちり絞っているとはいえ、一度は水を吸っているのだから、重さもそれなりだ。
「代わりましょうか」
「い、いえ!」
手元にあった洗濯物をすべて干し終えたノアさんに声をかけられ、私は慌ててシーツをバサバサと広げなおす。私もこれを干してしまえば終わりなのに。終わりなのに!
「ノアさん、その……」
「なんでしょう」
「恋って、なんでしょう」
「特定の異性を思い慕うことでしょうか。離れたところにいても、ついつい思ってしまってじっとしていられないなんてことも、恋と捉えられるかと」
「そういう学術的なことでは……」
「ですが、ヴィティさんには思い当たる節があるのでしょう」
ノアさんは手を止めている私とは違って、黙々と洗濯桶を片付けている。
「一つ、実験をしてみましょうか」
「実験?」
ノアさんの淡々とした真顔が逆に怖い。私の分の洗濯桶まで抱えて、一歩、私へと近づく。たった一歩なのに、ズイ、と体を寄せられている感じがするのはなぜだろう。圧がすごい。
「ノ、ノアさん……?」
「ヴィティさん。目を閉じてください」
「え、えぇぇ」
「目を、閉じてください」
ワインレッドの瞳の奥に、なぜか力強さがこもっている。どうして。私はノアさんの押しに負けて、思わず目をつぶってしまう。
「想像してください」
スルリと肩に手をかけられ、耳元でささやかれる。しかも、いつもの淡々とした口調でも、声色でもなく、無駄に艶がある。なんで⁉ っていうかどういう状況⁉
「竜神様の、指が迫ってきます。それから、ゆっくりと唇をなぞられて……」
(ちょ、ちょちょちょ! ちょっと待って!)
するりとなぞられた唇に、私の鼓動が全力で音を立て始める。目の前にいるのはノアさんのはずなのに!
「冷たい瞳が、髪の隙間から覗いて……」
サラリと耳元で髪の揺れる音がして、私の胸が痛む。フィグ様に、本当に見つめられているような気がしてきた。やばい、どうしよう。爆発しそう。
「そして、こう、ささやかれるんです」
思わずゴクン、と唾を飲むと、ノアさんが息を吸ったような気配がした。
「……愛してる」
ボフンッ!
爆発しました。えぇ。綺麗に。だって、あのフィグ様は、愛してる、なんて言わないもの! あの美しいお顔で言われたら、誰だって爆発しますよ! 間違いなく!
「やっぱり。ヴィティさん、ご自身が思っているよりも竜神様のことをお好きでいらっしゃるかと」
パン、と軽く手をたたかれ、私はハッと我に返る。顔が真っ赤になっていることに遅れて気づいても、それを冷ますすべはなくて。
「素直になられてはいかがでしょう」
素直からは程遠いような気がするのだが、ノアさんはその実、兄のことになると驚くほど素直な反応を見せるので、反論すらできない。
「べ、別に! フィグ様でなくても、こんなことを言われては誰だって!」
「では、マリーチ様ではいかがです」
「お兄ちゃんですから!」
「他の竜騎士様なら?」
言われて、私は竜騎士様たちを思い浮かべる。うぅん……あまり仕事以外の話をしないせいで、そもそも想像が出来ない。確かに皆様、顔は格好いいと思うのだが、どうにもしっくりこないというか……。
私が首をかしげると、ノアさんに
「そういうことです。ヴィティさんは、誰にでも、ではなく、竜神様だからこそ、こんな風に可愛らしいお姿になられるのでは」
ふっとやわらかに微笑まれ、ここでそのお顔はずるい、と私も口を閉ざしてしまう。
「あの竜神様のことですから、何も問題はないかと思いますが。何かあってからでは遅いですよ」
「何かあってからってそんな……」
「ヴィティさん。どうか、お幸せになってくださいね」
ノアさんの真顔に哀愁が混じっているような気がしたけれど、残念ながらノアさんの完璧なポーカーフェイスを暴くことは出来ない。だが、どうにも説得力がある。
「私と、フィグ様は、その……主と、世話係ですよ?」
「存じ上げております」
「大問題じゃ、ないですか?」
「えぇ。ですが、わたくしは、ヴィティさんに幸せになってほしいのです」
きっぱりとノアさんに押し切られ、私は閉口する。
ダメだ。ノアさんの顔がマジだ。これは、何を言っても聞き入れてもらえない。ノアさんは見た目以上に熱いものを胸の内に秘められていて、何かしらのスイッチが入ってしまうともう太刀打ちできない。
つまり――私に残された選択肢は、イエス、一択だった。
お誕生日をお祝いしてもらって平穏な日常が……と思っていたら、優秀女神様なノアさんがやってくださいました。
フィグ様への想いをついに自覚したヴィティ。
二人の距離に変化は訪れるのでしょうか??
次回「ヴィティ、意識する」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




