第七十一話 ヴィティ、祝われる
翌朝、フィグ様とのぎこちない時間を終えて、私たちは屋敷へと戻ることになった。
ぎこちないと言っても、私が意識していただけのようで、フィグ様はまるで何事もなかったかのようにいつも通りの横暴を振りまいている。
さも当たり前と言わんばかりに
『湖畔で昼食にするぞ』
なんて言い出して、手伝い一つしない。外にテーブルやら椅子やらを並べる私を見ているだけ。自分では何もしないくせになんでそんなに偉そうなんだ、と私がむくれようが、全てを準備し終えた私がフィグ様に感謝を要求しようが、お構いなしである。
ドヤ顔で優雅に昼食をとるフィグ様は、美しい風景に馴染みすぎて、それこそ世界で最も素晴らしい絵画のようであった。……気に食わない。
『貴様も食え』
「……失礼します」
昨晩のあれは、一体なんだったのか。フィグ様をチラリと見ても、フィグ様は知らん顔。
(私ばっかり気にしてるみたいじゃない!)
なんなの、もう。八つ当たり気味に白身魚へナイフを入れれば、ほろりと柔らかに身がくずれた。火加減がちょうど良かったらしい。ふわりと立ち上がる湯気がほんのりとスパイスの香りを運ぶ。
『なんだ、その顔は』
「フィグ様への怒りと、自分の料理の腕への喜びが混ざり合った顔ですけど」
『ワタシへの怒り? ふん、あるわけがない』
「心を覗いてるくせに、良くそんなことが言えますね」
昨日のは一体なんだったのですか、と本日何度目かの問いかけに、フィグ様はピクリと一瞬眉を動かし……やはり、何事もなかったかのように料理を口へ運んだ。
『これはなんだ』
「ごまかさないでください」
『うまい』
「褒められたって嬉しくなんか! ……え?」
『……うまい、と言ったんだ』
「え」
『なんだ』
「いえ、その。フィグ様、やっぱり、昨日からどうしちゃったんですか」
大雨か、大雪がくるのだろうか。すぐさま片付けを始めなければ、と席を立つと、『来るわけがないだろう、座れ』と即座に否定される。
『昨日のことも……からかった訳ではない』
フィグ様が、それはもう惚れ惚れするような所作でカトラリーを皿の上へ置く。どうしてこういう時だけ、そんな完璧に振舞うのだ。いつもは、礼儀作法なんて神の前では通用しないのだ、と私に思わせるくらいの素振りなのに。
『……その、誕生日、とは、そういうものなのだろう。愛を、伝える日だと』
フィグ様はためらいがちにボソリと呟いて、視線を逸らす。後ろで揺れる湖面がキラキラと陽の光に反射しているせいで、後光が見える。
あまりの美男子ぶりに、何を言ってもこちらが赤面してしまいそうで、肯定はもちろん、否定すらできない。
「……って、んん……?」
脳内で会話を巻き戻し、私は黙々と食事を続けるフィグ様に目を向けた。
『なんだ』
「えぇっと……誕生日、って?」
きょとんと首をかしげる私に、今度はフィグ様が一拍置いて私を見つめる。なぜか、フィグ様もきょとんと首をかしげて。
『今日が、誕生日なのだろう』
「誰の、ですか?」
『貴様以外にいるのか?』
「へ?」
『マリーチが、言っていた。今日が、ヴィティの誕生日だと』
「そうなんですか?」
『何も聞いていないのか』
「何も聞いていない、というか……私、幼いころに両親を亡くしてますし、村長にも拾ってもらった身ですから。自分の誕生日なんて、今まで一度も知る機会がなかったと言いますか」
そもそも、貧乏な村では誰かの誕生日を祝うなんて余裕もない。
「本当に、お兄ちゃんが、今日を私の誕生日と?」
『あぁ』
「……知らなかったです」
今までの何もかもを吹き飛ばしそうなくらいの新事実だ。私がポカンと口を開けると、フィグ様は、しまった、と言わんばかりに口元を押さえた。
キョロキョロとせわしなく動く瞳。パチパチとしばたたかれる長いまつげ。ソワソワと揺れる体すべてが、彼の動揺を物語っている。
誕生日を知らなかった私に、あっけなく事実を教えてしまったことを取り消したい? 神様でも、もう遅い。
『べ、別に! 秘密にしていろと言われた訳ではないからな! 誕生日は、別に!』
「誕生日は、って。他にも何かあるんですか?」
『そ、そそ、そそそ、そんなわけなかろう!』
「フィグ様、落ち着いてください。お食事が終わってから、お話はゆっくり聞きますから」
『なっ! ばっ! べ、別にもうこれ以上話すことなどない!』
フィグ様は動揺のせいか信じられない速度で料理を口へ運び、数秒後にはむせていた。
ゆっくり食べないからだ。バカミ様め。
ゴクゴクとハチミツ湯を飲み干したフィグ様は、逃げ去るように立ち上がって……けれど、何かを思い出したのか、ストンと再び腰を下ろした。
「どうしたんですか」
いつも以上におかしな挙動に、さすがの私も食事の手を止めざるを得ない。ちょっとやそっとの言動なら無視できる程度には、フィグ様の神がかった不可思議な行動にも慣れたつもりだったが、昨晩からそれどころの騒ぎではない。
『……その、なんだ……』
座った勢いとは反対に、口はごにょごにょと動かされる。
『……貴様が、ここまで生きてこれたことを、感謝するんだな』
一体どこでそんな中二病全開なお言葉を覚えてきたのだろう。まるで魔王か何かのようである。
私がじとりとフィグ様を見つめれば、フィグ様はプイとそっぽを向いて、
『誕生日は! 生まれてきたことを祝うのだろう!』
と半ば怒りの混じったような声で叫ぶ。
『ワタシが神でなければ! 貴様はここまで生きてはこれなかっただろうからな!』
「感謝しろって言ってます?」
『当たり前だ! 言われなくてもするがいい!』
「するがいいって……。生まれてきたことを、お祝いしてくださるんじゃなかったんですか?」
ここまで生きてこれたのだって、フィグ様のおかげというよりは、村長や村の人々のおかげである。他人の手柄を横取りするのは良くないぞ、フィグ様。
「お誕生日のお祝いは、おめでとうって言うんですよ」
『ふん。別に、めでたくなど……』
「お誕生日は、その人が主役なのでは?」
つい先日、フィグ様がお誕生日だった際に放ったセリフが、ここで活きてこようとは。
『なっ⁉』
「神様がおっしゃっていたことですもの。きっと、正しいことなのでしょうね」
したり顔で微笑んで見せれば、フィグ様はカスカスの口笛を鳴らした。
(フィグ様、口笛もへたくそだわ……)
『う、うるさい! 貴様に言われたくないわ!』
「フィグ様に、お祝いしていただきたかったのになぁ。残念だなぁ。神様なんて、やっぱり信じるもんじゃないなぁ」
ネチネチとフィグ様を言葉でつつく。さすがのフィグ様も、自分が言ったことを撤回するわけにはいかないのか、あからさまに歯噛みして悔しそうだ。
『……じょうび……で、と……』
「すみません、聞こえませんでした」
フィグ様、もう一回。私がピッと人差し指を立てると、フィグ様は悔しいのか、恥ずかしいのか、顔を真っ赤にして叫ぶ。
『誕生日! おめでとう!』
その声はどこまでも遠く、澄み切った湖を渡り、丘を越え、秋空いっぱいに響き渡った。
祝われるまで、自らがお誕生日と知らなかったヴィティですが、驚きもさることながら、喜びが勝ったようです。
フィグ様も、無事にヴィティをお祝いすることが出来ました!
ヴィティのお誕生日はまだまだ始まったばかり! ここから素敵な一日のはじまりです!
次回「ヴィティ、着飾る」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




