第七十話 フィグ、プレゼントする
ヴィティがためらいがちにベッドへ腰かけた。その音がやけに耳につく。ギシ、と軋むベッドは、いつも寝ているものとは違う感触で落ち着かない。いや、本当は、ヴィティが隣にいるということが、ワタシの冷静さを奪っている。
「し、失礼します……」
ぎこちなく、少しだけ震えた彼女の声が緊張を生み出して、こちらまでつられて緊張してしまいそうになるから煩わしい。
『いつもの騒がしさはどうした』
軽口をたたかねば、どうにかなってしまいそうな空気感。ワタシの意をくんだのか、ブランケットにくるまって、こちらに背を向けるヴィティがモゾモゾと動いてから
「いつも、騒がしくないです」
と小さく返事をする。口答えをする余裕はあるようだが、その声に覇気はなく、心の声は、もう早く寝てしまおう、なんて。少しばかり寂しいと思ってしまうのはなぜか。
(意識させることが出来ただけでも、よしとすべきだろうか)
神様なんて大仰な名前を付けられても、ワタシは竜だ。特別な力を持っていようと、人間の心までは縛れない。何より、肝心なところで二の足を踏む自分に辟易してしまう。
愛する者に怯えられたくはない。
『ヴィティ』
ゆっくりと声を出す。思ったよりも甘い声になってしまって気恥ずかしいが、彼女の髪にそっと指を絡めれば、彼女はピクリと体を動かした。
「なんですか」
やはり、こちらを向いてはくれない。
けれど、心の中で彼女が考えていることは全て筒抜け。そのどれもが、ワタシを意識しているもので、嬉しくなってしまうから困ったものだ。だらしのない顔になるのをこらえるため、人間が持つ表情筋をなんとか活用する。
『認めろ』
「何をです」
『……全てを』
ワタシが、貴様を愛していることも。貴様が、ワタシを受け入れていることも。
そっとヴィティの体を抱きよせる。彼女の顔が見えないのは残念だが、腕の中に春のようなぬくもりを感じれば、それだけで胸が満たされるような気持ちになった。
「フィグ様。私とフィグ様は、世話係と主です」
もう、何回と聞いた彼女の言い分でさえ、今は照れ隠しであり、本心を隠すものだと分かっているから余計に。
「寒いなら、ブランケットをもう一枚かけてください」
足元にあるでしょう、とヴィティが腕の中でモゾモゾと決死の抵抗を見せた。
そう簡単に逃がしてやるものか。
ギュ、と力を込めれば、ヴィティが「フィグ様!」と声を上げる。
『ヴィティは、ワタシのことを愛しているのだろう』
「なっ⁉」
ワタシが彼女を愛しているとは言えず、口をついて出た言葉はそんなちんけなものだった。
また、素直じゃないと笑われるのだろうな、とは思うものの、どうしてかうまくいかないのだ。二千五百年生きてきて、愛を語ったことなど一度もないのだから仕方がない。
心の奥底までフリーズしてしまったヴィティに、なんとかいえ、と彼女の髪に顔をうずめれば、ヴィティは我に返ったのかガバリと身を起こした。
その衝撃で、ワタシの顎とヴィティの後頭部が直撃し、互いにバッと体を離す。
「いったぁ……!」
『貴様! 主に向かって』
「だって! フィグ様が!」
『ワタシがなんだ』
「へ、変なことを言うから……」
『変なこと?』
「あ、愛してる、だなんて……」
真っ赤な顔に、痛みのせいかうるんだ瞳。ようやく彼女の顔を見ることが出来た、と思ったらそんな破壊力抜群な乙女の顔で、ワタシは心臓を鷲掴みにされたのかと思った。
目を見開けば、彼女もハッと目を伏せる。
この一瞬の流れすべてを切り取って、永遠に宝物庫へ閉じ込めてしまいたい。
『ヴィティ』
「……やっぱり、一緒には寝られません」
『逃げるな』
ヴィティ、とベッドから出ようとする彼女の手を取って、再びこちらへ引き寄せる。竜の力も使って、彼女を無理やり腕の中へ閉じ込めてしまいたくなる。
「おやめください、フィグ様」
『なぜだ』
「だって、おかしいです。こんなの。私たちは、世話係と、主で……フィグ様は、神様で……身分も違うし、寿命だって違う! 生き方も、何もかもが違うのに!」
『だから、何だというのだ』
「だから、愛だとか、そんなのは、変ですよ」
彼女の声は、だんだんと小さく、弱くなっていく。それに反比例するように、腕の中におさまった彼女の体温は上がっていって、鼓動の音は早くなった。
『神だって、一人の人間に寵愛を授けることはあるだろう』
それこそ、昔から伝わる神話なんてものは、愛憎にまみれたものばかりだ。何を今更。
ワタシは貴様を逃がすつもりなどないぞ、とヴィティに念を押すように力を込めれば、ヴィティもついに大人しくなった。
「……フィグ様のこと、好きだ、とか、思ったこと、ないです」
神様なんて嫌いだと、出会った時からそう言っていたヴィティが、ずいぶんとしおらしくなったものだ。
『これから、思えばいいだろう。いくらでも』
「そんな、変な告白ってないです」
『うるさい』
「だって、私……本当に意識したことなんて」
そりゃ、フィグ様の顔はかっこいいし、たまには良いところだってあるし、と声に出したものよりもずっとうるさい心の声に、ワタシの口角が上がる。
『もう、十分しているだろう。今日から、毎日、意識しろ』
「なっ! なんですかそれ! 無理です!」
『無理じゃない』
「だいたい! 本当に私、フィグ様のことなんて!」
『こっちを向いて、ワタシの目を見ろ』
「……無理! 無理です!」
『ワタシの目を見て、はっきり言ってみろ』
できないのか、と煽れば、ぐっと口を結ぶ彼女がいじらしい。目を見て、はっきり、好きじゃないと言われればいくらか納得も出来る。けれど、ヴィティがそれを出来ないのは、それが嘘だからだ。
そのことが分かっただけでも、十分な収穫である。
(まぁ、いい。いくらでも時間はある)
焦って良いことなどない。人間とは、時間をかければかけるほど、愛を感じる生き物だと聞いたことがあるからな。あまりいじめ過ぎても拗ねてしまうし、とワタシが腕をほどくと、彼女はひどく安堵したようにホッと肩をおろした。
「からかい過ぎです。もう、寝ますから!」
ヴィティは、真っ赤な顔を見られぬように、とガバリとブランケットをかぶってワタシから離れたところに体をうずめた。
大人二人が寝ても余裕のある広いベッドは、ワタシとヴィティの間に人、一人分の隙間があったって問題がない。
彼女はそれを見越して、ベッドのはじっこに丸まっているのだ。
ほんの少し離れた、いつでも手の届く距離が、いつか埋まる日を夢に見る。
今日は、それで十分だ。
ワタシがフッと笑うと、「笑わないでください!」と怒られた。まったく、神の寵愛を受けてなお、それを素直に認めないとは。変わった乙女がいたものである。
「……おやすみなさい、フィグ様」
ろうそくの明かりが消える。
静かな夜を満たすのは、二人の鼓動の音だけ。けれどそれも、しばらくすると、ヴィティのやすらかな寝息に変わった。
『全く、愛いやつめ』
この状況でも寝れる肝の据わった彼女。ヴィティの小さなおでこにそっとキスを落としてやれば、彼女はむにゃむにゃと口元を動かした。
ヴィティの額に、ほわっと、雪のように白銀の柔らかな光が輝く。
(神からの寵愛を受けられるのだ。光栄に思えよ)
ヴィティの未来を良きものにする力。プレゼントに相応しいだろう、とワタシなりに考えたものだが、喜んでくれるだろうか。
彼女の、誕生日がやってくる。
ついに! 特別な夜を迎えた二人。
フィグ様からのちょっと変わった愛の告白に、ヴィティも意識せざるをえない状況に追い込まれましたが……肝が据わっているのでラストはしっかりお休み出来たようです。(笑)
そして、いよいよお誕生日当日がやってきます!
次回「ヴィティ、祝われる」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




