第六十九話 ヴィティ、思い出を作る
湖畔に一軒、他の家々に比べるとまだ新しさの感じられる屋敷が建っていた。突貫でいくつか修理をしたような跡があるのは、きっと竜騎士様たちの努力の証だろう。
フィグ様のお屋敷には到底かなわないが、それでも相当な屋敷だ。
『おそらく、貴様の家だ』
「私の?」
『マリーチが、そう、言っていたからな』
「お兄ちゃんが……」
お兄ちゃんも長い年月は暮らしていないだろうけれど、記憶はしっかりと残っているのだろう。どうやら、このサプライズには兄も一枚噛んでいるらしい。私が納得すると、フィグ様はしまった、と顔に出した。
(お兄ちゃんには、内緒にしてるように言われたのかしら)
私がふっと口角を緩めると、フィグ様に『うるさい』と小突かれる。何もしゃべってないのに酷い。
『入るぞ』
感慨に浸る間もなく、フィグ様が屋敷の扉を開ける。扉の鍵は壊れたまま。人がいない村で、確かにこれは修理する必要もなさそうだ。
屋敷の中は、想像していた以上に綺麗だった。竜騎士様たちは掃除が苦手だから、おそらくこの辺りの村の人をたぶらかしたのだろう。美しい顔と大金があれば、過去に流行り病で壊滅した廃村だろうが、動く人間は動くのである。
『情緒を知らんのか』
「……フィグ様に言われるなんて、感慨深いですね」
冗談のつもりだったが、フィグ様に顔をしかめられて、私は思わず笑い声をあげた。
家に残されたものを探していけば、もしかしたらそのうち情緒なるものが沸いてくるかもしれない、と私が考えた矢先
『湯浴みする。場所はどこだ』
心を読んだフィグ様に気を遣われた。
『べ! 別に! そういうつもりじゃ!』
「そうなんですか? 一緒に家の中を見て回ってくださるのかと。思い出の品を探したり、感慨に浸ったりしてくださっても良いんですよ?」
『ふん。湯浴みする場所が見つかるまでなら、付き合ってやらんこともない』
「よろしくお願いします、フィグ様」
懇願とまではいかずとも、私がお願いすれば、フィグ様はまんざらでもないのか、ふんと鼻を鳴らして一歩先を行く。
フィグ様の屋敷に慣れてしまった私には、そう長くはない廊下だった。壁にかけられた絵画に見覚えはない。もちろん、廊下に置かれた花瓶にも。花は生けられていなかったけれど、両親は花が好きだったのだろうか。
部屋をいくつか開けてみても、やっぱり記憶にはなかった。けれど、ベッドルームを見つけた時には、プライベートな空間だからなのか、両親はここで暮らしていたんだな、と自然に思えた。
大人二人が寝ても余裕がありそうなサイズだけれど、お兄ちゃんも、ここで寝てたんだろうか。小さいお兄ちゃんも見てみたかった。
それから、何やら小難しい計算の跡が残った石板やら、木版やらが積み上げられている部屋もあった。父が仕事でもしていたのだろうか。掃除はされているようだが、さすがに石や木を綺麗に整頓する術はなかったようで、無造作にあたりに積まれている。
リビングルームには、一枚、大きな絵が飾られていた。
おそらく、両親と、兄。それから――
「私……?」
母の腕の中で、真白な布にくるまれて眠っている赤ちゃんの絵。両親の顔は分からないけれど、兄はどこか面影があるから、おそらくそうなのだろう。
『金はあったらしいな』
フィグ様こそ情緒がない、と思うものの、確かにこんなに大きな、しかも精巧な絵を画家に頼めるくらいには裕福だったらしい。だから、お兄ちゃんはベル家なんて軍人の家に養子としてもらってもらえたのかもしれない。
でも、それ以上に。
「ちゃんと、思い出がありましたね」
私の記憶にはない、新しい思い出が一つ出来上がったのである。
両親の顔を忘れないように、と私はその絵を目に焼き付けた。珍しい瞳の色は、父親譲りらしい。珍しい髪色は、母親譲りだ。幸せそうな二人は、生きていればきっと、私をこんな肝の据わった乙女ではなく、可憐な乙女に育て上げたことだろう。
『ありえんな』
フィグ様に一蹴されて、私がむっと顔をしかめると、フィグ様はその絵を見つめたまま、どこか懐かしむように母親を指さした。
『貴様は、あの娘によく似ている』
「え?」
『神だから、分かるのだ』
フィグ様は意味ありげな微笑を浮かべたかと思うと、私の頭を乱暴にくしゃくしゃとかき乱した。
『湯浴みの場所を探すぞ』
フィグ様、と彼を引き止める前に。フィグ様はひらりと踵を返す。
(お母さんに、似てる、か)
リビングに飾られた絵の方へ一瞬振り返ると、絵の中の両親が私に向かって微笑みかけてくれたような気がした。
結局、夜はいつも通りのせわしなさに見舞われた。しかも、最近はノアさんがやってくださっていた仕事をまた一人でこなす羽目になり、慣れない家で四苦八苦することになる。
明かりを灯すのも、料理をするのも、フィグ様のお着替えを用意して、ベッドメイキングをするのも。
特に、ベッドメイキングが厄介だった。
おそらく、兄と私がまだ小さいころに住んでいた家だったからだろうと思うのだが、空き部屋はあっても、ベッドがない。両親が二人並んで寝ていたであろう、あの大きなベッド以外、この屋敷のどこを探しても見つからないのだ。
つまり、寝床は一人分しかない。ここで、ベッドメイキング前にやたらと時間を食われてしまったのである。
まさか、フィグ様と一緒に眠るわけにはいかない。フィグ様は竜だけど、人間の形をしている以上は男女の不純異性交遊だ。そうでなくても、主様と同じベッドだなんて。
どうすべきか、と悩んで、結局私がリビングのソファで寝る以外にはない、と結論付けるまでに、フィグ様が湯浴みを終え、キッチンでは鍋が泡を吹き、ベッドメイキングも満足にいかないまま、夜を迎えてしまった。
『どこへ行く』
食器洗いを二人で済ませ、さぁ、後は寝るだけ、という段階でリビングの方へ向かった私に声がかかる。
「リビングですが」
『またあの絵か?』
「それも、ありますけど。今日はリビングで寝ようかと」
『ベッドルームがあっただろう』
「一つだけでしたので、フィグ様がそちらでお休みになられてください」
私の言葉に、フィグ様は神妙な顔つきでこちらにチラと視線を投げかける。意味深なその目線が語るのは、たった一つだけ。
『同じベッドで寝れば良いだろう』
いつもとは真逆の、熱い、熱い視線にゴクリと唾を飲む。
(この神様、ご自分のおっしゃっている意味を分かっているのかしら)
思わずそんなことを考えてしまうほどには、フィグ様の言葉は重たくて、私にはとても了承出来るものではない。
だというのに、フィグ様は真剣で、そのまっすぐな瞳に吸い込まれてしまいそうになる。
「同じベッドで……って」
私とフィグ様は、世話係と主だ。恋人でもなければ、家族でもない。
『主が良いと言っているのに、なぜ、貴様はためらう』
確かに主の命令であれば、世話係として付き従うべきだろう。
フィグ様は竜で、人でもない。生物学的に言えば異性だけれど、違う種族だし。なんなら、神様だし。だから、意識することも、ないはずなのだけれど。
これ以上は、気づいてはいけない。
私の中の何かが、警鐘を鳴らしていた。
ヴィティの記憶にはない新しい思い出が早速出来ましたね。
きっとご両親も天国で、ヴィティとフィグ様のやり取りを優しく見守っていることでしょう……。
次回は、フィグ様と一夜を(まさかベッドまで)共にすることになったヴィティ。
ついに二人の(物理的)距離はゼロへ……!?
次回「フィグ、プレゼントする」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




