第六十六話 ヴィティ、サプライズされる
翌朝、やはりと言うべきか大量の毛布にくるまったフィグ様をたたき起こすところから始まった。朝、というより、もはや昼に近い。
昨日の『心配ない』とは一体何だったのだろうか。今のところ心配しかない。
「フィグ様! 今日からお出かけなのでしょう?」
これではまるで、私が旅行を楽しみにしているみたいではないか。
いや、実際楽しみにしていないわけではない。旅行なんて初めてだし、フィグ様と二人きりとはいえ、こんな風にどこかへ出かけられるなんて思ってもみなかったから。けれど、自ら望んだことではないのだし……。
とにかく、そんな複雑な思いを抱えながら、私はモゾモゾとベッドで体を動かすフィグ様の体をゆする。
『……起きてる』
「それ、寝てる人のセリフで……ひぁっ⁉」
フィグ様に腕を掴まれて、私の体のバランスが崩れる。引かれた腕はフィグ様の毛布の中へ。抵抗する間もなく、ふかふかのベッドにダイブしたその先――
「っ!」
宝石のように透き通ったフィグ様の視線にぶつかって、私は反射的に顔をのけぞらせた。
毛布にくるまれていても、フィグ様の吐息はひんやりと冷たい。それが余計に、顔に集まった熱を自覚させる。
『起きている、と言っただろう』
ふっと勝ち誇ったようなドヤ顔でさえ整っているのだから、神様ってやつはずるい。なんでもかんでも、神様なら許されると思っているに決まっている。
「わ、分かりましたから!」
心臓に悪い。どれだけ見慣れても美しい顔が、本当に数リィン先にあって耐えられるはずがないのだ。そこまで肝も据わっていない。
私がガバリとベッドから体を起こして距離を保つ様でさえ、フィグ様には面白いらしい。世話係が焦っている様子を見て楽しんでいるなんて、本当に性悪。意地の悪い笑みを朝から浮かべるんじゃない。
「とにかく、早くお支度なさってください。昼食を食べてから出発するのであれば、そのようにノアさんにお伝えしないと」
『……いる』
「では、ノアさんに昼食をお願いしてきますから。それまでに着替えておいてくださいよ」
『待て』
「……まだ、何か」
飲み込んだため息が再び出てきそうになって、私は笑みを取り繕った。
フィグ様の態度は、あまりにもいつも通り。本当にこれから旅行に行くのか怪しいくらいだ。本当に、私が楽しみにしているみたいで恥ずかしい。
『その、格好で行くのか』
「え、えぇ。そのつもりですが」
いつも着ている服装に比べれば、ほんの少しだけ派手なものにしたつもり。どこへ行くのか分からなかったから選びようもなかったのだが、王都みたいに賑やかなところでは、いつもの服装も逆に目立ってしまいそうだったから。
「何か、ご不満が?」
『いや、その……』
「なんですか。はっきり言ってください」
『わ、悪くないと、思っただけだ』
ツンと顔を背けるフィグ様の意外な褒め言葉に硬直してしまう。まさか、フィグ様からそんな風に言ってもらえる日が来るとは。
(道中、吹雪に見舞われたりするのかしら)
着いてから地獄、なんてこともあるかもしれない。
『失礼な!』
相変わらず、私の心を勝手に読んでむっとするフィグ様の声に我に返った私は、ただ、漠然と「ありがとうございます」なんて他人行儀な挨拶を付け足して、やけにうるさい鼓動を抑え込む。
「そ、それでは! また後程!」
フィグ様からの褒め言葉が現実のものだと認識し、どうにも落ち着かなった私は、バタバタとフィグ様の部屋を後にしたのだった。
昼食を終えたフィグ様が玄関先に現れた時、私はその姿に惚れ惚れしてしまった。
『なんだ』
「……よく、お似合いです」
まさに、旅行に相応しい華やかな格好。普段のフィグ様からは考えられない服装のチョイスに、お兄ちゃんや竜騎士様たちの努力が見える気がする。きっと、一緒に選んでくださったのだろう。
『ふん。……当たり前だ。行くぞ』
フィグ様は、どういう訳か言葉とは裏腹にギクシャクとした足取りで外へ向かう。
玄関扉を開けようと待っていた私の隣で一度立ち止まって、大きな咳払いを二つ、わざとらしくして見せた意味は分からない。
私がきょとんと首をかしげると、フィグ様は『ん』と私の方へ腕を差し出した。
「えっと……?」
やはり意味不明だ。健全なお付き合いをしている男女ならばこの腕を取るのだろう。けれど、あいにくと私とフィグ様はそうではない。だとすればこの腕の意味は……。
フィグ様はその腕をおろすつもりはないらしく、ズイ、と再び私の方へ差し出した。
嘘でしょ。そんな内心の呟きに、フィグ様の鋭い視線が刺さる。嘘じゃない。そう言っている気がする。竜の心は、読めないはずなのに。
「えっと、では、失礼、して?」
私がおずおずとフィグ様の手を取ると、フィグ様はまんざらでもなさそうに、鼻を鳴らした。
「それではお二人とも、お気をつけて」
ダメ押しと言わんばかり、そんな私たちを見て、なぜか嬉しそうなノアさんと、複雑な顔をしたお兄ちゃんに見送られる。
「え、えっ! ちょっと!」
私の心の準備もまだだというのに、私の体を引きずるようにフィグ様がズカズカと歩いていくので、あっという間に二人の姿は小さくなってしまった。
(ええい! もうどうにでもなれ!)
私が持っていたカバンを持ち上げて、なんとか手を振ると、二人も大きく手を振り返してくれた。
『しっかり捕まっておけ』
私の腕をさらにぐっと引き寄せたフィグ様に、私が「え」と再び前へ視線を戻すと、フィグ様はすっと虚空に足をかける。
「え、ちょっ!」
次の瞬間には、目も開けていられないほどの暴風が私を包んだ。
「ひぃぁぁぁぁあああっ⁉」
天高く、秋空に響く絶叫は、王都の方まで届いていたに違いない。大声選手権が開催されたら、間違いなく私が一位だ。
『うるさい』
「うるさいってフィグ様のせ……い?」
頭に響く声に反応して、私は、自らの下半身に感じるひんやりと冷たい、それでいて硬質な感触に目を開けた。
いつの間にか、フィグ様が竜になっている。
「寿命が縮まった気がします」
フィグ様の特別な力で、しっかりとフィグ様の体の上に固定されているようで、顔と手以外は動かせなかった。
鱗をペチペチと手でたたいて手荒なフィグ様にせめてもの抗議をすれば、彼は
『サプライズだ』
とそっけなく返事をくれる。
「サプライズって……。最近、良く聞きますけど、ハマってるんですか?」
『別に』
「まさか本当に、フィグ様に乗って旅行するなんて思ってもみなかったです」
『……ふん。これが一番、楽なだけだ』
「フィグ様らしい」
確かに、自らの力でどこまでも行けるフィグ様に、馬車なんて似合わない。
「どこへ行くんですか?」
そろそろ教えてもいいだろう。そんなニュアンスを込めて問いかければ、フィグ様はボソリと呟いた。
『……ヴィティの、村だ』
「はぇ?」
予想していなかった答えに、私は素っ頓狂な声を上げてしまう。
『行きたい、と言っていただろう』
フィグ様はそれきり、何も話してはくれなくなった。
どうやら私は、まだまだフィグ様のサプライズに踊らされるらしい。
陽の光を受けて、何色にも輝くフィグ様の鱗が、彼の飛行に合わせてゆらゆらと波打つ様子はやけにまぶしかった。
ヴィティへのお誕生日サプライズがいよいよ始まりました!
フィグ様とのご旅行、その行先はどうやらヴィティが育った村のようです。
久しぶりになる村への帰省。フィグ様は、ヴィティに喜んでもらえるのでしょうか?
次回「ヴィティ、帰省する」
何卒よろしくお願いいたします♪♪
※作中単語、数「リィン」は、数「ミリ」のこと。
ヴィティたちが住んでいる国、ヘルベチカの長さの単位です。




