第六十五話 ヴィティ、旅行に行く?
お屋敷が華やかになった理由も分からぬまま、数日が過ぎた。
突然お花があちらこちらに飾られた時はこんなに驚くことも早々ない、なんて思っていたけれど――その驚きを軽く超える出来事は、意外にもすぐに訪れた。
「……旅行?」
「えぇ。竜神様とご一緒にお出かけなされてはいかがでしょう」
昼食を終え、ノアさんから休憩に誘われただけでも、正直、吹雪が来るのではないかと疑ったくらいなのに。主様と二人で出かけてこい、なんて言われては言葉を失う以外にない。
正直に言えば、驚きを超えて、夢か幻か、とノアさんに三度問いただしてしまったくらい。四度目を問いただそうか、と考えてしまっている時点でもうダメだ。
「その、どうしてそんなことに?」
「そんなこと、と言うのは?」
「旅行のことです。急に一泊二日だなんて。それも、フィグ様と二人で!」
「主様が望まれておりますので、それ以上はわたくしも」
ノアさんはいつもの真顔を微塵も崩さず、カップへと口をつけた。並々とそそがれたホットミルクはノアさんが入れてくれたもの。私も、気持ちを落ち着けようとカップを口へ運ぶ。ほっとするような温かさが、冷静さを思い出させてくれるようだ。
フィグ様が言い出したことは理解できた。ノアさんに聞いても、おそらく詳細は分からないだろうということも。
「ちなみに、それっていつの話かって……」
「明日の昼には発つと聞きましたが」
「へ?」
聞き間違いではないらしい。ノアさんはもう一度「明日の昼には」と繰り返した。
お兄ちゃんといい、フィグ様といい、どうして私の周りの男共はこうも急に予定を言い出すのだろう。
ツェルトの町に少し買い物へ行くとか、王都へ出かけるだとか、それくらいならまだしも、一泊二日となればそれは立派な旅行である。着替えの準備もしなければならないし、フィグ様と一緒に、なんて、それ以上に大仰な準備が必要だ。
行先も分からないし、行った先に何があるかも知らない。食べ物だってどうするつもりなのだろう。
だいたい、言い出しっぺのフィグ様って、こういうときになんにも準備しないじゃない。きっと、私かノアさんがしてくれると思ってるんだわ。今も、ダラダラと惰眠をむさぼっているに違いない。
「ノアさん、ちなみに、行先は?」
「すみませんが、わたくしは……」
ノアさんは再びそこでカップを口に運んだ。
「そうですか」
やっぱり、ノアさんも詳しいことは知らないのだろう。むしろ、どうして私が知らないのか、心の底では不思議に思っているくらいかもしれない。おくびにも出さないあたりは、さすがノアさんである。
「留守はお任せください。留守の間、わたくしに出来ることがあれば、何なりとお申し付けくださいませ」
真顔のノアさんに、そんな風に締めくくられては、私もそれ以上は追及できず。
というか、フィグ様ご要望の時点で断るのは無理だ。主の命令は絶対。なんてったって、神様のお達しである。時代が時代ならば、信託を受け取った人々が皆ぞろぞろと明日から大行列を作って、旅行に出かけたことだろう。
「準備……といっても何をすれば良いのか」
「でしたら、お手伝いいたしましょうか」
「良いんですか?」
「えぇ。明日は一日時間がありますから、今日は少しくらい仕事を片付けなくてもかまいません。ヴィティさんのお仕度が一番です」
「ノアさんみたいな、お姉さんが欲しかったです」
「……わたくしは、一人っ子ですが」
「そういう天然なところも好きです」
私がノアさんの手をガシリと握って、女神ノア様を崇め奉ると、彼女は珍しくドン引きを顔に出した。
案の定、というべきか。
フィグ様の支度は夜になっても終わらなかった。旅行に行きたいのはフィグ様ではないのか。
「フィグ様! お洋服をかばんに詰めておいてください、と言いましたよね⁉」
『い、今からやろうとしていたところだ!』
床に散乱した服を一枚ずつ拾い上げて、私はフィグ様をじとりとねめつける。
「どうしてこんなに散らかってるんですか。一泊二日なんですから、こんなにたくさんのお洋服は必要ありませんよ」
『べ、別に! 気に入ったのがなかっただけだ!』
「選んでたんですか?」
『……美しい洋服を着ろ、と……貴様が、言ったのでは、ないか』
しりすぼみなフィグ様の声に、私は唖然とフィグ様を見つめた。手に持っていた洋服を落としそうになるほど。
今日は驚きの連続。なんとか、あのフィグ様が身なりに気を遣うなんて、という言葉を飲み込んで、目をしばたたかせる。やっぱり長い夢を見てるのかしら。
『せせ、せっかくの! デート……だから、な』
「は?」
『マリーチが、そう、言っていた』
「誰と、誰が、デートなんです?」
『ワタシと、ヴィティに決まっておろう』
「……フィグ様、デートの意味をご存じで?」
『そ、それくらい分かっている!』
分かっているならどうして、私とフィグ様の一泊二日の旅行がデートになるのだ。私とフィグ様は、ただの世話係と主である。デートなんて高尚なものではない。私にとっては仕事に他ならず、むしろ、フィグ様の一人旅と言っても差し支えないのだ。
『な⁉』
「なんで驚くんですか」
もしかして、お兄ちゃん、フィグ様にわざとデートの意味を間違えて教えたのかしら。
「とにかく、フィグ様。お仕度を終わらせていただかないと、明日から旅行には行けませんよ」
『わかっている!』
「そもそも、どこへ行かれるおつもりですか?」
『言わん』
「デートスポットを内緒にされて、喜ぶ女の子と、喜ばない女の子がいることを学んだほうが良いですよ」
『む』
「だいたい、どうやって行くんです。場所も告げずに、馬車は走らないんですから」
『馬車など使わん』
「……もしかして」
フィグ様の背に乗ってひとっ飛びか。そんな考えが頭をよぎった瞬間、フィグ様はドヤ顔でうなずいた。職権乱用も良いところだ。
「お食事や、寝泊りする場所はどうするんです?」
『問題ない』
フィグ様はさらりと言ってのけた。神様に不可能はないらしい。どうしてそんなにドヤ顔なのか、と思案して、私は一つの可能性に行きつく。今までなら気づかなかったけれど、最近、私のお手伝いなどを進んでしてくれるようになったフィグ様なら、あり得るかもしれない、奇跡みたいな可能性に。
(……ん? まさか……)
「このご旅行って、フィグ様が、全てご準備を?」
あの、フィグ様が?
私がおずおずとフィグ様を見やれば、彼はきょとんと首をかしげる。
『何のことだ』
「いや、問題ないって……」
『食事も、屋敷も、竜騎士が全て手配している』
なんだ。やっぱりそうか。どうりで最近、竜騎士様たちがやけに忙しそうにしていた訳である。
私ががっくりと肩を落とした意味を、フィグ様は理解するつもりもないらしく、選んだ洋服をかばんにしまっている。
「フィグ様、出来れば今度から、旅行に行くならもっと早くにおっしゃってくださいね」
『ふん。サプライズ、だ』
「サプライズ過ぎますよ」
だんだんと話が繋がってきたぞ、と私は最後の一枚となった洋服をタンスに戻して、フィグ様に就寝の挨拶を一つ。
「朝も、きちんと起きてくださいよ」
『心配ない』
ドヤ顔のフィグ様ほど危険なものもないと思うが……私が念押しすれば、フィグ様はやはり、自信たっぷりの笑みを浮かべた。
いよいよフィグ様が本格的に始動です! 偉いぞフィグ様! 頑張れフィグ様!
お誕生日をお祝いするための一泊二日の旅行、果たしてフィグ様とヴィティの距離は縮まるのでしょうか??
そして、旅行の行先とは……?
次回「ヴィティ、サプライズされる」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




