第六十四話 マリーチ、暗躍する
今回は、お誕生日のサプライズを準備するマリーチさん視点です。
俺は、一枚の羊皮紙を前にふむ、と頷いた。
びっしりと書かれているのは一日のスケジュール。もちろん、ヴィティの誕生日パーティについての。
最愛の妹の、初めての誕生日パーティ。必ず成功させなければ。
「マリーチ様」
普段はガランとしている応接間をノックされ、俺は顔を上げた。ノアの声だ。
「どうしたんだい」
扉を開ければ、ノアが珍しく困惑を顔に浮かべている。表情の変化が乏しい彼女だが、長く一緒にいればわかる。そして、その表情が比較的珍しい部類であることも。
「……お花が、届いたのですが」
先日、竜神様がヴィティから仕入れた情報では、ヴィティは花に憧れがあるという。確かに、あの小さな農村では、自然に生えた花しか見ることは出来ないだろう。王城に飾られているような花はもちろんのこと、ツェルトの町を飾る軒先の花でさえ、ヴィティには珍しいものだったに違いない。
だからこそ、この誕生日パーティでは気合を入れた。
「少々、量が多く」
入れ過ぎたらしい。俺も、竜神様も、ヴィティのこととなると盲目になってしまうのだ。
花の発注をした時は、ストッパーのノアがいなかった。だから、まぁ、こうなることはしょうがないだろう。
「多い分には問題ないさ」
幸いにも、この屋敷は広い。無駄、と言っても過言ではないほど。余った花はその辺に生けておけばいい。ヴィティの部屋にだって飾ってやれる。
俺が立ち上がって、手伝うよ、とノアに声をかければ、彼女はためらいがちにうなずいた。
いまだに元主人の息子に手伝わせる行為を躊躇してしまうノアの素直な性格に、いじらしいと口元を緩ませると、なんともいえない表情を向けられる。
「ヴィティは?」
「本日は、東の建屋の掃除を、竜神様と一緒にしていただいております」
「それは良かった。宝物庫の掃除なんて、一週間あっても終わらないからね」
「……良いのですか?」
「何がだい?」
「主様を働かせるなんて」
「良いのさ。それがヴィティのためにもなるし、竜神様にとっても良いことになる」
ノアは表情を作る代わりに軽く首をひねって、理解できない、と表現した。
竜神様がヴィティを良く思っていることも、ヴィティが仕事中毒なのも理解は出来ているようだが、だからと言って、竜神様を働かせるというのは納得できないらしい。
「神様だろうが、竜だろうが、好きな子のために何かをしてあげたい、って気持ちがあるんだろう」
「それは、分かっております。わたくしが言いたいのは……」
ノアは言いかけて、口をつぐんだ。
「俺はもう、主人の息子じゃない。君の同僚だ。遠慮はいらないよ」
続きを促してやれば、彼女は逡巡の後、目を伏せる。
「マリーチ様は、よろしいのですか」
「ん?」
どうしてそこに、俺の名前が出てくるのだろう。今の話のどこに関連性が、と頭の中で結びつきを探しているうち、彼女が先に口を開いた。
「マリーチ様は、ずっと、ヴィティさんに隠していらっしゃいます。今回のパーティのことも、普段、どれほど竜騎士として働いているかということも。すべて、ヴィティ様のためではないのですか」
それを、ヴィティに認められることもなく、ただ、竜騎士の兄としての立ち位置で良いのか。
彼女が真に聞きたいことは、そういうことだろう。
ノアも、俺と小さい時からずっと一緒にいるせいで、俺のことにはずいぶんと敏感らしい。
軍人として育てられてきて、本当の気持ちを隠すことなんて、朝飯前だと思っていたのに、どうやらまだまだのようだ。
「俺は、ヴィティのお兄ちゃんだよ。妹の幸せを一番に願ってる。俺自身が、ヴィティにどう思われようが関係ないんだ」
「自己満足、です」
「そうだね。ノア。本当は君にも、分かるんじゃないのかな」
意図的に笑みを浮かべれば、ノアがほんの一瞬、泣きそうな顔をしたような気がして、俺の笑みも思わず自嘲的なものへと変化してしまう。
こんな話をしたかったんじゃない。
もっと幸せな、ヴィティの誕生日についてのことや、ノアの最近の仕事についてや、ヴィティと神様の関係性についてのあれやこれやを冗談を交えて話したかったのだ。
(失敗したな)
俺は小さく頭をかいて、ノアと二人、長い廊下を黙々と歩いた。
「確かに、これは……頼み、すぎたね」
俺とノアの間に漂っていた空気が弛緩したのは、玄関扉を開けた数秒後のこと。
何台分の荷馬車か、ズラリと屋敷の入り口まで並んだそれらすべてが、中に大量の花を積んでいるというのだから驚きだ。桁を一つか二つ、多く書いてしまったのかもしれない。
だって、花を発注しているときの俺と神様は、その瞬間だけ、二千五百年間一緒にいる相棒みたいだったから。
「さすがにこれは、ヴィティさんにも気づかれるかと」
「うん。俺もそう思う」
「屋敷中を飾り付けることは可能ですが、いかがいたしますか」
「……やってみる?」
「マリーチ様がお望みでしたら」
挑発的ともとれるノアの真顔は、どうやら先ほどの仕返しらしい。
ノアの、最も触れられたくはないであろう部分に、わざと触れてしまったから、ならばとノアは俺の行動を逆手に取ったのだろう。
優秀な人間、そのものだ。
「いきなりお屋敷の中が華やかになったら、さすがのヴィティさんでもお兄様にお聞きするでしょうね」
「……だろうね」
たまには表舞台に立て、とでも言いたげなノアの口角が少し上がっていて、俺は大げさなため息を一つ。
俺は庭掃除にいそしんでいた竜騎士数名を呼んで、荷馬車から花をおろす。
「やってみようか。今は、考えるより、手を動かした方がよさそうだ。まだまだ、仕上げもたくさん残っているからね」
「お菓子はもう頼まれたのでしょう? お料理は?」
「決まっているけど、料理人の数が足りていない」
「王城勤めの者を雇おうとするからです」
「ノア、良い人を知らないかい?」
「数名ほど知り合いが。二ジルバも出せば、城の者にも負けない料理を作りますよ」
「じゃぁ、それで手を打とう」
ノアとの打ち合わせをしつつ、竜騎士たちにその花はあそこへ、そっちはまだ持っていくな、と指示を出していく。
「当日のご予定はお聞きしましたが、本当に前日からヴィティさんを竜神様とお二人で行かせるおつもりですか?」
「そうだよ。前日の予定は竜神様に任せてある」
「……不安しかありませんが」
「そのために、今、色々と竜神様にも仕事を覚えてもらっているのさ」
「マリーチ様は、よろしいのですか」
花を大量に抱えた俺の手から零れ落ちた花を、ノアが拾って差し出した。
「……マリーチ様の、故郷でもあるのでしょう」
「良いさ。いつでも行ける。それに、何度でも」
俺が花を受け取ると、ノアは、再び目を伏せて小さく呟いた。
「本当に。ヴィティさんとよく似ていらっしゃいます。どこまでも、他人のために働かれるなんて」
「血は争えないもんだね」
ふっとこぼれた笑みに、ノアが笑った気配がした。
ヴィティのお誕生日がいよいよ近づいてきて、サプライズの準備も大詰めです。
何やら不穏な(?)会話をしているマリーチさんとノアさんですが、二人がこの後お屋敷を花々しく飾り付けたことは言うまでもありません。
そして、「前日から」という言葉が飛び出しましたが、ヴィティのお誕生日サプライズは何やら前日から始まるようです……?
次回「ヴィティ、旅行に行く?」
何卒よろしくお願いいたします♪♪
※作中単語、二「ジルバ」は、約四万八千円くらい。
ヴィティたちが住んでいる国、ヘルベチカのお金の単位です。
一日のお給料としては時代感的にもかなり破格のお値段ですが、相手が竜神様だからです。




