第六十二話 ヴィティ、質問される
久しぶりに作った料理は、やはりノアさんのものとは比べ物にならないくらい質素だった。食糧庫には十分すぎるほどの食材があるのに、私の中にあるレシピが足りていない。
決して手を抜いたわけじゃないんです、と目の前のフィグ様に懇願を向けると、フィグ様は全く気にしてなどいない様子で、すでに一口目を口の中へほうり込んでいた。
「はや」
『ひゃひふぁひっふぁふぁ』
「お行儀が悪いですよ。飲み込んでから喋ってください」
はふはふと口の中で冷ましているのは、チーズの中から現れたサーモンの欠片だろう。ゴロゴロしていた方が食べ応えもあるだろうと大きめのものをいくつか入れておいたから、きっとそれに当たったのだ。さすがはフィグ様、豪運である。
『酒』
口の中を冷やすためか、喉が渇いたのか、どちらかは分からないが、フィグ様は空っぽになったグラスを持ち上げる。
すでに寒くなりつつある、秋のヘルベチカ。体を温めるためにも、もしかしたらアルコールは必要なのかもしれない。
「飲み過ぎないでくださいよ」
いくら竜神様とはいえ、人の姿でガブガブとアルコールを摂取するなんて、決して褒められたものではなかろう。
おかわりを注げば、ちびりとそれに口をつけて、フィグ様はじっと私を見つめた。
「……なんですか」
口の中で何かをモゴモゴ。しばらく、そんなフィグ様の様子を見ながら言葉を待ってはみたものの、フィグ様は一向に喋りだす気配がない。確かに先ほど、口の中を空にしてから喋ってくれと頼みはしたが、今のフィグ様のお口の中は空っぽのはずである。
なんなら、いつもは口に出す前に発言について見直してくれと思うくらいには、素直すぎるほど言葉を飛び出させることで有名な神様なのに。何を今更ためらうことがあるというのだろう。
罵倒の言葉なら散々フィグ様から聞いてきましたよ、とフィグ様を見つめ返せば、なぜか彼は照れたように顔をプイと背けた。
(え、今のどこに照れる要素が……?)
さすがの私も心配になってしまう。今日の料理の中に入れた食材を片っ端から頭の中に並べ、いやいや、変なものは入れてないはず、と軽く頭を振る。
(また変なものを拾い食いしたのかしら)
『したことなどない!』
こういうのは、すぐに出てくるらしい。ということは、特段、変なものを食べて、というわけでもなさそうだ。
「じゃぁ、なんですか。フィグ様らしくない」
こういう勿体のつけ方は、フィグ様というよりはお兄ちゃんっぽい。
『あいつと一緒にするな』
絶対にだ、と強く私を睨むフィグ様の俊敏性はいつもと変わらないのに。一体何なのだ。
『ヴィ、ヴィティ……』
「はい。なんですか」
『きき、き、貴様は、その……ほ、欲しいもの、とか』
「へ?」
『ほ、欲しいものがあるか! と! 聞いているんだ!』
「うわ、びっくりした! いきなり大きい声ださないでくださいよ」
隣にいるのだから、そんなに声を張り上げなくても聞こえるのに。私の視線を無視して、フィグ様はフイと顔を背ける。そのまま器用に料理を口に運ぶ。あ、喋るのやめた。ずるい。
(……それにしても)
欲しいもの。急に、どうしたというのだろう。フィグ様がそんなことを言い出すのは、あの外套の時以来。なぜ外套を私にプレゼントしてくれたのか、それすらいまだ謎だというのに。急に変なことを思いついた、にしてはフィグ様らしさに欠ける。
「欲しいもの、ですか。そうですねぇ……」
私がうーん、と首をかしげると、フィグ様がチラリとこちらへ視線を送る。その目は思っていたよりも真剣で、私の言葉をまるで一言一句逃さない、とでもいうようだった。
「……特に、ないですかね」
『なんだそれは!』
「べ、別にいいじゃないですか! 今でも十分満足していますし」
『人間とは、強欲な生き物だろう!』
「偏見がすごすぎますよ。それに、私、元々貧乏な暮らしでしたから、欲しいものを望んだこともなくて」
『どこまでも貧乏人を極めおって!』
酷い言いぐさである。とはいえ、確かに普通は欲しいものの一つや二つくらいあって当然かもしれない、と思う。残念ながら、本当に何も思い浮かばないけれど。
『では、好きな物はなんだ』
「また急に」
今まで一度もそんな話をしたことがないフィグ様から、こんな普通の会話が飛び出してくるのだ。やっぱり、何かあったんじゃなかろうか。フィグ様、もしかして今日、誰かにのっとられてる?
『うるさい。早く答えろ』
再びスプーンを口へ運ぶフィグ様の姿を見つつ、私はうなる。
好きな物がないわけではない。が、いきなり言われても困る。パッと思いつくのは食べ物くらいだろうか。
「……あ、そうだ!」
思いついた、と私は手を打ったが、いや、と顔をしかめる。
『なんだ』
「いえ。その……」
『笑わん。早く言え』
「そ、それじゃぁ……。えっと、お花とか……」
『花?』
「意外と好きなんですよ。育てても食べられないので、村ではあまり育ててはいなかったんですけど、だからこそ憧れがあるというか」
フィグ様が目をパチパチとしばたたかせるが、その表情の意味はなんだ。花なんて似合わないと思ってるのだろう。そんなことは分かっている。だから言いたくなかったのに。
むぅ、と私が口をとがらせると、フィグ様は
『花くらい、いくらでも用意してやる』
とサラリと言ってのけて、何事もなかったかのように、最後の一口を放り込んだ。
「用意? どうしてです?」
好きな物を聞かれたから答えただけなのに、どうしてそうなるのだろう。
きょとんと私が首をかしげると、フィグ様はゲフゲフとせき込んだ。グラスを一気に傾けて、酒で流し込む。
「大丈夫ですか?」
『……な、なんでもない!』
なんでもなくはないだろう。そう思いつつも、フィグ様の背をトントンとたたいてやれば、彼もしばらくして落ち着いたのか、ふぅ、と小さく息を吐き出した。
「お花は別に、用意いただかなくても結構ですよ。あ、お屋敷に飾るのでしたら、別ですけれど」
『べべべ、別に! そんなものは貴様が勝手にやればいいだろう!』
「そうですか? では、今度、竜騎士様たちにも相談してみます!」
フィグ様のお屋敷は、広いわりに華がない。いや、豪奢ではあるのだが、いかんせん彩りが少ないのだ。お屋敷の主が頓着していないからだろうけれど。
『……その、他に、してみたいこととかも、ないのか?』
まだ続くのか。どうにも今日は、質問攻めをしたい日、らしい。
「してみたいことって……また、漠然と」
『何かないのか!』
「うぅん……色々、ありますけど……」
まだ、行ったことのない町へもいつか行ってみたいし、お菓子をもっと上手に作ってみたい気もする。それに、王都ではやっているという演劇も見てみたいし、食べたことのない料理を食べてみたりもしたい。
『強欲か』
「欲しいものと言われると思い浮かばないのに、不思議ですね」
でも。
「一番は、両親のお墓参りでしょうか。生まれ故郷には、まだ、一度も帰ったことがないので」
フィグ様は、私の言葉に何を思ったか、ふ、と遠くへ視線を投げた。
「私の生まれ故郷は流行り病で壊滅した村ですから、体の弱い女子供は感染してしまうかもしれない、と帰るのを禁じられていたんです。村長さんたちが弔ってくださっていることだけは聞いたんですけど」
私が遠慮がちにも理由を語れば、フィグ様は小さくうなずいた。
『……貴様の願い、叶えてやろう』
「え?」
『ワタシは、神だ』
神々しい。フィグ様が浮かべたのは、その言葉に相応しい、美しい笑みだった。
フィグ様から謎の質問攻めにあい、ヴィティは戸惑っておりますが……これはもちろん、お誕生日サプラ……げふんげふん!
ヴィティにばれないように、フィグ様がまだまだ頑張ります!
次回「ヴィティ、甘やかされる」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




