第六十一話 ヴィティ、復活する
現金なやつだと思うけれど、フィグ様に辞めるなと言われて、私はすっかり復活を遂げていた。
さすがに、あの日は恥ずかしくてフィグ様の顔も見れず、部屋に引きこもってしまったのだが、一日経って少し落ち着いたような気がする。
早速、仕事にとりかかろうと、まずはノアさんのところへ向かう。散々迷惑をかけていたし、心配もかけただろう。もう大丈夫だ、と挨拶しにいかなければ。
(……そういえば、フィグ様の質問を聞きそびれちゃったけれど。ま、いいか)
「良くありません!」
「え⁉」
私の心の声を聞いたようなタイミングで、ノアさんの声が廊下の向こうから聞こえてきて、私は歩調を速める。
廊下の先には、珍しく早起きをしたらしいフィグ様の姿と、そんなフィグ様に向かって珍しくお怒りなご様子のノアさんがいて、私は咄嗟に体を隠した。
なんかこれ、デジャヴ? 状況は全く違うのだけど。
「竜神様がお聞きになられなければ、意味がないのですよ。わたくしは、ヴィティさんほど優しくはありませんのではっきり申し上げますが、神様であろうと、ご自身でなさってくださいませ」
きっぱりと言い切ったノアさんに、フィグ様がぐっと歯を食いしばっているのが見える。
珍しい。あのフィグ様が言い返さないなんて。というか、ノアさんってあんな風に怒るんだ。
「とにかく、主様に全てがかかっているのです。ヴィティさんのためにも、しっかりなさってくださいませ」
(私のため?)
また、私の名前だ。フィグ様と、ノアさんの間で、私に関する何が行われているのだろう。フィグ様の昨日の様子からだと、クビの話ではないことは分かった。それじゃぁ、それ以外に二人が私についてこんな風になるなんて、一体全体何があったというのか。
『……ヴィティ』
いるのは分かっているぞ、とフィグ様に声をかけられて、私はしまったと口を押さえた。もちろん、心の声がダダ漏れなので、口をふさいでも意味はないのだが。
「ヴィティさん。いらっしゃるなら、お声かけいただいて結構でしたのに」
私がおずおずと顔をのぞかせると、途端、先ほどまでの剣呑としたノアさんの声色が潜み、代わりに穏やかな、いつものノアさんの口調に戻る。その変わり身の早さたるや、得体の知れぬ恐ろしさを感じるほど。
私がチラとフィグ様に視線を投げれば、同じことを考えていたのか、フィグ様も神妙な顔で私を見た後、そっとその場から逃げだそうとする。
「竜神様。わたくしが言ったことを、ゆめゆめ、お忘れなきよう」
私の登場で救われたと思ったか、踵を返しかけたフィグ様に、ぴしゃりとノアさんが言い放つと、フィグ様は一瞬体を固める。かと思うと脱兎のごとく立ち去った。竜は、逃げ足が速い。とてつもなく。
まるで、二人は親子のようだ。ノアさんが母親で、フィグ様が子供。
私がポカンとフィグ様の後ろ姿を見送ると、ノアさんが小さく息を吐いた気がした。
「ノアさんでも、ため息をつくんですね」
「わたくしも人間ですから。神様相手は初めてですので、こんなにも疲れるものだとは思いませんでした。それにしても、ヴィティさん、もう体調の方はよろしいのですか?」
「はい! おかげさまで、元気になりました。色々とご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「いえ。それなら良いのです。わたくしも、同じ世話係として、ヴィティさんが何か悩んでいるようでしたのに、お役に立てなくて」
「そんな! ノアさんが謝るようなことでは! 私が勝手に色々と悩んでいただけなんです」
私がブンブンと首を振ると、ノアさんはほんの少しだけ柔らかに目を細めた。それも一瞬でもとに戻ってしまうけれど。とっても素敵だと思うのに、もったいない。
「とにかく! 何か、お仕事をいただけませんか? どんなものでも良いんです。私、動いていないと落ち着かなくて……」
もしかしたら、ノアさんのお邪魔になってしまうかもしれませんが、と付け加えると、ノアさんは、今度はきょとんと不思議そうに私を見つめた。
(ノアさんって、よく見ると、案外表情豊かよね……)
本当に良く観察しないと分からないレベルの変化だが、確かに、微妙に表情が変わるのだ。当たり前だけれど、ノアさんだって、私と同じ人間らしい。
「……ですが」
「変だと思われるかもしれませんが、私、元々農民だったので、働いてないとなんだか気持ち悪いんです! 何も考えずに、手を動かしたり、体を動かしたりしている方が良い、というか……」
言いながら、やっぱり私ヤバイ人だ、と自覚する。が、変に気を遣わせてお仕事をいただけない方が困る。
ノアさんは、私をしばらくじっと見つめた後、いつもの真顔で小さくうなずいた。
「分かりました。わたくしも、実を言うと、ヴィティさんからお仕事を奪ってしまうような、差し出がましい真似をしたのではないかと思っていたのです。ヴィティさんがよろしいのでしたら、昼食の準備をお願いできますか?」
「良いんですか⁉」
「良いも何も、助かります。あの竜神様、わたくしの手料理は口に合わないみたいですし」
ノアさんの手料理はどれも大変おいしくて、それこそ、お貴族様って感じの整った味付けだったように思うけれど。
(そういえば、フィグ様……シンプルな田舎っぽい料理、好きだったよね)
初めて作ったチーズ焼きなんて、それこそ田舎料理の定番である。素朴な味わいがあって私は好きだけど、ノアさんの料理を知ってしまったら、もう一度あれを出すのは気がひけるくらい。
「わたくしも、ヴィティさんのお料理を食べてみたいです」
「え⁉」
「マリーチ様からも聞きました。ヴィティさんはお料理が上手だと」
あの完璧なノアさんから素直に褒められて、私は舞い上がるような心地でだらしなく笑みを浮かべる。
「そ、そんなことは……。でも、頑張ります!」
「楽しみにしておりますね。では、わたくしは洗濯をしてまいりますので。手が必要でしたら、いつでもおよびください」
「はい! あ、ノアさんも! おひとりで無理しないでくださいね。せっかく、私たち、二人で竜の世話係なんですから」
颯爽と歩いていくノアさんの背に、私が大声で呼びかけると、ノアさんは振り返って、ほんの一瞬柔らかな笑みを浮かべた。
胸を貫かれるかと思うくらいに可愛らしい笑みは、普段の落ち着いたノアさんの雰囲気からかけ離れていて、私は思わず胸を押さえてうずくまる。
(女神よ……!)
両手を組んで祈りを捧げ終え、再びノアさんの方へ顔を上げると、酷く怪訝そうな、本当にヤバイものを見た、と言いたげな冷たい視線で射抜かれた。
ふんふん、と鼻歌交じりに、久しぶりのキッチンでナイフを動かしていると、
『神に仕えられることの光栄さを、ようやく理解したか』
と傲慢な声が聞こえた。
今まさに、そのセリフを言われなければ、おそらく理解していたことだろう。残念ながら、神様自身の行いによって、理解が大変困難になってしまったが。
『……うるさい』
私が振り返るよりも先に、フィグ様の重みが肩のあたりにのしっと感じられる。
(あぁ、こんな風に過ごすのもいつ振りだろう)
無意識にそんなことを考えて、私は手を止めた。
この感情は、多分、お仕事が出来て嬉しい、とか、ちょっと懐かしい、とか……そういう類のもので、フィグ様と今まで通りに過ごせて良かったとか、そんなことではない。だって、これではまるで私が恋をしているみたいではないか。
『今更気づいたのか』
「は、はぁ⁉」
フィグ様のとろけるような声に、私は思わず声を上げる。
世話係を続けろと言っていただけたおかげで、精神的に復活したものの、それと同時、私のフィグ様への不思議な思いも、復活してしまったらしかった。
すっかり復活したヴィティ。
ノアさんに素直な気持ちを打ち明けることで、竜の世話係としてのお仕事もどうやら復活となりそうです。
フィグ様は何やらノアさんに怒られていた様子でしたが……お誕生日サプライズは間に合うのでしょうか??
次回「ヴィティ、質問される」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




