第六話 ヴィティ、呆れる
竜神様に案内されたキッチンは、やはり、村にあるどの家よりも大きな一室だった。だが……。
「あの、竜神様?」
『なんだ』
竜神様は素知らぬフリをする。竜騎士様の話によれば、心の声を聞いているはずなのに。ただ、美しいアイスブルーの目が完全に泳いでいるので、何も知らないわけではないらしい。
「食いしん坊将軍が遊びに来られたんですか」
『……なんだそれは』
「高尚な冗談ですよ」
私があえて、自らのできうる限りの微笑を投げかけると、竜神様はいよいよあからさまに顔を背けた。
目の前に広がっているのは、あちらこちらに散乱した食器に、机を純白に染め上げる小麦粉、床と仲良くおしゃべりしている数多の食材たち。それだけに飽き足らず、かまどはこの世の闇を全て詰め込んだように真っ黒で、本来なら壁にかかっているはずの調理器具も脱走を試みたようだ。
一体、誰が何をすればこうなるのか知りたいくらいだが、この状況下でとびきりおいしいワインを入れてもらえると思っていた竜神様の心持ちも知っておきたい。今後の世話係としての方針を決めるためにも。
「竜神様? どうやら、わたくし、ワインをお出しするよりも先にすべきことがあるようですわ」
まさに、世話係にぴったりな口調と表情を操れば、竜神様はヒクリと口角をひきつらせる。
『で、では! 頼んだぞ!』
その逃げ足、脱兎のごとく。神の力をこれでもかと無駄遣いして、彼はその場を後にした。残されたのは、冷たい北風。私が「信じられない!」と広大な屋敷を震わせるほどの大声で怒鳴りつけると、どこからか盛大な『ワタシは知らん! 貴様の仕事だ!』と傍若無人な返答が聞こえた気がした。
貧しい暮らしのせいか、村長の家にも、他の村人たちの家にも、散らかすほどの物があったことはない。必要最低限の物を、必要な分だけ使う。それが当たり前のことである。
だから、こんなにも汚い……いや、竜神様に向かって失礼のないように言えば、こんなにも芸術的なキッチンは見たことがなかった。
世話係がいれば、きっとこうもならなかったのだろう。一体最後の世話係が辞めて何日が経ったのか。もしかしたら、世話係も、最後は世話などする気にもならなかったのかもしれない。
とにかく、今はこの素晴らしい惨状をなんとかしなければ。これは、村への援助や自らの役目を差し置いてでも、やらねばならぬ急務であると私は覚悟する。
元来、真面目で気がきき、聡明、美人。そんな風に村人たちから称えられてきた。小さな農村だからか、労働も当たり前。働かざる者食うべからずな環境に置かれていたこともあって、私はそういう性分なのだ。動いていなければ、気が済まない。あえて損得で勘定するならば、損に分類されること間違いなし。正真正銘の社畜であることは自覚している。
「とりあえず……」
掃除は上から。その前に、掃除道具を探すところから。さらに、その前に……。
「この窓は開くのかしら」
かまど脇の小窓をガタガタと揺らせば、大量の埃が舞いあがった。最悪。いくら竜神様の屋敷から出てきたものと言えど、ゴミはゴミだ。
だが、おかげで新鮮な空気が部屋に流れ込んでくる。さすがは北方。ひやりと冷たい冬の風は、私に故郷との距離を感じさせた。
私の村は国の南西、対してここは北東に位置しているらしい。気候はおろか、季節の流れも違う。もっとも、この凍えるような空気は、屋敷の外にそびえたつ霊峰から吹き降ろしているものだろうから、一年中冷たいのかもしれないが。
「あ! いいところに!」
窓の外を眺めていれば、これまた偶然。すぐそばに水汲み場が見えて、私は思わず笑みを漏らす。キッチンがあるから、水場もそう離れていないだろうとは思っていたが。
「後は、掃除道具があれば完璧ね」
さすがに、いくらか前には世話係がいたくらいなのだ。掃除道具くらいはそろっているはずである。盗賊よろしくここを荒らしたであろう竜神様が、余計なことをしていなければ。
『余計とはなんだ』
「ひゃうっ⁉」
私がびくりと肩を弾ませれば、いつの間に現れたのか、背後に竜神様。噂をすれば竜が立つ。
私よりも頭一つ以上高い竜神様が背後に立つと、私はすっぽりと彼の影に覆われた。視界が暗くなって落ち着かない。少し距離を取りながら振り返ると、視線がバチリとぶつかる。
『ワインはまだか』
「まだ数分と経っておりませんが」
『ワインなら数秒で入れられるだろう』
「盗賊リスペクト神のおかげで、掃除もまだにございます」
『変な名前をつけるな』
「掃除道具はどちらに?」
『無視か』
「だいたい、この惨状……ゴホン、失礼しました。この前衛的アートの中からワインボトルを見つけるだけでも、二日……いえ、三日はかかります」
『ワタシなら、二時間で見つけられる』
「主のくせに、そこそこかかってるじゃないですか」
『い、一時間……』
「神様のくせに」
『う、うるさい! とにかくさっさとしろ! 貴様はワタシの世話係だろう!』
「あなたは、この国の神様ですよね?」
『ふん! 神だから、何をしても許されるのだ』
「違います! 神が、全てを許すんです!」
はっきりと私が言い切ると、竜神様は、ぐっと言葉を詰まらせた。反論すると、神という高貴な存在を自ら否定することになると気づいたらしい。
「とにかく! 竜神様は、しばらく、どこかでお休みになっていてください。さすがに三日は言い過ぎましたが、掃除をしないことには料理もままなりません。ワインは見つけ次第、すぐに持って参りますので」
何もしないで立っているだけのやつが最も邪魔になる、とは口に出さなかった。心の声を聞く彼には、耳に痛く突き刺さっているだろうけれど。
だが、竜神様は頑として動く気配を見せず、私は念を押すように、鋭い視線を彼に送る。
『さぼらぬよう監視してやる』
「結構です」
『主が直々に仕事ぶりを見てやると言ってるんだ』
「竜神様、それはパワハラです」
『ぱわ……?』
「自らは口を出すだけで手を動かさず、部下に余計な圧力をかけ、仕事の効率を著しく下げる行為のことを言います。決して、一国をお守りになられる誉れ高き竜神様がなされるようなこととは思えません」
私が淡々とまくし立てると、竜神様はむっと唇を尖らせた。自らとあまり変わらなさそうな、成人済み男性の仕草ではないが、それすらも絵になるのだから美丈夫とは恐ろしい。
私は大げさにため息をついて、キッチンを出る。竜神様にかまっている暇はない。キッチンに掃除道具が置かれていないのならば、この辺りの小部屋かどこかに押し込まれているはずだ。
私が怒ったと勘違いしたのか、心が読めるはずの竜神様の情けない声が後ろから聞こえる。
『や、辞めない、よな……⁉』
「こんなところで辞められるものですか」
私の言葉に、竜神様はどこかホッとしたような表情を見せた。
(え、何……その表情)
まるで、子供が親に甘えるときのような、空気のやわらぎを伴うそれは、人形以上に整った顔立ちも相まって、私の胸に突如として矢を突き立てる。
「え、と……」
(もしかして、一人が寂しかった、とか?)
心の声を聞いていることなどすっかり忘れて、私が呆然と竜神様を見つめると、竜神様は雪の結晶を閉じ込めたような瞳をカッと見開いた。直後、彼はくるりと体ごと顔をそむける。
『ににに二階の、じじじ自室で、ままま待っているぞ!』
(嘘でしょう?)
分かりやすいほどの動揺。私はただ、走り去る背中で揺れるシルバーブルーの毛先を見つめる。
「あの横暴さって……本当の自分を隠すための強がり……ってこと?」
普段は散々ブスだのデブだのからかってきた癖に、いざ私が旅立つと知るとギャン泣きした村の男の子を思い出し、私は「え?」としばらくその場で立ち尽くした。
ヴィティの世話係としての、最初のお仕事は、キッチン掃除。
竜神様の意外な一面も見れたところで、いよいよ本格的にお仕事スタートです!
果たしてワインは見つけられるのでしょうか……?
次回「ヴィティ、餌付けする」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




