第五十六話 ヴィティ、嫉妬する?
「やっぱり、そういうことよね……」
ノアさんとフィグ様の秘密の逢瀬を思い出し、私はため息をつく。
あの日以来、どういう訳か、私にはまたいくつかの仕事が与えられた。今は絶賛、庭掃除中だ。そして、どういう訳か、私に与えられていたフィグ様のお目付け役、ならぬ、フィグ様の要望をお側で聞く係は、ノアさんに変わった。
つまり、だ。
私とノアさんのお仕事が、逆転したのである。
「ノアさんと、フィグ様が、良い感じ……って、ことよね?」
誰に聞くわけでもなく、それこそ回答があるわけでもなく。それでも、つい口に出してしまうのは、そうしていなければ落ち着かないからだ。
考えても仕方のないことばかりが心の内にわいてきて、ざわざわと平静をかき乱していく。
良いことのはずなのに。あのフィグ様が、私以外の世話係と仲良くできることも、それでいて二人の距離が縮まることも、これ以上ないくらい良いことだ。私は仕事に集中出来るし、フィグ様とノアさんがうまくいって楽しい毎日を送ることが出来るというのならそれに越したことはない。
それなのに。
(どうして、二人のことばっかり気にしちゃうの⁉)
力任せにホウキで落ち葉をバサリと掃く。ザラザラとこすれる音が、心を荒らしてささくれ立たせた。
私が特別だとか、お気に入りだとか、そんな風に周りから言われていたから、どこかで意識していたのかもしれない。神様のことなんて、なんとも思っていなかったし、フィグ様に特別扱いされたからと言って何か良いことがあるわけでもないけれど、もしかしたら心の奥底では、自分の存在価値を認められたような気持ちになっていたのかもしれなかった。
生まれてから一度も、あなたは特別だ、なんて言われた試しだってないのだから、その気になったりしていたのかも。
それが、あっさりこうしてノアさんに鞍替えされてしまったようで、悔しいのだろうか。
確かに私は負けず嫌いだ。世話係としても、フィグ様と一緒にいるための一人の女性としても、ノアさんに劣っている自分が不甲斐ない。そう思っていることは否めない。どんなにノアさんのことを尊敬していても、私だってノアさんに追いつけ追い越せで頑張らなくちゃ、という向上心くらいはある。
(それが、このモヤモヤ?)
いや、それだけではない。
例えば、ノアさんにしたって、お兄ちゃんが好きなんじゃなかろうか、というリアクションを見せていたのに、あっさりフィグ様に鞍替えしているのだ。そのことに驚いているし、もしも、万が一、ノアさんが本当にフィグ様を思っているのだとしたら、だ。その移り気の速さには少しだけがっかりしてしまう。
あの、何者にもなびかない感じが格好いい、と勝手に理想を押し付けていたからだけど。
(二人が、このままお互いに意識していったら、いずれ……)
私はホウキを動かしていた手を止めて、がくりと肩を落とした。
(どうして、素直に喜べないのかしら)
チャペルで、見目麗しいフィグ様と、その手を取る美人なノアさんの二人が並んでいる姿を想像して、胸が締め付けられてしまうのは、なぜだろう。
とてつもなく素晴らしい絵になるというのに、それすら楽しむことが出来ないなんて。
主の幸せを喜べず、尊敬するノアさんのことも祝福できないなんて。なんと酷い人間なのだろう。他人の幸せを認められず、自分の不幸ばかりを考えるなんて。
「……本当に、どうしちゃったのかしら」
今回ばかりは、過労でも、熱でも、風邪でもない。それとも、これも竜の血の影響なのか。同じ血を分かち合った者として、同族嫌悪的なものを抱いているのだろうか。
「あぁ! もう!」
これではまるで、私がフィグ様を取られて悲しんでいるみたいじゃないか。それこそありえない。
きっと、特別扱いされてのぼせていただけだし、フィグ様の身の回りのことをいきなりやらされるようになったのに、またそれがもとに戻って困惑しているだけだ。ついでに言えば、女神のようなノアさんをフィグ様に取られてしまうことの方が、私にとっての心の傷になりえていると思う。
そうだ。そうに違いない。
あんなに素敵なノアさんが、あんなに横暴で、傍若無人で、冷徹で、口が悪くて、態度がでかくて、そのくせ自分はなんにもしない偉そうなフィグ様に取られてしまうことが嫌なのだ。
フィグ様が誰を好きになろうが、誰を気に入ろうが、私には関係ない話。でも、ノアさんがフィグ様に奪われてしまったら、貴重な戦力が失われることになる。朝から晩まで働き詰めだった毎日に逆戻りするのだし、ノアさんが仮に神様夫人になったとしたら、ノアさんの身の回りのお世話だって、きっとする必要がある。
ノアさんのためなら身を粉にしたっていいけれど、さすがに一人では回しきれない。
「そうよ。考えれば考えるほど、ノアさんがいなくちゃ困るもの」
私は自分を納得させるようにうなずく。足元にたまった落ち葉を見つめて、そうに決まっている、と誰に言うでもなく呟いた。
だけど――
集めた葉っぱをガサガサとフィグ様に踏み荒らされたことも、それがきっかけで口論になったことも、突然現れて邪魔をするフィグ様との時間も。
フィグ様の、冷たい体温も。
そのすべてが、これから先なくなってしまうことも、なんだか少しだけ寂しく思えるのは、どうしてなんだろう。
余計なことを考えながら掃除していたせいか、庭掃除が終わったのは夕暮れが迫ろうかというころだった。
さすがにそろそろ戻らなければまずい。明かりをつける仕事は、すっかりノアさんから任されている。
しかも、今日は明かりをつけた後も、普段使っていないような部屋の掃除をなぜかノアさんから頼まれている。私が屋敷に来てから一度も立ち入ったことのないような部屋で、誰かがそこへ入っていく様子すら見たことがないのだが、ノアさんの頼みだ。広い屋敷の掃除を少しずつしたいのかもしれない。
私はそそくさと倉庫へろうそくを取りに行く。
(火をもらいに、キッチンへ行かなくちゃ)
ちょうどこの時間はノアさんが晩ご飯を作っているはず。先ほどまで、二人のことを考えていたせいか、彼女に会いに行くのは少しだけ気まずいような気もするけれど。会って、ノアさんと一言でも交わせば、きっと気にしすぎだったと思えるかもしれない。それに、あまり避けるのも変だ。
表立って、二人の間に何かあったわけでもないし、ノアさんとフィグ様の間に何かあったとしても、私には関係のないことなのだから。うん。大丈夫。別に、動揺とかしてないし。
「よし」
奮い立たせるように拳を握り、私はキッチンへと向かう。
フィグ様と一緒にご飯を食べることもなくなって、私が料理をすることも減って、フィグ様とワインを探すなんてこともしなくなって……キッチンへ入るのも、なんだか久しぶりだ。
(……ってまた、フィグ様のこと)
意識しないように、と思えば思うほど、意識してしまうのだから困る。これじゃあまるで、本当に私が……。
角を曲がればキッチン、というところまで来て、
「竜神様。つまみ食いはしないでください、と何度も言っているでしょう」
そんな声が聞こえた。私は反射的に足を止める。
『ふん。毒味だ』
「主は毒味をしないものです」
キッチンから聞こえる楽し気な(実際は、別にそんなことはないはずだけれど、どうしてか私にはそう聞こえた)二人のやり取りに、私の手からろうそくの入ったカゴが滑り落ちる。
「っと……! どうしたの」
こんなところで、と続いた兄の声が、私を覗き込んで止まる。
「……どうして、泣きそうな顔をしているの?」
その言葉の意味も分からないままに、私はお兄ちゃんに手を引かれた。
フィグ様とノアさんの、まさかの急接近にあからさまな動揺を見せるヴィティ。
彼女自身は、どうやらその気持ちの意味を理解していないようですが……そんな弱った妹を助けるお兄ちゃんの甘言がヴィティを襲います!?
次回「ヴィティ、迷う」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




