第五十五話 ヴィティ、逢瀬に出くわす?
「ヴィティさん」
背中越しにかけられた声。私がバッと勢いよく振り向くと、いつも通り真顔を決めたノアさんの顔が、一瞬だけ、ポカンと可愛らしい顔になった。
「……そんな目で見られると、落ち着きません」
どうやら、私の顔が相当変だったらしい。しょうがないじゃない。こんな風に、ノアさんから声をかけられるなんて久しぶりだもの。
「すみません」
嬉しさを隠し切れないまま、ニヤニヤとしてしまいそうになる頬を無理やり両手でおさえこんで、私は表情筋を引き締める。あ、やばい。無理そう。
ノアさんはどこか怪訝さを残しつつ、気を取り直したように「あの」と話を切り出した。
「すみませんが、燭台をお願いしてもよろしいでしょうか? 今日はこの後、少し手が離せなくて」
「……え?」
予想もしていなかった、全てにおいて素晴らしいノアさんからのお願いに、にやにやと緩んでいた顔が完全に固まった。ノアさんは、私の表情から何を察したか
「お忙しいようでしたら、大丈夫ですが」
とポーカーフェイスを崩さず続ける。
「いえ! いえいえいえ! 滅相もございません! わたくし、ヴィティ、恐縮ながら誠心誠意、対応させていただきます!」
まさか、あのノアさんからお仕事を頼まれるなんて!
暗くなる前に明かりをつけて回るのは、つい数日前までは私の仕事だったはずなのに、それすら懐かしく思える。最近のこの時間は、夕食前の楽しみだとかなんとか言って、グビグビと酒を飲むフィグ様のお酌係でしかなかった。
「竜神様からは、了承をいただいておりますので」
「ほんとですか⁉」
一体どんな手を使ったというのだろう。あのフィグ様が、私をお酌係から外してくださるなんて。さすがはノアさんだ。
「明かりをつける作業がお好きなんですか?」
私が目をキラキラとさせていると、ノアさんが心底不思議そうに首をかしげた。確かに、今の私を見れば、誰だって不思議に思うだろう。ろうそくに火をつけて回るのが好きだなんて、ヤバイやつまっしぐらである。けれど、干されていて、避けられている私が、久方ぶりに仕事を頼まれたのだ。これで喜ばなくて、何を喜ぶというのだろう。
これを足掛かりに、今までやってきたお仕事を少しでもノアさんから分担してもらわなくちゃ。
私が意気揚々とノアさんの手からろうそくを受け取ると、ノアさんはやっぱり不思議そうに私を見送った。
ふんふん、と鼻歌交じりに、壁へと取り付けられた燭台のろうそくへ明かりを灯していく。
夏の終わりが近づいてきて、日が落ちるのも早くなった。ゆっくりと時間をかけている暇はない。
だが、あのノアさんから与えられた世話係としての仕事。手を抜くわけにもいかない。
優先順位をつければ、多少間に合わなくとも問題はない。フィグ様が歩くルートはたかが知れている。いつだって決まって、自室と食糧庫、自室とキッチン、そうでなければ、自室と浴室。そんなところだ。それ以外の場所は、念のために、とつけているのであって、活用される日は数少ないのだから。
私は、ついでに、とここ数日の鬱憤を晴らすように、燭台の周りをピカピカに拭く。ノアさんが来てからというもの、このお屋敷のほとんどはノアさんの手によってそれはもう美しく掃除されているのだが、燭台は毎日火を入れるせいか、何度磨いても完璧な美しさを保つことは難しいらしい。
出来る限り丁寧に燭台を磨き上げ、丁寧に火を入れていく。ろうそくからろうそくへと火を移す作業も、ろうが落ちてしまわないように慎重に。
決して、暇だから、とかではない。決して。
こうした小さな積み重ねを丁寧にやり遂げるからこそ、ノアさんにも認められるはずなのだ。
ヴィティさん、やっぱり一緒にお仕事をしましょうよ、と。ヴィティさんがいなくちゃ、燭台の明かりは誰が灯すのですか、と。ひいては、ヴィティさんこそ、この屋敷の未来を照らす灯火なのですよ、と。
ふふん、と鼻を鳴らした瞬間、
「ヴィティ」
と声をかけられて、私はびくりと肩を揺らした。
危ない。あやうくろうそくを落として、屋敷を燃やしてしまうところだったではないか。
持ち前の瞬発力でなんとかそれを阻止したものの、突然声をかけてきた竜騎士様――もとい、兄を咎めるようにじとりと見つめる。
「可愛らしい顔が台無しだよ」
ニコリと麗しい笑みを浮かべるお兄ちゃんも、どうやら明かりをつけて回っていたらしい。二階を回り終えたから降りてきた、というところだろう。
彼は、私の足元に置かれたかごへ余ったろうそくを戻す。
「珍しいね。ノアはどうしたの?」
「ノアさんはご用事があるそうで。私が明かりをつけて回っちゃダメだ、とでも言いたいんですか?」
「そういう訳じゃないけど……竜神様は良いのかい?」
「それも、ノアさんが了承をとってくださいました」
「……そう」
お兄ちゃんの曖昧な表情に、私は眉をしかめる。うまく言えないけれど、何かがおかしい。
「何か?」
「い、いや。その……ヴィティ、仕事は大変じゃないかい?」
「はぁ?」
大変どころか最近は干されていて退屈でしかない。むしろ、暇をもてあそぶことの方が、重労働よりよっぽど精神を蝕んでいると思う。
「いや! ほら! しばらく一人でずっと頑張ってきただろう? たまには、休みも必要なんじゃないかと思ってね。その、しばらく、羽を伸ばしたりだとか……そうだ、欲しいものがあるなら、それをご褒美に買ってあげよう!」
にこにこと笑みを浮かべてはいるが、あからさまにその態度は怪しい。私がますます顔をしかめると、お兄ちゃんは笑みを張り付けたまま、視線を虚空へとさまよわせる。
(いきなりこんなことを言うなんて……。はっ! まさか、手切れ金、ってやつ⁉)
用済みになったから、とクビを切っては印象が悪いから、最後に良い夢を見せてやろう的な展開だ。何度この展開があるんだ!
そうはさせないぞ。ファイティングポーズをとった私に、お兄ちゃんが「お、落ち着いて」と私をなだめる。これが落ち着いていられるものか。
(大体! 勝手に連行して、勝手に世話係にしておいて! 不要になったらポイって何様のつもりなの⁉ もしかして、竜の世話係が辞めてきたのって、それのせいもあるんじゃないのかしら!)
誰がいらなくなったら簡単に捨てられてしまうような仕事に、命を賭けるのだ。
「お兄ちゃん」
あのねぇ、と詰め寄ろうとした矢先、
「竜神様、お話が」
と背後から声がした。ノアさんの、凛と澄んだ声だ。
この辺には、元々私が使っていた部屋と、ノアさんが現在使っている、いわば世話係の部屋しかない。
『なんだ』
一体、どうしてそこにフィグ様と、ノアさんが?
私が振り返ろうとした瞬間、お兄ちゃんが私を抱きすくめるようにして、私の体から自由を奪う。
「ちょっ!」
抵抗の声をあげようにもむなしく、素早い動作で口をふさがれて、私はフゴフゴとお兄ちゃんの手の中で息を漏らした。
「竜神様。すみませんが、こちらへ」
やっぱり、ノアさんの声。続いて、扉がキィと開き、パタン、と閉まる音。
ここから推測できるのは、ただ一つ。フィグ様がノアさんに誘われて、ノアさんのお部屋に入ったということ。
(……いや! どういうこと⁉)
ジタジタとその状況確認をしようとお兄ちゃんの腕の中で暴れまわっても、当然、その力には敵わない。
「ヴィティ、明かりはつけ終わったね。それじゃ、次の仕事だ」
まるで何かを隠すよう。兄はそのまま、私の体をズリズリと引きずって、不自然なほどの力で、私をその場から強制退場させたのだった。
お兄ちゃんの態度が怪しくて大混乱なヴィティに追い打ちをかけるかのような、ノアさんとフィグ様の逢瀬!?
もちろん、お誕生日のサプライズなんて知らないヴィティは困惑に困惑を重ねることに……。
そして、ヴィティの心に生まれた感情は……?
次回「ヴィティ、嫉妬する?」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




