第五十四話 ヴィティ、避けられる
ノアさんが屋敷にやってきてから一週間。私に仕事がないせいか、それともノアさんが働きすぎなせいか、私とノアさんはほとんど顔も合わせない日々が続いた。予定ではもっと仲良くなっているはずだったのに。
というよりも……。
「ノアさん!」
「ヴィティさん、こちらはもう終わりますので」
「ノアさん、これは……」
「やっておきます。竜神様がお呼びでしたよ」
「たまには掃除でも……」
「すでに終わっております」
こんな風に、ノアさんが徹底的に先回りしてしまうのである。しかも、大抵この後に続く言葉は
「ヴィティさんは、どうぞ主とお過ごしになられてください」
これである。
(ノアさんに、避けられてる?)
それだけではない。最近、妙に竜騎士様も、フィグ様も、よそよそしい時があるのだ。
やたらと予定を聞かれたり、急に好きなものを聞かれたり。全く意味が分からない。フィグ様に至っては、あまりにも視線が定まらなさ過ぎて、また何か変なものでも食べたんじゃないかと思うくらいの日だってある。
「……みんな、どうしちゃったのかしら」
表向きは普通に見える。むしろ、仕事がなくなって暇している分、皆がやたらと声をかけてくれるようになったことは嬉しいくらいだ。
けれど、どうにも、変な空気が漂っているというか……。
(やっぱり、働いてもいないのにお給料をいただいていることが、良くないんじゃないかしら)
いくら主命令とはいえ、窓を磨くことすら出来ていないのである。
最近の私の仕事と言えば、もっぱらフィグ様の側にいて、フィグ様の服を選び、フィグ様の髪を梳き、フィグ様の給仕をして、フィグ様と共にただただ一緒にいるだけ。
竜の世話係なのだから、間違ってはいないと思う。思うけれど……。
「なんだか、避けられている気もするし」
特に、ノアさんから。話しかけても、すぐに会話を切られてしまうことが多い。同じ竜の世話係として、その待遇に差があることを、やはり不満に思っているのではなかろうか。これでは、嫁をいびる姑みたいなものである。嫁姑問題だけは避けたい。
どうしたものか、と私が頭を悩ませていると、廊下の向こうにお兄ちゃんが歩いているのが見えた。手が空いているとついつい、寂しいというか、用もなく話かけてしまいたくなる。
「お兄ちゃん」
私が声をかけた瞬間、私には気づかなかったのか、はたまた何か用事を思い出したのか、お兄ちゃんは急にくるりと身をひるがえした。
挙動不審だが、距離は遠い。避けている、なんて私の被害妄想かもしれない。
「ノア、頼んでいたものは?」
死角になっているところに、ノアさんがいらっしゃったようだ。被害妄想だった、とホッとしたのもつかの間。
「順調です。でも、ヴィティさんにはお知らせしなくて本当によろしいんですか?」
珍しく、ノアさんの戸惑うような口調が私の耳を貫く。自分の名前が含まれているのだから、気になるのは当然だ。
(私に知らせなくて?)
「もちろん。むしろ、知られたくないんだ」
「ですが……」
「知らない方が良いこともある」
(……なんの話?)
竜騎士様であるお兄ちゃんと、竜の世話係であるノアさんが、同じく竜の世話係である私に内緒で何かをしている。知らない方が良いこともある、なんて言われては嫌な予感もよぎるというもの。
こんなことをしてはいけない。そうは思うものの、私はピタリと壁に背をつけて、耳をそばだてる。
『何をしている』
冷たい声にビクリと体を硬直させた――が、フィグ様はどうやら、私ではなく、お兄ちゃんとノアさんに話しかけたらしかった。
私がそろりと様子を伺うと、麗しいお顔立ち三人衆が目に飛び込んでくる。うっ……まぶしい。その絵面だけを見れば、一体どこの花園に迷い込んでしまったのだろうか、と思うくらいだ。
「例の件について少し確認を」
っとしまった。フィグ様には何か言うかもしれない。例の件、だなんてあからさまに怪しいもの。説明にもなっていないし。フィグ様、例の件って何だ? ってとぼけてくれないかしら。そうすれば……。
だが、私の願いはあっけなく散る。むしろ
『……あぁ。失敗は許さん。邪魔をすることも、だ』
「もちろんです」
なんて摩訶不思議な会話が繰り広げられ、私は肩を落とした。
(どういうことなの? フィグ様も知っていて……失敗も、邪魔もダメだなんて……)
やっぱり、私をクビにするとか、そういうことだろうか。まさかとは思うが、私が仕事を辞める算段をみんなで話し合っていて、国の手続きや、世話係就任時と同じような謎の儀式や、なんだか分からないが超絶ヤバイその他もろもろの何かがあるのだろうか。
(どうしよう……)
今辞めたら、きっと村への援助も打ち切られてしまう。私だって仕事を失うし、そりゃ、いくらか貯金はあるとはいえ、村を救うには足りない。それは困る。しかも、フィグ様を更生させたいと誓ったのに、その目標すら達成できていないのだ。
このまま辞めたら、フィグ様はきっとまた、完璧超人なノアさんに甘やかされ、ダメダメな竜神様になってしまう。最近ようやくマシになってきた横暴ぶりも、もとに戻ってしまうかも。
世話係が減れば、ノアさんだって、そのうち私と同じように過労がたたる可能性だってある。二人なら分担も出来るだろうが、一人ではやはり大変だと思うのだ。ノアさんのことは尊敬しているし、少しでも力になりたいとも思っている。それもできずに、さようなら、なんて悲しい。
(クビだけはダメ……。クビにはなりたくない!)
私がブンブンと首を振っていると、急に視界が暗くなり、私は咄嗟に顔を上げた。
『……コソコソと、何をしている』
「フィ、グ、様……」
冷徹なアイスブルーの瞳に貫かれて、胸の奥がツンと痛む。
クビになったら、フィグ様とも、もう会えなくなってしまうのだ。せっかく、少しは分かり合えるようになったというのに。
『な⁉ きゅ、急になんだというのだ!』
思わず泣きそうになってしまった私に、フィグ様があたふたとせわしなく視線をさまよわせる。まずい。そんなつもりじゃなかったのに。
絶対に泣くもんか、と私はゴシゴシ目をこすって、代わりにフィグ様をキッと睨みつけた。今見たことは絶対に内緒にしてくださいよ、と念を込めて。
「別に! なんでもないです!」
お仕事がなくて、クビになりそうで、せっかく新しい世話係が来たのに役に立てなくて、フィグ様ともお別れになりそうで。自分が不甲斐なくて、悔しくて、それだけでなんだというのだ。
私には、私の出来ることがある。
その日が来るまで、全力でそれをやるだけだ。
「フィグ様! さぁ! なんなりとお申し付けください! 何だって、やってやります‼」
半ばやけっぱちで拳を握りしめると、
『あ、あぁ……』
と、珍しくフィグ様からたじろぐような返答。
いつもはあれをやれ、これをやれと命令するくせに、いざこちらが命令をもらおうとすると落ち着かないらしい。
けれど、私の今の仕事は、フィグ様のお世話をすること。ならば、それを全力でこなして、やっぱり私がいなくちゃ、と認めてもらう以外にない。
『……貴様、変なものでも食べたのか?』
私がキョトンと首をかしげると、フィグ様もまた、キョトンと首をかしげた。
例の件、もといお誕生日サプライズを知らないヴィティは、戸惑いをなんとかポジティブに変換してやる気を見せておりますが、やっぱり心の底では不安が隠し切れないようです。
そんなヴィティに追い打ちをかける出来事が……!?
次回「ヴィティ、逢瀬に出くわす?」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




