第五十三話 ノア、協力する
今回は、初の! ノアさん視点。お楽しみに*
「本当にあれでよろしいのですか?」
庭でお互いに顔を真っ赤にしたまま別々の方向を見つめてぎくしゃくと会話する竜神様とヴィティさんの姿に、わたくしが首をひねると頭上から穏やかな声が降り注ぐ。
「もちろんさ。竜神様、うまく聞き出せたかな?」
チラと上を盗み見る。元主の養子であり、わたくしと同じくベル家で育ったマリーチ様の柔らかな新緑の瞳が、それはもう大層美しく細められていた。
透けるようなきめ細かな肌。癖のあるストロベリーブロンドの髪。整った容姿に、けれど、男性らしさを感じさせる体格。小窓の枠にそえられた骨ばった手は大きくて……あぁ、どこをどう切り取っても素敵。
「ノア?」
「っ!」
「どうかした?」
「いえ、申し訳ありません。ヴィティさんの様子を見ていると、素直なお方で、こちらまでほほえましくなってしまうな、と」
だらしなくにやけた顔をしていなかったかしら。慌てて取り繕うように口を引き結ぶと、マリーチ様はいつも通りのほほんとした笑みを浮かべる。
「俺は、ノアのそういうクールなところが魅力的だと思うけれど」
魅力的。さらりと褒められて、わたくしは再び、にやけてしまわないよう表情筋を硬直させた。
一介のハウスキーパーが、元主人の息子に熱を入れるなど、間違っている。下手をすれば、マリーチ様の名誉すら傷つけられてしまう。叶わない想いなど、捨ててしまわなければならない。……捨てられないなら、せめて悟られぬように。
「もうすぐ、ヴィティの誕生日なんだ」
その話を聞いたのは、この屋敷へやってきた深夜のこと。ちょうど、竜神様がマリーチ様と他数名の竜騎士様を連れて、ヴィティさんの部屋を移動させる、と意味の分からない命令を下した時だ。
意味が分かろうと分かるまいと、主の命を聞くのがハウスキーパー、もとい、世話係の仕事。
少なくとも、ベル家ではそうだった。マリーチ様の義父様は、悪い人ではなかったけれど、貴族に仕えるのが下人の仕事だということは常々理解している。
わたくしの家もまた、昔は貴族と呼ばれる地位の家だったから。
両親は傲慢で、ハウスキーパーたちをまるで物か何かのように扱っていた。わたくしはそれを見て育ったせいか、どうにも、ハウスキーパーとはそういうものなのだ、と認識してしまっている。
家が没落し、ベル家に拾われ、ハウスキーパーとして働いた際も、自らの感情を出さずに仕事をすることで褒められてしまったものだから、それ以外のやり方は知らない。
ヴィティさんのように、主様に楯突くなんて、もっての他。けれど、そうやって真剣に主と対峙する姿は、どこかまぶしかった。
そんな彼女に憧れめいた感情を抱いてしまった以上、誕生日のサプライズをしたい、だなんて、マリーチ様に言われてしまっては断る理由を思い浮かべる方が難しいというもの。
ヴィティさんをお祝いしたいという気持ちは自然と湧きあがり、大切なマリーチ様のためになるのなら、という思いが膨れ上がる。
そのために、マリーチ様をいつも苦しめている竜神様にも協力しなければならない、というのはいささか悔しいが、ここはぐっとこらえるのみ。
「具体的に、何をすればよろしいのでしょう」
「竜神様。ヴィティの誕生日をお祝いしたいのですが、ヴィティが望んでいることをお聞きしませんか?」
当の本人がぐーすかと眠っているベッドを運びながらもなお、爽やかなマリーチ様に、竜神様はふん、と鼻を鳴らす。
『なぜワタシが、世話係のために』
「きっと、喜びますよ。世話係を労わるのも、主の務めとして必要では? 救いがあるからこそ、神としての信仰も深まるのですから」
マリーチ様のもっともらしいお言葉に、竜神様が一瞬口をつぐむ。マリーチ様は何やら訳知り顔だが、一方の竜神様は苦虫を噛みつぶしたようなお顔だ。
この竜神様、噂に聞くほどの悪神ではないようで、ただ、言葉の扱いと精神が少しばかり人間離れしているだけだ。
今までの世話係が逃げ出した理由は分からなくもないが――例えば、今日はゆっくり休めと言われた日の深夜にベッドを運ばされてはたまらない――わたくしにとって、大した問題でもない。
マリーチ様と同じ環境で働くことが出来るだけでも十分だ。最近は、忙しいだなんだと、ベル家にも戻られていなかったのだから、こうして世話係になってからの方が、共に長く過ごせている気がする。まだ、一日目なのに。竜の世話係になって良かった。
『ヴィティの、好きな物は』
「ご自身で、お聞きになった方が良いのでは? 俺とノアも、サプライズの準備をしますが、プレゼントはぜひ、フィグ様から」
『……知らん』
「でしたら、こういうのはどうでしょう? ヴィティに、質問をするのです。望んでいること……そう、例えば、行きたい場所など」
『行きたい場所?』
「えぇ。竜神様にしか、出来ません」
竜神様は、本物の竜になれると聞いた。本物も何も、わたくしは、竜という生き物を見たことがないので、一体どんなものか分からないが。きっと、その力を使えば、どこへでもひとっ飛び、といったところだろうか。
「……それは、素敵ですね」
わたくしがマリーチ様をフォローするように、押しの一言を添えると、竜神様は少し驚いたように目を見開いてから顔を背ける。あ、感じ悪。わたくしが言えた立場でもないけれど。
『……おい、新入り』
「なんでしょう」
『お、女は、それで喜ぶのか』
ヴィティさんが行きたい場所に連れて行ったとして、彼女は喜んでくれるだろうか。
脳内で、竜神様の言葉を何とか自分の知っている言語に翻訳して、わたくしは少し考える。正直、そんな経験は今まで一度たりともない。誰かに願ったこともなければ、空想の中でも望んだことすらない。が……。
「ヴィティさんなら、喜んでくださるのでは」
いや、正しくは、ヴィティさんは多分、何でも喜ぶと思う。素直で、存外謙虚だし。わたくしと違って、まっすぐに育ってきたのだろう。裏表のない性格だということは、ほんの少し一緒にいただけでも分かる。
感情が豊かで、明るく、可愛らしい。自分とは似ても似つかない存在だ。
わたくしの答えに満足したのか、竜神様は
『考えておく』
ボソリとそう呟いて、それからスタスタとご自身の寝室へ戻られていった。
ヴィティさんの大移動を最後まで見届けないあたり、横暴の由来が伺える。ゴーイングマイウェイ、とでも言うべきか。
「……何ですか、あれ」
主に向かって、あれとは失礼だと重々承知しているが、思わず漏れてしまった心の声に、マリーチ様がクスリと笑った。ヴィティさんによく似た、屈託のない笑み。育った環境はまったく違うだろうに、どうしてこの二人はこんなにも良く似ているのだろう。家族の血、侮るべからず、だ。
「竜神様は、ヴィティのことが大層気に入ってらっしゃってね。なかなか、素直にはなれないみたいだけど」
笑っていたはずのマリーチ様の表情は、どういう訳か、言い終わるころには複雑そうに歪められていた。その理由はもちろん分からない。
マリーチ様を、もう一度笑顔にしたい。
「わたくしも、サプライズとやらに協力いたしますので。その、元気を、出してくださいませ」
何とか必死に紡いだ言葉は、なんとも不格好で、これではあの主様と一緒じゃないか、と思ってしまう。
が、マリーチ様が肩を震わせ、笑みを噛み殺していたから、わたくしにはそれで充分だった。
ヴィティがお引越しした夜は、ノアさんもなかなか大変だったご様子。
そして、今度はヴィティのお誕生日が近い、ということで……またしてもお誕生日パーティにサプライズの計画が。
前回、波乱を呼んだサプライズ。今回は大丈夫なのでしょうか?
次回「ヴィティ、避けられる」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




