第五十二話 ヴィティ、不安になる
退屈である。
夏真っ盛りを迎えたホルンの麓。広大な庭に吹く風を感じながら、私はセルボワーズをあおるフィグ様を見つめる。
「フィグ様」
『なんだ』
「……お仕事が、ないのですが」
『給仕をしているだろう』
それは間違いない。確かに私は今、お庭のど真ん中でタープを張ってお昼の優雅なお時間をお過ごしになられている、フィグ様の給仕のお仕事中。フィグ様のグラスが空いたら酒を注ぎ、皿が空いたら軽食やお菓子を追加している。
だが、ほとんど空白の時間である。元々、フィグ様はおしゃべりでもないし、私だって、あえてフィグ様と話すようなことはない。
ただ黙々とホルンの山を背景に昼から飲み食いするフィグ様を見守る以外に仕事がない。
包み隠さず言えば――退屈の一言に尽きた。
『自ら労働を望むなど、まったく哀れなものだな』
「私もそう思いますが……」
空になったグラスをかかげられ、私はセルボワーズを注ぐ。飲み過ぎじゃないだろうか、と思うが、フィグ様は酒に酔うこともない。
「ただ、今まで働きづめで、落ち着かないというか……」
仕事をしなくていい、なんて言われた時は、どうにかなってしまうかと思った。ノアさんの優しい気遣いにより、何とかニートは免れたものの、料理に洗濯、掃除、草むしり……今までやってきたあれやこれやはほぼノアさんに任されている。
これでは、事実上のクビだ。給料泥棒だ。人としてあるまじき行為である。
「フィグ様は、よくこの生活が続けられますね」
ある意味、能天気なフィグ様が羨ましい。私の呟きに、フィグ様は怪訝な視線を送り付けてきた。
(当たり前だ。なぜ働かねばならん。とか思ってるんでしょうね)
『当たり前だ』
「……今ばかりは、それくらい堂々と出来るフィグ様が羨ましいです」
国一つ守っているのだから、働かずとも、存在価値を自ら肯定できるのだろう。誰かのために生きてきた人間には無理なことだ。承認欲求、とまでは言わないが、何もせず、自堕落な生活を堂々と送るなんて私には無理。心労がたたって、胃が痛くなりそう。社畜から仕事を取り上げても、良いことなどないらしい。
「それにしても、どうして急に」
いくらノアさんが超優秀なハウスキーパーで、私よりも家事全般をソツなくこなせるからといって、何も私の仕事を奪わなくたっていいじゃないか。
それもこれも、全部フィグ様のせいだ。
『ワタシと共にいられるのだぞ』
「だから何だというんですか」
『神と共に過ごせるのだ。光栄に思え』
「思えませんよ。むしろ、一緒にいるだけでいいなんて、恋人じゃないんですから」
私とフィグ様は、そんな関係じゃない。そうはっきりと告げれば、グラスを傾けていたフィグ様の手が止まる。
『べべべ、別に! こっ! こいっ! 恋人などと!』
フィグ様が、顔を真っ赤にして怒る。そんな険しい顔しなくても。というか、そんなに怒らなくてもいいのに。
「冗談ですよ」
さすがの私も、まさか冗談一つでそこまで憤慨されてはちょっと悲しいものがある。フィグ様から、そんなに嫌われているとは思わなかった。
「新しいお料理をお持ちしましょうか?」
『い、いらん! それに……』
「え?」
何やらゴニョゴニョと呟かれ、私は首をかしげる。フィグ様の声は、あまりにも小さくて聞こえなかった。「冗談じゃない」と聞こえた気もしたけれど、そこまで怒らなくてもいいじゃないか、とあえてそれ以上は追及しないことにする。
『追及しろ!』
「へ?」
『な! なんでもない!』
ガタタッと椅子から立ち上がったフィグ様は、すごい勢いで再び椅子に腰かけてプイとそっぽを向いてしまう。
フィグ様は、グビグビと酒をあおり、おかわり、とテーブルの上にグラスを勢いよくたたきつけた。やけ酒の時にする行動だが、何かお気に召さないことでもあったのだろうか。
これで何度目かのセルボワーズの給仕。それ以外の仕事がなく、手持無沙汰な私は、せめてお酌くらいは完璧にこなさなければ、と丁寧に注ぐ。
『……ヴィティ』
「はい」
『どこか、行きたいところは、ないか』
「はい?」
いきなりどうしたというのだろう。まさか、酒が回った? いやいや、フィグ様に限ってそれはない。
となれば、純粋な疑問か。はたまた、貴様はクビだ、早く出ていけ、という暗喩か。
「えぇっと……そう、ですね……。あえて言うなら、村、でしょうか」
『村?』
「生まれ故郷です」
『考えてやらんこともない』
「は?」
やっぱり、これはもしかしてクビ宣告じゃないのか。顔から血の気がサッと引いてしまうような感覚があり、私は背筋を正す。
生まれ故郷に戻れ。存外にそう言われている気がする。ノアさんという新しい世話係がやってきて、使えない私はお払い箱。いつものフィグ様なら、こんな回りくどい言い方はしないと思うけれど、もしかしたら、ここ数日でついに優しさというものを覚えたのかもしれない。
『失礼な』
「失礼しました。でも、その……クビとか、なら、早めに言ってほしい、というか……」
こんなところで優しさを見せられても、むなしいだけである。
ノアさんとの格の違いを見せつけられて、フィグ様と過ごしてきた今までの時間はなかったことにされるようで。
『はぁ?』
「いえ。その、ノアさんが来て、お仕事が少なくなって、本当は喜ぶべきなんでしょうけど。あまりにもお仕事がないので、私はもう、必要ないのかな、なんて思ってしまうといいますか」
いつもの肝の据わりようはどうした、と言われそうだが、さすがに給料泥棒のような待遇で、デンと構えていられるほど能天気でもない。
「もしかして、クビに、されるのかな、と」
最後の最後に、良い夢を見させてやろうではないか、みたいな? そういう展開なのか、と疑ってしまいたくなるような環境の変貌ぶりについていけてもいない。
あんなに辞めてしまいたいと思っていたのに、いざ、こうして突きつけられると、どうしてか寂しい気がするなんて。わがままだな、私。
『誰が、そんなことを言った』
「言われては、いませんけど」
『ヴィティは、ワタシと共に過ごすことが嫌なのか?』
「嫌だなんて! ただ、私は竜の世話係です。フィグ様のために、身の回りのお世話をすることが、私の役目ですし……」
『家事だけではないだろう』
「……え?」
『……ワタシと共に過ごし、人間とはこういうものだ、と教えるのではないのか。ワタシを叱り、更生させるのが、世話係の仕事だと……貴様が、ヴィティが言ったのだ』
「そんなこと、言いましたっけ」
『言った!』
「それで、私をお側に、おいてくださるのですか?」
『……ふん。あの女が来たんだ。家事など誰にでも出来ることを、ヴィティにさせる必要はない。これからは、ワタシの側にいればいい』
言い切ったフィグ様は、フー、フーッと鼻息荒く、顔を赤くして、再びプイと顔をそむけた。
まるで、告白のようなそれに、私の顔にも熱が集まる。
私も、フィグ様も、夏の日差しに長く当たり過ぎたのではないか。
そう思うことでやり過ごす。パタパタと顔を手で仰げば、ホルンから吹き降ろした涼しい風が頬をいくらか冷ましてくれる。
自らの鼓動が不自然なほど大きく跳ねていることには、知らないふりをした。
フィグ様がかなり頑張ったのですが! ヴィティは、その事実から目を背けてしまいましたね。
いまいちすれ違ってしまう二人ですが、今回のことでうまくいくのでしょうか。
そして、そんな二人を見守る影が……?
次回「ノア、協力する」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




