第五十一話 ヴィティ、干される?
目を覚ました私を襲ったのは、かすかな――否、盛大な違和感だった。
「あ、れ……?」
見覚えがない、とは言わない。確かに、ここは屋敷の一室だ。何度か掃除に入ったこともある。というよりも、この屋敷に連行されてきたその日に、身ぐるみ全てをはがされた、あの忌々しき部屋である。
「なんで?」
夢かしら、と頬をつねってみたら痛い。普通に痛い。つねらなきゃ良かった。絶対、夢に決まっている、なんて自分を過信して力を入れ過ぎた。最悪な目覚めだ。
確かに、昨晩はいつもより早くベッドに入った。竜の血を飲んでからは、質の良い睡眠がとれるようになり、それはもうぐっすりと眠ることの出来ている毎日である。だから、まさか寝ている間にフラフラと別の部屋へ夢見心地に移動した、なんてことはあり得ない。となると、いつぞやのごとく、誰かにここへ連行された、と考えるべきなのかもしれないが、あいにくと心当たりもない。
そんなことをする意味も分からないし、理由もないのだ。大体、何か用事があるなら、朝早くだろうとたたき起こしてくれた方が数倍マシである。
「……っていうか、人が寝てる間に乙女の部屋へ入ったってこと⁉」
信じられない! 私はベッドから飛び降りる。寝間着が乱れている様子はなく、なんなら、服や小物、その他もろもろ部屋に置いていた物は、場所は違えど、きっちりとこの部屋に揃っているように見えた。
きらびやかなドレスに囲まれて、いつも着ている洋服がおかれているのはなんとも悲しい気持ちにさせられるし、元の部屋がまとっている豪奢な雰囲気に似合わない質素なあれやこれやが目に付いて仕方がない。
「本当に、どうなっちゃってるの」
ノアさんがこの屋敷に来たこと以外は、普通の日だったはず。そりゃまぁ、昨日のノアさんの様子には終始驚かされっぱなしだったけれど、それはそれ、だ。朝目覚めたら、私の部屋が変わっていました、なんて奇天烈な出来事とは一切関係がない。
「それとも、ノアさんが、私と部屋が隣だったのが嫌で……とか……?」
だったら何だというのだ。さすがにあの型破りなノアさんでも、私を寝ている間に大移動させるような力はないと思いたい。本当に? ……いや、これ以上はやめておこう。
だとすれば、残る可能性はたった一つ。
おそらく、この隣の部屋でぐーすかといびきを立てて眠っている主、竜神様だ。
「それにしても、なんで?」
神の気まぐれ。それを凡人に理解することなど、不可能だった。
トントンと扉を控えめにノックされたのは、私物が全てこの部屋にそろっていることを改めて確認し終えたころだった。
「おはようございます、ヴィティさん」
ノアさんの声がこれほど頼もしく聞こえたことはない。この不可解な大事件を解決してくださるのは、きっと女神様――もとい、ノア様しかいない!
「おはようございます!」
寝間着姿ではしたないかも、と思うものの、年の近い同性なのだ。この緊急事態も加味すれば、許してくれるに違いない。
私が大慌てで扉を開け放つと、ノアさんは、こんな予測不能なことが起きているというにも関わらず、疑問を微塵も表情には出さなかった。湯気のたつ真っ白なタオルを持ったまま、もう一度「おはようございます」と朝の挨拶をする。
「良くお眠りになられましたか?」
「えぇ、まぁ……」
「どうぞ、こちらを」
「ありがとうございます」
差し出されるままにタオルを受け取る。あ、あったかい。ほこほことちょうど良い温度にされた蒸しタオルを顔に当てて、私は顔を洗う。
「じゃなくて!」
「熱かったですか?」
「いえ! ちょうど良かったです! ってそうじゃなくて! あの、昨晩、私、ノアさんの隣の部屋に戻りましたよね?」
私の手からするりとタオルを奪い取り、それをたたみながらも、ノアさんは確実に首を縦に振った。何を当たり前のことを、と言いたげな真顔はやめて欲しい。私だって、そう思ってるんだから。
私が負けじと困惑顔でノアさんを見つめると、ノアさんは何かを思い出したように、自白した。
「深夜、竜神様から、ヴィティさんをこちらの部屋に移動させるように、と仰せつかりましたが」
どうやら、先ほどの「何を当たり前のことを」顔は、「だから何だ」顔だったようである。しかも、そんな不可解な主からの命令を実行したと告げてなお、何か問題があったのか、とノアさんは表情で語る。
「……どうして?」
「知りません。ただ、一刻も早く、とおっしゃられましたので、竜騎士様たちを招集し、物音を一つ立てさせずにベッドごとこちらへご移動させていただきました」
ダメだ。ノアさん、お兄ちゃん以外は見えてない。
「何か、問題がありましたでしょうか」
「大問題しかありませんが……」
「本日より、ヴィティさんが行っていた業務の一切を代わりにするように、とも命じられましたが……もしかして、こちらも問題がありますか?」
「え?」
「料理、洗濯、掃除、その他もろもろの業務を、ヴィティさんの代わりに仰せつかりました」
「誰からですか?」
「主様です」
「……大問題です」
どこまでもポーカーフェイスを崩さないノアさんにとって、主人からの命令は絶対なのだろう。だからこそ、優秀なハウスキーパーなのかもしれない。だが、優秀過ぎるがゆえに……ちょっと、いや、かなり、天然なようである。
「ノアさん。フィグ様のところへ行きましょう」
「まだ、お眠りになられているかと思いますが」
「関係ありません。乙女が寝ている間に、部屋へ侵入した挙句、深夜に他人を起こして、寝ている人間をベッドごとお引越しさせるなんて前代未聞です。信じられません!」
私は寝間着であることなどもはや気にせず、ノアさんの手を引いて、すぐ隣の部屋の扉をドンドンと無遠慮にノックする。本来なら、ノックする必要もないだろう。扉を開け放って、二、三発殴ったって怒られはしないと思う。
「フィグ様! 入りますよ!」
主の返事も聞かず、私がバン! と勢いよく扉を開ければ、ベッドの上にこんもりと盛り上がった毛布の山がゴソリと動いた。
「どういうおつもりですか!」
大量の毛布を思い切り剥ぎ取ると、あからさまに不機嫌なフィグ様が何用だとこちらに冷たい視線を送る。絶対零度の視線など、今更怖くない。というか、その態度は本来、こちらのものである。
『騒々しい』
「当たり前です! どこの時代に、寝ている人間を大移動させるなんて非常識な人間がいるんです!」
『ワタシは、神だ』
「寝ぼけないでください!」
『……うるさい。貴様は、今日からあの部屋だ。文句は聞かん』
「せめて理由を教えてくださらないと! どうせ、夜中に変なことを思いついたのでしょう! 全て、洗いざらい、吐き出してください‼」
その辺に落ちている謎の木の実を拾い食いしたりするような神様だ。きっと、昨晩も何か変なものを口に入れて、おかしくなってしまったに違いない。
『うるさい! そんな阿呆の真似ごとをするか! 貴様は! 今日から! 働くことも禁止だ!』
それ以上の文句は受け付けない、とフィグ様は毛布を再びガバリとかぶりなおした。
『出ていけ!』
耐え切れないほどの突風が吹き荒れ、あっという間に部屋中を氷漬けにする。
(こんなところで、こんな力を使うなんて、本当にどうかしてる!)
さすがの私も、ノアさんを連れて、慌ててフィグ様の部屋から出るしかなかった。扉を思い切り閉めて、そのまま背を預ける。
「あの、これって……干された……って、ことですか?」
混乱したままの頭で、なんとか絞り出せたのは、そんな言葉だった。
目が覚めたら別の部屋にお引越しされていたヴィティですが、(フィグ様の気持ちなどもちろん分かるわけもなく)なんと、世話係のお仕事まで奪われてしまいました!?
まるでクビにされるかのような対応に、社畜上等なヴィティは、もちろん……。
次回「ヴィティ、不安になる」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




