第五話 ヴィティ、対面する
まばたきを数度繰り返して、私はどこまでも高い天井を見つめた。
「こ、こは……」
『目覚めたか』
「えっ⁉」
ガバリと体を起こせば、私の隣には美しい男の姿があった。竜騎士様も美しかったけれど、この男は、それを軽々と凌駕する。
『早く起きろ』
氷のように鋭利でつややかな声には聞き覚えがある。だが、声と同じく透き通るような肌や、サラリとしたシルバーの長い髪、美しいアイスブルーの瞳に見覚えはなかった。
私はズキン、と痛む頭を押さえる。
(やっぱりあれ、竜の血だなんて嘘じゃないかしら……)
村の男たちが、酒を飲んだ翌日は頭痛だ、吐き気だ、二日酔いだ、と言いながら鍬を振っていたのを思い出す。経験したのは、もちろん初めてだけど。
これが夢や幻覚でなければ死んではいない。……ということは、適合したのだろうか。竜の世話係という役目を正式にたまわり、村への援助も決まって。
喜ぶべきか、悲しむべきか。主が暴君という噂さえなければ、こんな複雑な感情を抱かなくてもよかったのだけど。
『失礼な。神に仕えるのだ、光栄に思え』
思考に割って入ってきた男から、私は素早く距離をとる。
そうだ。ひとまずはこの男。竜の血を飲んだ際に同席していた男と同じ物言いだが、一体何者なのか。顔だけでなく、身なりも良い。年は、竜騎士の男と同じくらいか。
「はじめ、まして……?」
私が警戒心むき出しながらにおずおずと頭を下げると、男はふんと鼻を鳴らした。
『この期に及んで、まだワタシを知らぬと』
そう言われても、初対面の人間が誰かを当てるような能力は持ち合わせていない。そういうのは他でやってくれ。私の悪態をよそ目に、男はうっすらと笑みを浮かべて、私が寝ているベッドへと腰かけた。
『竜だ』
簡潔な答えに、私の頭にかかっていたモヤがすっと晴れていく。
『貴様が一生呪ってやると言っていた、神だ』
ニタリと下劣な笑みを浮かべる男の、その美しいこと。こんな最悪な出会いでなければ、まごうことなき神様みたい。
『みたい、ではなく、神だ』
「ですが……」
私は目の前の竜神様を見つめる。どこからどう見ても普通の人。それとも、竜というのは、神様の名前なのか。
すっかり毒気を抜かれた私の視線に、彼は満足げにうなずいた。
『これは仮の姿だ。貴様らのような人間を理解してやるためのな』
どこまでも上から目線な発言だが、裏を返せば人間に合わせてくれているということ。百歩……いや、一万歩は譲って、この男が本当に神様だとするのなら、ずいぶんと人間に気を遣ってくれる神様のようである。
『存外物わかりが良いな』
竜神様は、そういう女は嫌いじゃない、と私の肩を抱き止めた。彼の体はしなやかだが筋肉質で、ひやりと冷たい感触が伝う。顎をついと掴まれ、冬の空を思い起こさせるような青灰色の瞳に正面から覗き込まれた。
『顔も、匂いもうまそうだ』
鼓膜が、甘いささやきに震える。
「や、めっ……」
竜は、無遠慮に腕の力を強めて、私の体を引き寄せる。体温が奪われていくような冷たさが、彼を人間ではないと証明していた。端正な顔がゆっくりと近づいてきて、私は息を止める――と、同時に自らの腹に力を込めた。
「……本当に、呪ってやるんだから!」
私は決死の思いで叫ぶ。助けてくれる人はいないけれど、このままいいように流されるなんて死んでもゴメンだ。死ぬのもゴメンだが。
竜はしばらく黙りこんだのち……耐えきれない、と声を上げて笑った。
『気に入った』
私がとっさに竜の腕を払いのけて身をよじると、彼は再び鼻を鳴らす。
『貴様の立場、その体に教えてやろう』
まるで爬虫類のよう。狡猾な瞳には、唯一無二の力を持つがゆえの横暴さと、野生動物みたいな獰猛さが混じる。猫に見つかったネズミの気分。それは気分だけでなく――
「う、ごけない……」
顔以外の、全身が氷漬けにされてしまったように重い。まさに神業。この男が私の仕える神なのだと、また一つ証明されてしまう。
『いい気味だな』
「こんな、ことをするから……みんな、辞めていく、のね」
力で相手を支配しようなどと、主としても神様としても、相応しくない。
『この状況で、まだ減らず口をたたくとは』
「世話係って、そういうもの、でしょう? 主が、間違いを犯したら……主を、更生させる……。だから、私は絶対に、あなたを更生させる」
こんなのが、この国の神様だなんて恥ずかしい。まだ、実在しているかも分からないような偶像を崇拝していた方がマシだったかもしれない。
『それが、主に対する態度か⁉』
「主様には、ぴったりでしょう?」
『貴様、許さんぞ!』
「なら、辞めさせればいいじゃない! それとも、辞表を書いて差し上げましょうか!」
売り言葉に買い言葉。それもお互いに売りたたき、買い叩いている。これが、主人と世話係の会話だと誰が思うだろう。
私がきつく竜を睨みつければ、彼はそこでぐっと言葉に詰まる。
『……や、辞めたければ、辞めればいい、だろう……』
竜神様の言葉に先ほどまでの勢いはなくなり、明らかに語尾が弱まった。何やら地雷を踏みぬいたらしい。急に視線をさまよわせる彼の姿に、一瞬にして頭が冷める。熱を奪われれば当然、自らの行いが褒められたものではなかったと気づける程度には、私も大人だ。
人として、やってはいけないことをした。それも、子供じみた真似で。さすがに、自分が情けない。
「あのぅ……すみませんでした……。もしかして、傷ついてます、よね……?」
先手必勝。こういうのは、下手に意地を張っても泥仕合になるだけで、結局謝ったもの勝ちなのだ。おずおずと竜を見れば、まさか謝られるとは思っていなかったのか、挙動不審な彼がフイと顔をそむけた。
『き、傷つくなど! わわわ、ワタシが小娘の言葉ごときで!』
「動揺のお色が隠しきれていらっしゃいませんが」
『べ、別に! そんなんじゃない! い、良いから早く支度しろ! ワタシに楯突く元気があるのなら、ワインの一杯でも入れてこい!』
先ほどまでの暴君が一転。いや、暴君ではあるのだが、わがままくらいにランクダウンしたというか。とにかく、神様然としたあの余裕たっぷりの横暴ぶりではなくなって、今やちょっとした小悪党である。なんだ、案外悪い人じゃないかも。
『う、うるさい! 小悪党とはなんだ!』
「人様の心を勝手に覗き見て、イライラするのはやめていただけると助かります」
(……もしかして、この神様、心の声が聞こえるがために、こんな風になってしまうのかしら)
私がそんなことを思えば、
『わ、分かったような口を!』
とあからさまに動揺したまま、竜は腰かけていたベッドから身を起こした。村では体感したことのない質の良いベッドが、ギシ、と音を立てて弾む。同時に、体を縛りつけていたような重苦しい空気も消えた。
『とにかく! ワインを持ってこい!』
どこぞの頑固おやじみたいになってきた。私は眉をひそめるも、キッチンの場所はおろか、竜がこの後どこへ向かうかも知らないことに気付く。これでも一応、正式に世話係となったのだから、飲み物くらいは入れてやるつもりになっているのだ。先ほどの謝罪も兼ねて。
「ちょっと待ってください!」
竜の着ている服の裾を掴めば、私は態勢を崩して、そのままズルリとベッドから転げ落ちた。ズドン、と鈍い音が広すぎる一室に響く。
『……貴様、阿呆なのか?』
「こ、これでも村で一番聡明だと言われて育ってきたんですけど」
鼻をさすりつつ顔を上げれば、同じくまぬけ面をした竜の美しい顔が目に入って、私は思わず吹き出した。
気に食わない。神様なんて、信じられない。けれど、この竜神様を更生させるまでは、私も立派な竜の世話係として務めを果たさなければ。
ついに、竜と対面したヴィティ。
竜の血にも適合し、半ばやけくそで世話係としての務めを果たすことを誓った彼女だが、世話係としての試練はまだまだ始まったばかりで……?
次回「ヴィティ、呆れる」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




