第四十九話 ヴィティ、同盟する?
グビリ。
それはもう見事な飲みっぷりで、フィグ様の――竜の血を飲み干したノアさんは、ワインレッドの瞳をカッと見開き、今までで最も大きな反応を見せた。
「ノ、ノア、さん……!」
私の慌てぶりとは正反対に、彼女は何事もなかったかのようにさっと立ち上がる。落ち着き払ってスカートの裾をはたく姿だけを見れば、本当に何もなかったみたいだ。
「神様の血というだけあって、大変美味ですね。ヘルベチカ史上、最も素晴らしい美酒でした」
とても美酒を飲んだ、とは思えないほどケロリとした表情で告げるノアさんに、どちらかといえば、フィグ様の方が顔を青くしている。
『……き、貴様……!』
「これで、正式に竜の世話係としてのお役目を賜ることが出来ました。幸いに存じます」
主の手で赤く染めたノアさんが、主に向かって丁寧なお辞儀をする。誰が、この光景を予想したことだろう。
「だ、大丈夫なのか⁉」
お兄ちゃんも目を丸くしてノアさんに駆け寄るが、ノアさんは「何が?」と言いたげに首をかしげた。
「別に、何も問題ありません」
「と、とにかく! 今は何もなくても、これから何かあっては困る! ノア、失礼するよ!」
言うや否や、誰よりも大慌てな兄がノアさんをヒョイと横抱きにして、
「ヴィティ! 竜神様の手当てを頼む! 俺は、彼女を部屋に連れていく!」
とその場を後にした。
一瞬、あの、ノアさんのポーカーフェイスが乙女の顔になっていた気がするのは、私の気のせいに違いない。だって、竜神様の血を自ら進んで飲んだ上、真顔で美酒だったと言い放った女性が、たかだか兄にかつがれたくらいで乙女になるなどありえない。
「……ありえない、ですよね」
何もかもが規格外なノアさんに、私が思わず独り言を漏らすと、フィグ様がげんなりとした目でうなずいた。
『今回だけは、ヴィティに賛同してやる』
神様にも信じられないことが起こるのが、どうやら現実という世界らしい。
「フィグ様、とりあえず手当を」
鮮血を滴らせた手を私がとれば、フィグ様は『必要ない』とその傷をあっという間に消し去った。
『今日は、もう何もしてくれるな』
私にもお暇を与え、フィグ様はトボトボと自室へ向かう。
その背中が、やけにしゅんとしているように見えたのも、気のせいだろうと思うことにする。
結論。
私はフィグ様からお暇をもらい、ノアさんは過保護な兄に「せめて今日だけは休んでくれ」と頼まれて、選ばれし純潔なる乙女二人は、殺風景な部屋の真ん中で膝を突き合わせていた。
ベッドから一歩でも出ようとすると兄に注意されて動けないノアさんの荷物を、運よく手の空いた私が運び込んだのだ。彼女の荷物は、私と同じか、それより少ないくらいで、大きな部屋にポツンと荷物がおかれている様は、あまりにも寂しい。
「とにかく、ノアさんが無事でよかったです」
正直、どうかしていると思う。そうでなければ、竜の世話係に応募などしてこないのだろうけれど。
私が果実水を差し出すと、ノアさんはそれを素直に受け取る。
お兄ちゃんに相当厳しく言われたようで、ノアさんも今日ばかりは好意に甘える決断をせざるを得なかったらしい。
「申し訳ありません」
「いえいえ。むしろ、お兄ちゃんがすみません……」
顔こそ取り澄ましてはいるが、しゅんとした態度のノアさんに、私も恐縮してしまう。
フィグ様のしゅん、と、ノアさんのしゅん、はどこか似ている。二人のタイプは決して違うのに、そういう態度からかけ離れた二人が見せる仕草は、どうにもぎこちなくて可愛らしい。
(いけない、いけない)
油断すると、すぐに訪れてしまう無言。私はなんとかそれを払いのけるように、冗談交じりに話を切り出す。
「それにしても、本当にびっくりしました。まさか、ノアさんが自ら竜の血を飲むなんて……」
せっかく、ノアさんとこうして話す時間が取れたのだ。これから一緒に世話係として働いていくのだから、少しでも親睦を深めたい。
「飲まなければ、正式に世話係として認められないと知っていますから」
ノアさんは、淡々と答える。一見すると不愛想にも思えるけれど、丁寧な物言いと穏やかな声色が、私の存在も、この時間も、受け入れていると教えてくれていた。
「そんなに、フィグ様……竜神様のことを?」
ここまで信心深い人を初めて見た、と私が驚けば、ノアさんは一瞬視線を逸らし、それから「いえ」と言葉を切った。
こんな完璧すぎて規格外じみた人でも、ためらうことはあるのか。
私がそんな風にノアさんを見つめていると、彼女は真顔のままに、けれど口調だけは控えめに告げる。
「竜神様を、少しでもまともにしなければならないと感じたのです」
「……は?」
まさか、そんな言葉が飛び出すとは思っていない。思わず私は、乙女相手になんとはしたない言葉を、と自らの頬をペチペチとたたく。
「すみません、つい取り乱してしまいました」
おほほ、と誤魔化してみたが、ノアさんはさして気にしていないようだ。
「ヴィティさんの前で、このようなことを言うのは、不躾極まりないと存じ上げておりますし、決して今までのヴィティさんの苦労を批判したい訳ではないのです。ですが」
「フィグ様を、更生したい、と」
「はい。竜の血も飲んでいないような娘が、竜の世話係などおこがましい、と、あの竜神様はおっしゃるでしょう。わたくしは、そのような態度が気に食わないのです」
ばっさりと、飾りつけもなくフィグ様を切り捨てるノアさんに、私は呆然と口を開ける。
まさか、ここまで言ってくださるお方がいらっしゃるなんて……。
「やっぱり、ノアさんは女神です!」
ガシリと私に手を掴まれても、クールビューティーなノアさんはピクリともしないが、それすら凛々しい戦乙女に見える。
「同盟を組みましょう! ぜひ! 私と一緒に、フィグ様を更生させましょう!」
この国の未来のためにも、と私がブンブンと手を大きく振る。
「この国の、未来のため……」
ノアさんは、少し考えて、私の方へとまっすぐに視線を向ける。
「わたくしは、竜騎士様のために、ですが」
「へ?」
「わたくしが、竜神様を更生させたいのは、竜騎士様であるマリーチ様を少しでもお助けしたいからにございます。ヴィティさんのように、大それた野望は持ち合わせておりませんので、同盟を結ぶなんておこがましいかと」
「……今、なんと?」
「ですから、同盟を結ぶなんておこがましい、と」
「その前です!」
「ヴィティさんのように、大それた野望は……」
「もう少し! 前に!」
「マリーチ様を少しでもお助けしたいからにございます」
「それです‼」
興奮気味に食ってかかってしまって、私の肩がゼェゼェと上下に揺れる。私をこんな風にしたノアさん本人は、一体それの何が、と言いたげに私を見つめた。ノアさんは、自分の言っている意味を理解しているのだろうか。
それはまるで――
「愛の告白に、聞こえるん、ですが……」
私が噛みしめるようにノアさんへ確かめれば、ノアさんはその瞬間、初めて人間らしい反応を示した。
急速に顔を真っ赤に染め上げたノアさんの頭頂部から、ボンッと音が聞こえそうなくらい。
人間火山と化したノアさんは、口をハクハクとさせた。
竜の血を飲んでもケロリとしているノアさんですが、どうやらそんな彼女にも人間らしい一面があるようです。
これを機に、ヴィティはノアさんと仲良くなれるのでしょうか?
そして、何より、ノアさんが苦手なフィグ様は……?
次回「フィグ、認める」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




