第四十七話 ヴィティ、決める
私は決めた。兄になんと言われようと、どれほど恨まれようと、彼女を――私の女神様を、必ずや世話係にしてみせると。
「スリーズさん」
「待て! ヴィティ! 考えなおすんだ!」
「なんでしょうか、ヴィティ様」
「ぜひ! 竜の世話係になってください!」
「ヴィティーッ‼」
兄の絶叫むなしく、スリーズさんの堅牢な意志と、大臣と副大臣による正式な了承をもって、彼女はめでたく竜の世話係となることに決まった。
帰りの馬車で、これでもかとむくれる兄の肩を、私がポンポンと撫でる。
「口もききたくない」
「子供みたいなことを言わないでください」
「いやだね! 俺は! 自分の屋敷の最も優秀なハウスキーパーを引き抜かれたんだよ⁉」
「引き抜いた訳じゃありませんよ。スリーズさんが、自らの意志で選択されたんですから。スリーズさんの意志を尊重すべきです」
「お義父上も、なぜこんな暴挙をお許しに……」
「それこそ、主様だからでしょう。従者を思い、応援し、送り出すのも雇い主の役目ですもの」
「……ヴィティが厳しい」
すっかりいじけモードな兄の背をさすってやると
「そんな慰めいらないよ!」
とさらに機嫌を損ねられてしまった。
とはいえ、私はやはり、スリーズさんこそ真の世話係に相応しいと思うのだ。
悪名高い竜神様に仕えたいだなんて、普通思うだろうか。しかも、あのポンコツぶりを知っていて、だ。
悪い噂を信じることなく、的外れな期待で世話係を志すのなら、ただの蛮勇だと言えるだろう。だが、彼女は違う。一日、フィグ様と共に過ごした上で、竜神様に仕えることが名誉だと言えるのだから、もうこれは正真正銘女神以外の何者でもない。
お兄ちゃん、ごめんね。私は、スリーズさんに全てを捧げるって決めたの。
例え、お兄ちゃんを敵に回しても、私の安寧と、フィグ様のこれからを願えばこそである。
「今度から、誰が俺たちの部屋を掃除してくれるんだ……」
お兄ちゃんはげっそりとした顔で馬車の外を眺める。
竜騎士様たちも大概ポンコツなのはもう知っているので、今更驚くような話ではないのだが、例にもれず、お兄ちゃんもかなりのものぐさらしい。
軍人としてキツイ訓練を受けた後に、家に帰って身の回りのことなど出来るわけがない、というのが言い分なのだが、どうやらベル家の当主もそういう方針らしく、料理も掃除も裁縫も、何一つ満足には出来ないのだ。
「……スリーズさんも、きっと大変な思いをされてきたんでしょうね」
フィグ様ほどではないにしろ、そんな主の元で働いていたのだから、スリーズさんも相当な思いをしていたことだろう。彼女は、決してベル家を嫌って、というわけではなさそうだが、フィグ様の性格に目をつぶることが出来て、似たような業務をするのなら、確かにより給金の良い竜の世話係になることを選ぶかもしれない。
ただ、命を賭けるほど、金に無心している風でもなかったし、他にも理由はあるのだろうけれど。
私の独り言が兄の胸をえぐったのか、お兄ちゃんは口を閉ざした。相当拗ねている。そりゃまぁ確かに、信頼のおけるハウスキーパーがいきなり辞めて、別の職場で……それも、悪魔のような主に鞍替えするというのだから、ショックなのはわかるが。
馬車に漂う重い沈黙。だが、それも長くは続かない。
「何が、いけなかったと思う」
思いつめた表情から出た真剣な声は、兄を一人の青年に仕立て上げていた。
「……そんなに、スリーズさんのこと、ショックだったんですか?」
普通、ここまで思いつめることだろうか。竜神様のように、ハウスキーパーが一人というわけではあるまい。代わりの人もいるだろうし、新たに雇おうと思えば、きっといくらでも手を挙げる女性もいるはずだ。
「彼女には、色々と世話になったんだ」
竜の世話係ならぬ、兄の世話係、ということだろうか。スリーズさんの方がいくつか年下に見えたけれど。
「俺が、義母上の誕生日祝いに料理を作ろうとして、屋敷を焼き尽くそうとした時も助けてもらったし、俺の上司が義父主催のパーティで粗相をした際のフォローも完璧だった。義父のちょっとした火遊びが義母にばれそうになった時も、彼女が全てを処理して……」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「なんだい?」
「いや、やらかし過ぎじゃありません……?」
スリーズさん、やっぱりベル家が嫌で辞めてきたんじゃなかろうか。
私なら、一つ目のボヤ騒ぎだけでも頭が痛くなってしまうというのに、その後に続いたろくでもない話二つに飽き足らず、まだまだ色々と出てきそうで怖い。新手のドッキリなの?
「えぇっと、ちなみに、スリーズさんって今、おいくつで?」
「二十四だよ」
やっぱりお兄ちゃんより年下じゃない! 年下の乙女に、なんてことをさせているんだ男共は!
「没落した貴族からベル家が雇い入れたらしくてね。小さいころからの知り合いなんだ。血のつながりがない者同士、色々と二人で話もしたりしたよ。あんなに立派になるなんて……」
もはや、親のような目で過去を振り返っているが、兄も今年で二十八だったはずだ。スリーズさんとは対して変わらない。
「ヴィティが、お嫁さんに行くときも、こんな感じなのかなぁ」
ぼんやりと呟いた兄に、いや、それ以上だろう、とツッコむのはやめておく。異様なまでの溺愛を受けている自覚はあるものの、自分で言うのは気が引けた。
「嫌だな……」
少なくとも、俺より優れている人間でないと認めない。そんな風に決め顔をする兄のひざもとを軽くペチリとはたいて、私はため息をつく。
「つまり、優秀なハウスキーパーであり、古くからのご友人を、フィグ様のもとに差し出すのがお嫌だと」
「まぁ、そうなるね」
「その割に、最愛の妹はさらっと差し出しましたよね」
「あの時は知らなかったんだよ! 確証もなかった! 悪かったと思ってるよ!」
ガシリと手を掴まれて熱弁をふるわれては、私もそれ以上追及は出来ない。
とにかく、スリーズさんが世話係になることは、もう正式な決定事項であり、私も兄の想いを聞いたからといって、それを覆す気など毛頭ないのだ。
竜の血を飲んで、毒に耐えられずに死んでしまった、なんてことだけは避けたいので、なんとかそこだけは免除いただけないかと竜神様にお願いをするつもりではいるが。
そもそも、純潔なる乙女、とか言っているけれど、別にそれの何が世話係になるための条件なのかも分からない。フィグ様のただのフェチでしかないんじゃないの。
スリーズさんは、なんとしてでも、私が守らなくては。
「絶対に、お兄ちゃんみたいな手荒な真似はしないんだから」
「……ヴォヌール語でお願いしても?」
「お兄ちゃん、グルゲン語も分かるでしょう」
「いやぁ、ヴィティのグルゲン語は、美しすぎてね。ほら、俺も、ヴォヌール語圏の出身だから」
冷や汗たらたらな兄に、にっこりと笑みを向ければ、兄はヒューと上手な口笛を吹いた。
「口笛はうまいんですね」
「歌は下手だけどね」
いつぞやの子守歌をせがんだ時のことを思い出し、私は思わず笑ってしまう。
もうすぐ、新しい世話係がやってくる。
その時には、絶対に、私と同じ目には合わせない。そう心にかたく誓った。
どこまでもスリーズさんを世話係にしたくない、往生際の悪いお兄様に、ヴィティも少し呆れているようです。
とはいえ、竜の世話係の任命を撤回するつもりもなく。代わりに、スリーズさんをなんとしてでも守ると決めたヴィティ。
ですが、どうやらそう簡単にはいかないようで……?
次回「ヴィティ、止める」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




