第四十四話 ヴィティ、訝しむ
王城から帰ってきて、どっと疲れが出た私を出迎えたのはフィグ様だった。
今朝、屋敷を出発した時はまだ眠っていたように思うが、どうやら今日は一人で起きることが出来たらしい。素晴らしい進歩だ。えらいぞ、神様。
フィグ様は、起きてから屋敷に私代理の竜騎士様しかいなかったことがよほど不満だったのか、あからさまに眉をしかめていた。その顔は明らかに、私を見つけたら開口一番に怒鳴りつけてやろう、と構えたものだったが――
『……なんだ、その恰好は』
私の姿を見るなり、気が変わったのか、すっかり毒気を抜かれたようで、ポカンと口を開けた。彫刻のまぬけ面は何度みても興味深いというかなんというか。
「王城へ連行されまして。大臣に会うのに、普段着ではだめだと着替えさせられたんです」
そしてなぜか、そのまま帰ってきたのだ。後ろから遅れてきた兄をじとりとねめつける。
『王城?』
「フィグ様が、竜の世話係を増やしてくれと頼んでくださったおかげで、その選考会が始まるそうですよ」
今回ばかりは、神様に願いを聞き入れられたと思って良いだろう。救済という神の義務すら知らぬようなフィグ様が、ついに、私に救いの手を差し伸べてくれたのだ。ここまでの紆余曲折を全て水に流してもいいと思える。
(フィグ様、万歳!)
私が心からのお礼をフィグ様に述べると、彼はまるで信じられないとばかりに目を見開いた。さすがに失礼である。私だって、恩を感じれば礼くらいは言う。
『別に、貴様のためではない』
「そうなんですか?」
『た、ただ! 世話係など何人いても困るものではないからな! ワタシがより快適に過ごすためには、当たり前のことだ!』
私のためではないと言いつつ、チラチラとこちらに視線をやるフィグ様には、思わず笑みがこぼれてしまう。フィグ様が素直でないのは、今に始まったことではない。
(新しい世話係の人は、そういうことを受け入れてくれる人じゃなきゃダメね)
それこそ、肝が据わっているか、のほほんとしていて動じないか。そんな人選でなければ、またフィグ様の悪態に騙されて辞めてしまう。
「新しい世話係の人が来るまでに、フィグ様がもう少し素直になってくださればいいんですけど」
冗談交じりに付け足せば、フィグ様はふんと鼻を鳴らした。
『くだらないことを言っていないで、さっさと飯を作れ』
「そうですね。着替えたら、すぐに取り掛かりますから、フィグ様はそれまでお休みになられてください」
そちらが引き留めるように話をしてきたのだろう、と心の中で付け加える。そのまま、自室へ戻ろうとすれば、フィグ様に手を掴まれた。
『待て』
「早くしろ、とおっしゃいませんでした?」
『飯を作るのが先だ』
「ですが、お洋服を汚してしまってはいけませんから。着替えなんて、すぐですよ」
『主の言うことが聞けないのか!』
「そんなにお腹すいてるんですか⁉」
今の会話のどこに、ブチギレ要素があったというのだろう。さすがの私もびっくりである。着替えに何十分と時間をかけるなら別だが、そんなにかけるつもりもない。
「ヴィティ、竜神様がこうおっしゃっているんだから。服は汚しても捨てれば良い。先に昼食の準備を」
私とフィグ様の仲裁に入るように……とはいえ、あからさまにフィグ様の肩を持つお兄ちゃんに、フィグ様はどこか満足げな笑みを浮かべた。むかつく。
「ですが! さすがにもったいないですよ」
翡翠色のサマードレスは、王都で私のために、と見繕われたものだが……こんなに美しいドレスを汚すどころか、捨てるだなんて。信じられない。これだから金持ちってやつは。
「だいたい、もったいないと取っておいたって、ヴィティは普段着ないだろう」
「それはそうですが……」
「だったら、今日だけでも、しっかりとその服を楽しんで。服は着るためにある。第一、その服だって、タンスの肥やしにするような服でもないんだから」
さすが兄。その口の回り方に、今日ばかりは辟易とする。この格好で料理なんて、どうかしている。なんとか必死に頭を回して、服を着替えるための算段を絞りだそうとすれば、
『早くしろ』
とわが主からとどめの一言を受けた。
「ほら、主様をお待たせしてはいけないよ、ヴィティ。君は、立派な世話係になるんだろう?」
ここまで来ると、もはや悪人にしか見えない。というか、なぜそこまでこの格好にこだわるのだ。そりゃ、確かに一瞬着て、はいおしまい、なんて、それこそもったいないと分かっているけれど。
「……分かりましたよ」
二人からの謎の圧に負け、私は自室ではなくキッチンへと方向転換する。
こんな時ばかり二人は仲が良いのだから、まったく信じられない。どうして二人で手を取り合ってるのかしら?
急かされて昼食を作ることになったが、キッチンにまでフィグ様とお兄ちゃんはついてきた。フィグ様どころか、これではお兄ちゃんまでどうかしている。私は二人に怪訝な視線を送る。
「……あの」
『なんだ』
「どうしたんだい?」
「……もう、良いです」
なぜかニタニタと口端を上げて笑う不敵な二人に、見世物ではないと怒鳴りつけたい。ドレス姿が似合っていないことなど、重々承知しているが、改めてそんな風に笑われるのは腹が立つ。
(えぇ、どうせ似合ってないですよ! 私は元農民ですもの!)
私が怒りをフェンネルにぶつけ、ブチリと葉をちぎれば、二人は途端に私から視線をそむけた。
ひらひらふわふわのドレスのスカートをひるがえしつつ、腕のあたりで大きく揺れる裾を汚さないよう注意を払う。ナイフを扱うにしても、火を扱うにしても、このオーバーサイズな手元のひらひらが特に邪魔だ。貴族の女性は料理などしないのだろうか。
フェンネルの葉をフダンソウとピーチ、チーズと共に和えて軽く火を通す。オリーブを潰し入れて塩で味付けすれば、まずは簡単なものが一品。
それでも、いつもより明らかに手際は悪く、時間がかかってしょうがない。
だというのに、あれほど早くしろと私を急かしたフィグ様も、隣でせめて洗い物くらいはと手伝いを申し出たお兄ちゃんも、文句ひとつ言わない。むしろ、時折私を見つめてはニヤニヤとなんとも言い難い笑みを浮かべていて、気持ち悪い。
「……先に、こちらを食べていてください」
私がそそくさとボウルに盛ったそれらをフィグ様へ手渡せば、フィグ様はじっと私を見つめた後、口をパクパクとさせてから押し黙る。
「おっしゃりたいことがあるなら、言っていただけた方が良いのですが」
さすがにやりづらい。あの冷徹フィグ様にすら、似合ってないと口にするのがためらわれるほど、似合わないのだろうか。そこまででもないとは思うのだが。
私が眉をひそめると、フィグ様は大きな声で
『別に! なんでもない!』
と料理を口に運んだ。くそう。料理を食べている間は、しゃべらなくていいからって。
何を隠しているのか知らないが、あからさまにおかしいのだ。とはいえ、言及しても答えてくれそうな気配もなく、私は渋々フェンネルの根を刻むことに集中した。
普段、これでもかと失礼な言葉や悪口しか出てこないフィグ様には珍しく、その後のご飯も彼は黙々と平らげた。かと思えば、
『一日そのままでいろ。命令だ』
と意味の分からない命令を私に下す。
兄も、それがいいと大きくうなずいていて、私はますます二人に怪訝な視線を送らざるをえなかったのだった。
フィグ様へのお礼はドレス姿でばっちりですね。
ニヤニヤと見守られている当の本人はやっぱり、フィグ様の愛とお兄ちゃんのシスコンぶりには気づけないようですが……。
果たして、新しい世話係さんに相応しい人は選考会に来てくださるのでしょうか。
次回「ヴィティ、選ぶ」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




