第四十二話 ヴィティ、迫られる?
やっぱり、フィグ様がおかしい。
仕事を奪われ続けた生活から解放され、ようやく社畜に戻ることが出来たのだが……なぜか、今までは部屋の中でのんべんだらりと自由気ままに過ごしていたフィグ様がやたらとついてまわってくるようになったのである。
正直、邪魔だ。口に出して伝えても、フィグ様のハートは超合金で出来ているらしく、まったく折れることがない。
「フィグ様……」
キッチンでカトラリーを磨く私の髪をいじり倒すフィグ様は、私が睨みつけてもどこ吹く風だ。
しかも――
『手を動かせ、ヴィティ』
なぜか、最近やたらと名前を呼ばれる。小ばかにしたように、貴様、と呼ばれることに慣れ過ぎていて、名前呼びなんてくすぐったいことこの上ない。
「動かしてますよ」
『今日の食事はなんだ』
「さっき、お昼を食べたばかりでしょう」
もしかしてボケてきてる? 確か、以前聞いた話からすれば、フィグ様の寿命はまだまだ先だったはずだが。死を目前にして、人の大切さを知ったとでもいうのだろうか。
『勝手に殺すな』
「ですよねぇ」
一蹴されて、少しばかりホッとする。いくら横暴で、人の家事の邪魔ばかりするフィグ様とはいえ、これでも私の主様である。急に亡くなられては困る。
「フィグ様にどんな変化があったのか、私は不思議でたまりませんよ」
彼は私の心が読めるのに、竜の心は私には読めないのだから理不尽極まりない。どうせなら、フィグ様のことも分かればいいのに。
『分かるだろう』
「わかりませんよ。フィグ様の食べたいお昼ご飯も分からなかったんですから」
今朝がた竜騎士様がとってきてくださった魚料理を出したら、肉にしろ、と突っ返された。魚料理は私がおいしくいただいたから問題ないものの、どうせなら作る前に言って欲しかった。
『ふん。言わずとも、察するのが世話係の役目だろう』
「起こした時に聞いたじゃないですか。魚でいいですかって」
『良いと言った覚えはない』
「ダメだと言われた記憶もありませんけど!」
磨き上げたばかりだが、フォークを机に突き刺したい気分になって、私は無理やりに怒りを抑え込んだ。
フィグ様ばかりを責めてもしょうがない。確かに、どちらも用意するなり、フィグ様に念押しするなり、やりようはあったのだろうし。一流の世話係たるもの、それくらいはフィグ様の横暴を見越して然るべきなのだ。
はぁ、と大げさにため息をつけば、フィグ様はいじり倒した私の髪から手を離して、立ち上がる。
『この後の予定は』
「フィグ様にはありませんよ。あったことなんて、ないじゃありませんか。お部屋でゆっくり、お休みになられていてください」
『ヴィティは』
「私ですか? 東側の建屋へ行ってみようかと」
まだ一度も入ったことのない、立派なドーム天井の建物。気になってはいたのだが、用事もないので、行く機会すらなかった。仕事の少ない今、フィグ様が休んでいる間に、見に行ってみようと思ったのだ。どうせ、仕事以外にはすることもないのだし。
『ワタシもついていってやろう』
始まった……。あしらうのも面倒くさい。どこへ行くにも、何をするにも、なぜかこうしてついてくるのだ。やっぱり何かあったんじゃないだろうか。
「結構です」
『迷わぬよう、案内してやる』
「さすがにもう迷いませんよ」
『光栄に思え』
カトラリーをきっちり並べ終えた私の手を取って、ぐいと引っ張るフィグ様に、私の座っていた椅子がガタン、と音を立てる。人の話をまるで聞かないフィグ様に先導されるがまま、私の足は東へと向かった。
建屋と建屋を繋ぐ渡り廊下を、霊峰から吹き降ろした風が吹き抜けた。柱と屋根が日差しを遮っているせいか、外だというのに肌寒い。
「やっぱり、こちらは夏でも寒いくらいですね」
夏でもヘルベチカ全土は穏やかな気候で過ごしやすいが、私の過ごした村に比べれば、はるかにここは涼しい。さすが雪山ホルンの麓。
気温とは裏腹に、夏らしく青々と生い茂った芝生に目を細めていれば、わずかにフィグ様の手に力がこもった気がした。
『帰りたい、と思うか』
「えぇ、まぁ」
『……ワタシがいるだろう』
「ポエムか何かにはまってるんですか?」
王都の方では、騎士様が貴婦人のために冒険する、なんてラブロマンスが流行っていると聞いた。竜騎士様もこれでさらにモテモテになれる、と意気込んでいたが、反して竜の世話係になりたいという女性の募集は多くないらしい。残念だ。竜騎士様がもっとガンガン働いて、世話係を早く増やしてほしいところなのに……。
私がフィグ様を見やれば、フィグ様は神妙な、というよりも奇妙な顔で私を見つめている。
「前を見て歩かないと、危ないですよ」
『ふん。ワタシは前など見なくとも……』
言いかけて、ゴツン、と渡り廊下の先にあった扉にぶつかったフィグ様に、私は笑いをかみ殺す。だから言ったのに。
『貴様……』
「八つ当たりしないでくださいよ! ほら、大丈夫ですか?」
美しいフィグ様の額がほんのりと赤くなっている。ちょっとしゃがんでください、とフィグ様のおでこをさすってやれば、フィグ様は鼻を鳴らした。
「大丈夫そうですね。もし、痛みが残るようでしたら、後で冷やしましょう」
美しいお顔に傷が残っては大変だ。名誉の負傷ならばともかく、単なる間抜けの証拠である。
『口が悪いぞ』
「失礼しました」
入り口の扉を開けながら、フィグ様を先に中へ通す。中からは、少しかび臭い、というか、湿っぽい香りが漂ってきて、私はゆっくりと中を覗き込んだ。
「……ここは」
ドーム天井の一角に埋め込まれたステンドグラスから、日の光が差し込む。ぽっかりとそこだけが照らされていて、あとは薄暗い。木製の棚がいくつも並び、羊皮紙の束やら、なんだかよく分からないが美しい鉱石やら、枯れ果てた花やらがおかれていた。
「何かの保管庫、ですか?」
『知らん。人間が置いていったものだ』
「人間って……」
『過去の王族たちが、こぞってここを宝物庫と呼んでいた』
「宝物庫⁉」
まさか、王族たちの金銀財宝が眠る場所とは。人間に興味のない竜神様を利用して、国の貴重なものを守るために作った、ということだろうか。
『欲しいものがあれば、もっていけばいいだろう』
フィグ様は、やはり興味がないのか、私をチラと一瞥する。まさかそんな大それたことが出来るような人間ではないし、残念ながら私も宝物とやらには興味がない。十分すぎるほどの賃金はもらっているし、村への援助も受けている。
『やはり、貴様は阿呆だな』
「へ?」
『今までの世話係は、ここからいくつもの物を盗んだぞ』
「それを阿呆というんですよ、神様」
私が顔をしかめれば、フィグ様はなぜか満足げに私を見て迫る。
『やはり、ヴィティは、良い』
は?
心の声を止めたと同時に、フィグ様が扉の方へ手をついた。その圧に押されて、今しがた入ってきたばかりの木造の分厚い扉に、私の背中がピタリとつく。
逃げられない。フィグ様に退路をふさがれ、その端正な顔が少しずつ近づいていく。おいたが過ぎるというか……。
(どういう状況? っていうか、やっぱりフィグ様)
この間から変!
私が、手探りでドアノブを下げると、ガチャンと扉が開いて、当然、扉に体重を預けていたフィグ様は、派手に前へとつんのめった。
フィグ様の額に、再び真っ赤な跡がついたが、それもこれも自業自得だと私は思うことにした。
やっぱりフィグ様の想いは、鈍いヴィティにはなかなか届かないようです。
ですが、ヴィティの想いはしっかりとフィグ様に伝わったようで、次回、ついにヴィティにも嬉しいお知らせ……もとい、断ることのできない新たなお仕事が!?
次回「ヴィティ、招集される」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




