第四十一話 ヴィティ、かまわれる
最近、やけに竜神様にかまわれる。
私は、刺繍針を布の端に休ませて、先ほどから私の肩に顔を乗せ、手元を覗き込んでくるフィグ様の方へチラリと視線を投げた。
竜の血のおかげか、お医者様のおかげか、私の体は二日ほどで完全に回復したのだが、お兄ちゃんとフィグ様から、しばらくは仕事を減らすようにと言いつけられた。
この屋敷内で起こることは全て世話係の仕事だ、なんて当初言っていたフィグ様までもが、
『使わん庭など、掃除しなくていい』
そう言った時には、私が熱にうかされている間に、フィグ様の植えたチーズが木になったんじゃないかと思った。
特に夏は雑草が生い茂るので、本当は庭掃除をしたくてたまらないのだけれど、それを言えば、日中から竜騎士様が増援された。今も、竜騎士様たちがえっさほいさと作業中である。
「……本当にいいんでしょうか」
私は、と言えば、手慰みに刺繍なんて、食べることすら出来ない娯楽にうつつを抜かしているのだ。もちろん、実際にはこれも、フィグ様がお使いになられる食事用のナプキンを、フィグ様のお気に召すまで、いろんなパターンで刺繍するという苦行なのだが。正直なところ、草刈りでもしている方が気も楽だ。
『貴様、前世は奴隷か?』
「働かないと落ち着かない性分なんですよ」
『はっ、人間とは愚かだな』
いささか主語が大きすぎるが、今回ばかりはフィグ様の意見に同意する。
本来、労働なんてしなくて良いのなら、しないに越したことはないのだ。のんびりと余暇を楽しむ方が、よっぽど身のためだろう。
だが、そう簡単に今までの人生を変えられるものではない。働くことが当たり前。今も、竜の世話係としての仕事が目の前に積み重なっているような気がしてしまう。それこそ、外に見えるホルンの山をもう一つ作れそうなくらいには、いくらでもやることはありそう。
庭掃除は諦めるにしても、そこらかしこに置かれている無駄な調度品の手入れや使っていない部屋の掃除もしたい。
まだこの屋敷の中でも一度も立ち入ったことのない場所はたくさんあって、そこの確認だってしておきたいし、この国のことをもっと勉強したいとも思う。
フィグ様のために、夏用のちょっと良い服を仕立てるのも良さそうだ。相変わらず、楽だからとよく着ている服は、そろそろ神様の着るものではなくなってきている。
『文句が多い』
「ですが、首回りもよれてきていますし……」
もちろん、私だって、村ではそれよりももっと酷い服を平気で着ていた。みっともないと思うほどでもないのだが、フィグ様は竜神様だ。いつ何時偉い人が来るかも分からない。手紙だけなら、先日の誕生日以降、何度か届いているわけだし……。
『来るわけがないだろう』
「それにしても、です。フィグ様は何でもお似合いになられると思いますし、色々試してみてはいかがです?」
新しい発見があるかも、と付け加えるも、興味がないのか
『ワタシの美しさは、もう十分知っている』
とドヤ顔で返されて、私は嘆息した。
この神様、本当に驚くほどナルシストだ。でも、何を着ても美しいからといって、世話係である私が神様にくたびれ始めた服を着せるわけにはいかない。
「美しいフィグ様が、お美しいお洋服をお召しになられれば、更にお美しくなられるんじゃないかと思っていたのですが……残念ですね」
まったくもって残念だ、と憂いてみれば、フィグ様がピクリと反応する。
最近分かったが、フィグ様は、褒めて伸びるタイプらしい。
『……ふん。そこまで言うなら、考えてやらんこともないが』
「えぇ。ぜひそうしてください。明日のお洋服は、とびきり素敵なものにしましょう」
私は刺繍糸をプツリと切って、夕食に使う皿と一緒に脇へよける。少し早いが、そろそろ食事の用意もしなければならない。
『今日はなんだ』
「パンプキンスープと、ピピアンを」
『ぴぴあん……?』
「私の土地では、たまに出されていた家庭料理ですよ。作るのが少し面倒くさいので、今までやってこなかったんですが、今は時間もたっぷりありますし」
パンプキンの種をすりつぶすのが面倒くさくて避けてきたが、仕事を減らされて退屈しているに等しい。ならば、一つ一つ、自分にできることを丁寧にやろう。私の料理で、まだフィグ様をギャフンと言わせたこともないのだし。
『阿呆なのか』
ぎゃふん。私が顔をしかめると、フィグ様は愉快そうに笑う。
『……見ててやる』
「結構です」
『光栄に思え』
人の話を聞かない神様だな、と私が食糧庫へ向かおうと立ち上がれば、なぜかフィグ様も立ち上がる。そのまま、私の後ろをついてきて、食糧庫の入り口付近に避けていたワインを手に取った。
「あぁ、もう! お酒はお食事まで待ってください」
油断も隙もあったもんじゃない。フィグ様からワインボトルを取り上げようと近づくも、ひょいとそれを持ち上げられ、私の手はむなしく空振った。ぴょんぴょんと跳ねても、手を必死に伸ばしても届かない。くっ……竜め……!
フィグ様を睨みつけると、それはもう、楽し気な悪魔の笑みでワインボトルをさらに高く掲げる。
「フィ、グ、様! ワインは! お食事まで! 我慢ですよ‼」
ぴょんこと跳ねた瞬間に、フィグ様のもう片方の手でがっちりと私の手が掴まれ、そのまま体を引き寄せられる。途端、フィグ様の腕の中に抱き止めら、私は思わず息を飲んだ。
おいたが過ぎる。元々、やたらと距離感の近い竜神様ではあったが、それが加速している気がする。
薄暗い食糧庫の中、フィグ様が美しいアイスブルーの瞳を爛々とさせていた。
「フィグ様!」
『貴様は、本当にうまそうだな』
耳元でささやかれれば、甘くて低いその声が脳を支配する。くらりとめまいがしそうなほどに、フィグ様からも芳醇な香りが広がった。髪からこぼれおちる香油の匂いが、ブドウにも似たとろけるような甘さをはらんでいる。
そのままスン、と首元のあたりに顔をうずめられた。さすがに恥ずかしい。私は精一杯の力でフィグ様の胸を押す。が、当然びくともせず。
「っ……⁉」
チリ、と焼けるような痛みが首筋に走って、私は驚きに身を固める。一体、何が起きたというのか。
「フィグ様⁉」
何をしたんですか、と私が首元を抑えるように手をあてがえば、フィグ様はするりと私から離れて目を細めた。どこまでも狡猾で、獰猛な瞳。
『これで勘弁しておいてやろう』
満足げにワインボトルをもとの位置に戻して、ひょいひょいと食糧庫の高い位置からパンプキンやらその他の野菜やらを取り上げていく。先ほど、竜騎士様が持ってきてくださった新鮮な肉を取り上げたところで、私はようやく我に返った。
「フィグ様!」
『なんだ』
「なんだ、じゃないですよ! 何なんですか」
抗議する私の腕に、ドサドサと取ったばかりの食料をのせて、フィグ様はふんと鼻を鳴らす。
『虫よけだ』
「はぁ?」
確かに、夏になって虫が増えてきたけれど。竜の力ってそんなことにも使えるものなの?
私が怪訝にフィグ様を見つめるも、彼は背をひるがえして、
『さっさと支度をしろ。日が暮れるぞ』
と歩き出した。
きっと、キッチンでもずっとこの調子なのだろう。
(本当に、どうしちゃったのかしら)
ここ最近のフィグ様は、何か様子がおかしい。私は前を行く彼の、やけに上機嫌な背中を見つめた。
回復したヴィティに付きまとうフィグ様。
どうやら、ヴィティへの想いを自覚して、距離を縮めたいとフィグ様なりに頑張っているようです。
残念ながら、鈍いヴィティにはまだまだその想いも届かないようで……?
次回「ヴィティ、迫られる?」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




