第四十話 フィグ、自覚する
今回は、ヴィティが倒れた後のフィグ様視点です。
ヴィティがキッチンで倒れたと聞き、ワタシは竜騎士たちを押しのけた。
どうして、たかだか一世話係にここまで心を乱されるのか。そんなことが頭の片隅によぎっても、急く足は止められない。ヴィティが倒れたことへの焦りが心を満たしていて、ワタシはどうにも落ち着いていられなかった。
『ヴィティ!』
彼女の部屋の扉を開け放つと、ヴィティのベッド脇に腰かけていた竜騎士が立ち上がる。
また、お前か!
叫びそうになって、ぐっとこらえる。竜騎士の男、マリーチが今までに見せたことがないほど鋭い目つきで、こちらを制していた。
「……竜神様、お静かに」
ヴィティの体に障ります、と言われれば、ワタシとてそれ以上怒鳴り散らす訳にはいかない。
(というか、ヴィティ、だと⁉ いつの間にそんな仲に!)
ヴィティがこの男と応接間でよろしくやっていたのは、ワタシの誕生日パーティを秘密裏に準備していたからだと知り、それなら仕方あるまいと心を許したのもつかの間。
(やはり、この男……!)
ワタシがマリーチを睨みかえせば、相手はようやく自分がどんな顔をしているのかに気付いたようで、目をカッと見開いた後に慌てふためいた。
「……申し訳ありません。つい」
つい、なんだ。そう聞きたくなってしまう。この男、いつぞやの臨時でやってきた鉄仮面女のように本心を隠すのがうまく、肝心なところを誤魔化すことに長けていた。
さすがは軍人とでも言うべきか。神を欺くなどと、不敬極まりない。
ワタシが不満を隠さないまま、ズンズンと男の前へ立ちはだかると、マリーチもすっと立ち上がる。
「お座りになられてください。そろそろ医者が到着するころでしょうから、俺は迎えに行って参ります。ヴィティも、竜神様がついていてくだされば心強いでしょう」
敏く空気を読まれたような気がして、それもまた腹立たしい。こちらは余裕だから、神様に譲って差し上げましょう、と言われているようなものだ。もちろん、本人からはまったくその気が感じられないのが、余計苛立つのだが。
では、と部屋の扉が閉められるまで、ワタシは竜騎士をじとりと睨み続けた。
二人きりの部屋に、ヴィティのどこか苦しそうな息遣いが聞こえる。
赤らんだ頬にそっと手を滑らせれば、いつも以上に熱くて、ワタシはすぐに手を引っ込めた。
竜の血を飲んだものは、少なからず、竜に近い免疫を獲得する。全く風邪をひかないわけではないが、普通の人間に比べれば、病に伏せる確率も、回数も少ないだろう。
だが、なんと運の悪いことか。人生の中で後数度とないであろう風邪に、このタイミングでかかってしまうなんて。
昨晩まであまり眠れていなかったのか、ヴィティの目元にはうっすらとクマが浮かんでいた。
昨日は気が付かなかったが、ワタシがいなくなってから、どうやら相当無理したらしい。
ヴィティはそんな状態で、麓とはいえ、あのホルンの山を登ったのだ。それもきっと、迷いながら、あてもなくワタシを探し続けたのだろう。
弱っている人間が、そんな環境下であの霊峰の空気にさらされれば、どうなるか。考えずともわかる。いくら竜の血が混ざって丈夫になったとはいえ、熱の一つくらい出るに決まっている。
『まったく……貴様は、阿呆だな』
そっと彼女の目元をなぞり、そのまま頬から唇へと指を動かして撫でる。
「……んぅ……」
苦し気に眉をしかめた彼女は、普段の豪胆さに似合わない神妙な顔つきだった。はぁ、と吐き出された息は熱を帯びていて、血を分けてこれなのだから相当に苦しいだろう、とワタシでさえ同情してしまう。
もう一度頬をさすって、手を離そうとすれば、ヴィティのあたたかな手に掴まれた。
ドクン、と不規則に心臓が跳ねる。
(……ワタシは、風邪をひかないはずだが)
竜の血を分けた人間はともかく、ワタシは純血だ。現に、ワタシの手はヴィティの熱を奪い取るように冷たく、頭だって、いつも通り冴えている。
どうしたものか、とヴィティを見つめていれば、トントン、と扉がノックされた。
邪魔されたくない――
そんな思いが、ワタシの口を閉ざさせる。返事をすれば、医者とあの男が入ってくるだろう。
だいたい、こんなもの、冷やしておけば治る。ワタシがなんとかしてやれる。なら、医者だかなんだか知らないが、ヴィティには必要あるまい。
「竜神様、失礼します」
『失礼するなら帰れ』
「……竜神様」
扉の向こうでも分かる、ため息交じりの声に遅れて、ヴィティを殺すおつもりですか、と脅迫じみたドスのきいた心の声が聞こえた。
ワタシでも治せると言い張ったところで、この様子では聞く耳すら持ち合わせていないだろう。ガミガミぐちぐちねちねち言われて面倒くさいだけだ。
「入りますよ」
向こうも何を察したか、有無を言わさず扉を開けて、医者を中へと招き入れた。
結論から言えば、ヴィティの風邪は過労と心労がたたったものだろう、とのことだった。
医者は、王宮にも出入りするほどの者で、この国でも片手に入る人物らしいが、効くのか効かないのかも分からぬ薬を置いて帰っていった。
竜騎士たちも、もともと帰る予定だったのだから、最低限の数を残して屋敷を去った。
マリーチだけは残ると言い張ったが、ワタシがヴィティについていてやると譲らなかったせいで……今、こうして膠着状態である。
「主様のお手を、わざわざ煩わせるわけにはいきませんから」
『ヴィティが、ワタシを選んだのだ』
こうしてな、と握られたままの手を見せつければ、竜騎士もぐっと言葉に詰まる。
「汗をかいているようですから、着替えもさせなくては」
『ならば、なおさら貴様では無理だな』
女の服をひん剥くなど、言語道断。紳士の風上にも置けん。さすがのワタシでも、それくらいは心得ている。
人間など、最初は皆服など着もしなかったくせに、着飾ることを覚えたら、途端に肌をさらすことを不埒だなんだと騒ぎ立てるようになった。あの時は、思わず何の冗談だ、と声を上げて笑ったが。
ヴィティの体をこの男に見せるなんてとんでもない。
「竜神様」
三度、咎められるように視線を向けられ、ワタシは、自らの判断は間違っていない、と男に対峙する。
「何か、勘違いなさっているようですので、良い機会だからお教えしておきましょう」
ニヤリ、と口角を上げたこの男を、怖いと思ったのは――後にも先にも、この時だけだった。
『兄妹?』
「えぇ。俺と、ヴィティは、血のつながった兄妹です」
てっきり、婚約か何かをしたのだとか、そんなことを言い出すのかと身構えたのがバカらしい。いや、そんなことを言われたら、ワタシは容赦なくこの男を食い殺していただろう。
「隠していたつもりはありませんが、申し訳ありません」
『かみ殺したいくらいには腹立たしいな』
「ヴィティが悲しみますよ」
『む……』
どうして、この男を怒ることができないのか。理由は簡単。怒るよりも、なぜか、ワタシの心を安堵が満たしているから。ヴィティとこの男の仲が、血のつながりによるものだと知って、ワタシはひどく安心したのだ。
「竜神様は、本当にヴィティのことをお気に召していらっしゃる」
ヴィティと同じヴォヌール語訛りの発音が耳に、ヴィティと同じ新緑の瞳が目に、するりと入り込む。
そして、ワタシは一拍遅れて、その言葉の意味を正しく理解した。
過労と心労がたたって倒れてしまったヴィティを傍目に、フィグ様はついに自らの気持ちに気付いたようです。
自らの気持ちを『正しく』理解したフィグ様は、ヴィティへの態度を改めるのでしょうか?
次回「ヴィティ、かまわれる」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




