第三十九話 ヴィティ、鼓動高鳴る?
フィグ様の誕生日パーティを終えた翌日。屋敷の中はいつも以上にカオスだった。
酒を飲んでいないか、飲んでもたしなむ程度に抑えた竜騎士様たちは、いつも通り清々しい朝を迎え、酒におぼれた竜騎士様たちはケロリとしている人と、ゾンビのなりそこないとなった人とに分かれて、遅めの朝を迎えた。
最近は早起きだったフィグ様も、さすがに昨晩の疲れが出たのか、今日はまだ起きてきていない。起こすのもかわいそうだ、とそっとしておいている。……否、正しくは、起きてきても面倒だ、と起こしていない。
「ヴィティ、手伝うよ」
先ほどまで、応接間の片づけ隊長だった兄が、キッチンの方へ顔を見せる。
「もう終わったんですか?」
「力仕事だけは得意な奴が多くてね」
掃除や洗濯、料理に裁縫。彼らいわく繊細な仕事は苦手な人が多いらしい。対して、設営や大きいものの撤去、荷物運び等の力仕事は一流だ、とお兄ちゃんは誇らし気だ。とりわけ、軍人が多いからなのだそうだが、では、貴族出身の者が何をしているのか、と言えば、こちらはこちらで、プレゼントのお礼状を仕分けたり、荷積みの計算をしたり、今回の誕生日パーティで使った金を勘定したり、と頭を使っているのだそうだ。
一口に竜騎士と言えど、様々な人がいて、その全員がそれはもう彫刻のような美男子なのだから、この世も末恐ろしい。
竜の世話係という、こんなブラックな仕事が無くならない理由もまた、その美男子たちのおかげだろう。
「洗い終わった食器をそちらに置いていくので、拭いてもらっても?」
「あぁ。それくらいなら出来そうだ」
イケメンの筆頭、兄がニコリと私の手から布を受け取って、食器を丁寧に拭き上げる。
「竜神様が、あんなに楽しそうなのは初めてだ」
「そうなんですか?」
「竜騎士のみんなで、悪い神様じゃないって話になるくらいにはね」
冗談か、皮肉か、お兄ちゃんはそんな風にサラリと言ってのけて笑う。
「喜んでもらえたなら、良かったです」
「俺も、そう思うよ。竜神様は、ちょっと、誤解されやすいから」
「そうですね。なんだかんだ、可愛いところも……」
言いかけて、私は口をつぐむ。可愛い、だなんて竜神様にすっかりほだされている。呪ってやる、と思っていたほどなのに、どうして。
「ヴィティ?」
「あ、すみません! その、竜神様のこと、知れば知るほど……気が抜ける、というか」
ごまかすように笑みを浮かべ、止まっていた手を懸命に動かした。
食器をすすぐ冷たい雪解け水も、すっかり気持ちが良いと思えるほどの陽気。ここでの生活も、気づけばもう半年が近づいている。
最初は、偶像だとさえ思っていた神様という存在にも慣れてしまって、絶対に分かりあえないと思っていた竜と当たり前のように会話して。
(……昨日は、はじめて、名前も呼ばれた)
その瞬間を思い出せば、私の心臓がやけに大きく飛び跳ねる。
美しいフィグ様の顔が迫ってきたあの時、どうして私は抵抗しなかったのだろう。今までなら、手か足か、そうでなければ口が出ていたはずなのに。
考えれば考えるほど、私の鼓動がドキドキと弾む。それは警告ともとれる早鐘。それ以上、気付いてはいけないというように。
顔に集中した熱が、やがて体中を駆け巡り、私は慌てて自らの手を水の中へつっこむ。ガチャガチャと音を立てた食器は、まるで今の私の鼓動みたいにうるさくて、忙しなかった。
「だ、大丈夫かい?」
鬼気迫る顔で食器洗いをしている妹を見れば、誰だってそうなるだろう。兄は、心底困惑したように私を見つめていた。
「あ、えと、大丈夫です! ほら、食器をせっかく洗っても、また今日の昼食を作らなくちゃいけないなー、なんて」
取り繕えたかは分からないが、お兄ちゃんはのんびりと
「それもそうだね。俺たちもそろそろ、戻らないといけないし。パーティは楽しいけど、後片付けが一苦労だね」
と苦笑した。竜騎士様たちは、皆、昼からは別の仕事があるらしい。竜の世話係のスカウトはもちろん、パーティの後処理に、返礼、私たちの食糧補充や、日用品の補充、その他もろもろ……このパーティに向けて準備していた分、滞っていた業務もたくさん。
眉を下げながら、意外と面倒でね、と付け加えたお兄ちゃんの姿に、竜騎士という職業も、竜の世話係同様、苦労があるのだろう、と想像した。
「竜神様を起こしてこようか?」
「良いんですか?」
「ヴィティは、昼食の準備があるだろう」
「フィグ様、寝起き最悪ですよ」
「知ってるさ。今日は特に、だろうね」
遠い目をする兄は、過去、何度かその場に遭遇したのだろう。毎朝のように遭遇している私にとっては、もはや日常茶飯事となったし、なんなら、最近はマシになったような気さえしているのだが。
行きたくない、と背中で語る兄を見送って、私は残った食器を拭く。まだ、先ほどの熱が冷めていないのか、私の体は火照ったままだ。
小窓を開けて、風を通す。キッチンに吹き込んだ冷たい北風。頬を撫でるそれが気持ち良くて、ヒヤリと優しく触れる感触に、フィグ様を思い出す。
「……あれは、フィグ様の帰省だったのかしら」
ホルンの山から生まれたフィグ様にとって、あの山は実家というに相応しい。
人間からすれば、切り立った雪山はどこか近寄りがたくて、神様が生まれたと知らずとも、神聖視してしまうほどの山だが。
「……今度は、ちょっと寒いかも」
初夏とはいえ、吹き降ろすのは氷に閉ざされた山を越えてきたものだ。ブルリ、と私は一つ震えて小窓を閉じる。おかげで顔の熱は引いたように思うけれど。鼓動はまだ、いつもよりも早いままで、自分の体なのに、うまく制御できていないような、そんな感覚が気持ち悪い。
(昨日のフィグ様に、あてられたかしら……)
真剣なまなざしを向けて、私の名を呼ぶフィグ様は、あからさまに何かに浮かされていた。誕生日特有の興奮か、皆に祝われたことの喜びか、パーティを楽しめた満足感か。とにかく、いつもとは違う独特の雰囲気が、あの夜を少しだけ特別なものにしようとしていたことは間違いない。
(きっとまだ、昨日の高揚感が抜けていなくて、ふわふわしているんだわ)
私にとっても、あんなに盛大なパーティに参加するのは初めてだった。お料理があんなにたくさん並んで、美しい花々や飾りが部屋を彩って、プレゼントがあちらこちらに敷き詰められていて。
まるで、夢でも見ていたかのようだったのだ。
フィグ様と、竜騎士様たちが、笑いあっているところを見られることも。
「いつまでも、思い出に浸っていてはだめね。昼食の準備をしなくちゃ!」
気を抜くと、昨日の出来事に思いを馳せて時間を食ってしまう。私はブンブンとそれを振り払うように、最後の一皿へと手を伸ばす。
これを拭いたら、食糧庫へ――
そう、考えていた。
ガシャン!
けたたましい音に、私はハッと我に返る。
足元にちらばった陶器の深皿。白い欠片が、小窓から差し込んだ陽光に鈍く反射して、私の目が眩む。
同時に、意識がふわりと浮上するような感覚があって、私はそのまま、陶器の散らばった床へとしゃがみこんだ。
フィグ様との素敵な夜(?)を過ごしたヴィティに異変が!?
せっかく楽しいお誕生日パーティも無事に終わったというのに、一体彼女に何が起こったのでしょうか。
次回「フィグ、自覚する」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




