第三十七話 ヴィティ、祝う
竜神様がお戻りになられた、と屋敷内は今まで以上に騒然としていた。お誕生日パーティの準備は進められてはいたものの、もちろん、突然の帰宅には備えていない。私だって、フィグ様を探していたから、料理作りも途中だ。
「フィグ様、まずは湯浴みを。ずっとホルンに閉じこもっていたのでしょう? 体を温めてこられた方がよろしいかと」
準備の時間を少しでも稼がねば、と私は、フィグ様の背を押す。お兄ちゃんもそれを察してか
「準備はしておりますので、どうぞこちらへ」
とフィグ様を浴室へと連れていく。今回ばかりは、フィグ様もながらく湯浴みをしておらず、人間の姿に戻って気持ちが悪かったのか、特に文句を言うでもなく、お兄ちゃんの後に続いて歩いていった。
「ヴィティさん、料理の出来るものを何人か集めています。今のうちにご指示を」
「ツェルトでいくらか出来合いのものも買ってきましたよ!」
キッチンへと向かう私に、二人の竜騎士様が状況を報告してくれる。
「わかりました! では、出来合いのものは直前に温めてお出ししましょう。それから、フィグ様の湯浴みが終わり次第、お着替えをお手伝いして差し上げてください」
「普段はおひとりでなさられるのでは?」
「今日は、特別な日なので……フィグ様が普段着られないようなお洋服を選んでるんです」
「なるほど……では、マリーチにもそのように」
「お願いします!」
二人に言伝を頼んで、慌ててキッチンへと向かえば何人かの女性がすでに待機していた。
「お待たせして申し訳ありません。早速はじめましょう」
竜の世話係になってからというもの、自分以外の女性と一緒に働くというのは初めてのことだ。気兼ねなく話かけてくれるおかげで、ワイワイとキッチンが賑やかなのも。
いつか、世話係が増えたら、こんな風に楽しく仕事出来る日が来るのだろうか。
「皆さん、このまま竜の世話係になりませんか?」
さりげなくそんな風にスカウトしてみたが、その時ばかりは場が凍り付いたように一瞬で静まりかえって、そんな日が来るのはまだまだ先だ、と私は苦笑した。そんなに悪いものでもないのに。
料理が進んできたところで、フィグ様が湯浴みを終えたと竜騎士からのお達しがあり、私たちは急いで仕上げに入る。一人では広くて持て余していたキッチンも、全員で動くとなれば少し手狭で、出来たものから応接間へと運んでいく。
私が最後の料理を並べ、手伝ってくれた女性たちが竜騎士様たちから、給金を受け取っていたところで、別の竜騎士様からの速報が届く。
「フィグ様のお着替えも終わります!」
それまで、イケメンな竜騎士様との会話に花を咲かせていた女性たちは、サッと顔色を変え「それでは、わたくしたちはこれで」と颯爽と去って行ってしまった。
(お誕生日に、こんな扱いを受けている神様なんて初めて見たわ)
そうして、女性たちを見送った私たちと、いつもよりも豪華な衣装に身を包んだフィグ様が、応接間の前でかちあったのは同時だった。
フィグ様は、自らが着ている素晴らしいお洋服を煩わしそうにつまんで辟易と声を漏らす。
『なんだこれは』
「仕立て屋さんに頼んで、作っていただいたんです。フィグ様、よくお似合いですよ」
着飾らなくても美しすぎる神様は、着飾ってより一層美しくなられた。それこそ、お世辞抜きで、私では言語化できないほど。
勉強もしているし、四か国語もずいぶんとマスターして、たくさんの本が読めるようになってはきたが、それでも言葉を尽くしたって、今のフィグ様の素晴らしさを言い表すことは出来ないだろう。
ツヤのあるシルバーブルーの髪が、サラサラと肩口に降りている。金色の刺繍が贅沢に入った紺のジャケットが、より髪色を引き立てた。首元にはたっぷりとレースのあしらわれたリボン。清潔感のある白は、フィグ様の透明感にぴったりだ。何より、ボリュームのあるレースによって、フィグ様の線の細さがより強調されていて、いつにもまして麗しい。
なるほど。これが神の力か。
『……ふん、たまには悪くないな』
我を忘れてべた褒めしていた心の声に、フィグ様はまんざらでもなさそうなドヤ顔を浮かべた。気に入ってもらえてよかった。
(それにしても、フィグ様、足が長い……)
いつも、楽なのか、やけにだるんとしたフォームの服が多いせいで知らなかったが、さすがは美丈夫。どこまでいっても完璧だ。
「これからは、こういうお洋服もたまに着ませんか?」
『考えてやる』
上機嫌なフィグ様に約束を取り付けたところで、私は、兄たち竜騎士様に目くばせした。
ここからが本番だ。
「フィグ様、良いと言うまで目を閉じていただけませんか?」
よいしょしたフィグ様は扱いやすい。彼は、珍しく文句の一つもなく、宝石のような双眸を伏せる。
私は、湯浴みしたばかりだというのに冷たいフィグ様の手を取った。竜騎士様が応接間の扉をそっと開ける。
私は、フィグ様の手を引いて、そのまま応接間へ足を踏み入れた。
「フィグ様、良いですよ」
フィグ様は、ゆっくりとその顔を持ち上げる。
一瞬、私をその瞳に映した後、彼は、部屋を見回して、それはもう子供のように純粋で可愛らしい笑みを顔いっぱいに浮かべた。
「「お誕生日! おめでとうございます!」」
私と、たくさんの竜騎士様が、一斉にフィグ様を祝う。
『……誕生日……』
フィグ様は目を数度しばたたかせた後、その言葉の意味を確認するように呟いた。
二千五百年も生きていたら、誕生日など些細なことなのかもしれない。人間でさえ、何十年か生きているうちに、誕生日など興味を失くしてしまう人もいるくらいなのだから。
「二千五百才、ですよね」
私がフィグ様のお気に入りのワインを手渡すと、フィグ様はようやく現実に追いついた、とでも言うように、私を見つめてにんまりと口角を上げた。
『ふん。貴様ら、そんなにワタシを祝いたかったのか?』
「当たり前ですよ! 二千五百年なんて、すごいじゃないですか!」
『……ならば、存分に祝わせてやる』
仕方のないやつめ、と高笑いするフィグ様は、どんなに言葉遣いがひどかろうと、心の底からの喜びを隠しきれていなかった。
「えぇ。今日は存分にお祝いしましょう。フィグ様、おめでとうございます」
私たちも、フィグ様に乗じてそれぞれのグラスを持ち上げれば、誰ともなく、フィグ様をお祝いする言葉が再びあちらこちらから飛んできて、フィグ様は、ふん、と鼻を鳴らした。
たくさんの料理は、神様の大盤振る舞いもあって、全員が口をつけた。あれほどくだらないと言っていたプレゼントも、フィグ様は全部丁寧に開封していたし、お兄ちゃんが買ってきたタルトも、私が試行錯誤して作り上げたお菓子の山も、ペロリと平らげていた。
ラストには、酒の回った竜騎士様と、酒に絶対に酔わないという竜神様の飲み比べが始まったりもして、それはもう盛大な宴会だった。
竜騎士様のほとんどが酔いつぶれて眠りこけたころ、片付けを始めていた私の手を取ったのはフィグ様だった。
フィグ様は、その辺に転がる無残な竜騎士様たちを一瞥して
『場所を変える』
と私を引いて応接間を出る。向かった先は、フィグ様の部屋で、彼はその扉を閉めると、私をソファへ座らせた。
「フィグ様?」
もう寝るのかしら、と私が彼を見上げれば、フィグ様の美しいアイスブルーの瞳と視線がぶつかった。
フィグ様、お誕生日おめでとうございます!
ヴィティも、マリーチさんも無事にお祝い出来て心底ほっとしておりますし、フィグ様もとっても嬉しかったご様子。
でも、お誕生日の夜、フィグ様が本当に欲しいプレゼントは……!
次回「ヴィティ、呼ばれる」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




