第三十五話 フィグ、自問自答する
今回は一時の感情に流され、家出してしまった子供みたいなフィグ様視点です。
なぜ、誰も迎えに来んのだ。
イライラしてしまう気持ちをいさめるように、ワタシは尻尾を打ち付けた。ドスン、ズシン、と重たい音がして、ホルンの山に降り積もった雪が崩れる。
どうしてか無性にヴィティの隠し事が気に障り、それこそほんの少し困らせてやろう、なんて軽い気持ちで外へ出たは良いものの――ヴィティが、自らを追いかけてこないまま一夜が明け、時間が経てば経つほど戻りづらくて、結局ずるずると長居してしまった。
竜の姿であれば、腹も減らない。眠気も来ない。この雪山は、人もおらず、広大で、自らの生まれ故郷だからか、心が落ち着くのだが、それもまた良くない。屋敷へ戻る理由がなくては、ワタシとて帰れない。
(まったく。人間は何をしている)
竜騎士や自警団も、数がいるだけで、優秀な者がいないらしいな、と憂いた。てっきり、あのマリーチくらいはすぐに見つけてくれるだろうと思ったが。
(もしや……今頃、ヴィティと……)
一瞬よぎった想像に、ワタシの怒りが再び沸騰する。
神を放っておいて、自分たちはよろしくやるなど、言語道断。傲慢、不遜はなはだしい。だいたい、竜の世話係が、竜であるワタシを一番に考えないとは何事か。竜騎士も竜騎士だ。あいつらの仕事は、竜の世話係が辞めないよう監視しておくことであって、たぶらかすことではない。
……それにしても。
どうして、ワタシはこれしきのことで、こんなにも腹を立てているのだろう、と荒い鼻息を吐き出す。
人間ごときに一喜一憂するなんて、それこそ馬鹿らしいにもほどがある。今まで、竜の世話係がどうなろうと、竜騎士がどうなろうと、ワタシには関係なかったはずだ。なのに、なぜ、今はこんなにもムシャクシャしてしまうのか。煩わしい。その一言に尽きる。
何もかも、ヴィティに出会ってからだ。あのまっすぐな瞳、物怖じしない性格。裏表なくワタシに接するあの娘に、良いように振り回されている気がするのだ。
――そうだ。
ワタシが神なのだ。あの小娘、それを、まるで特別扱いもせず。なんだ。そうか。単純なことだ。ワタシは今まで、人間というものに出会って以来、神様としてあがめられてきた。それを、あの娘はかなぐり捨てて、ワタシと対等にあろうとしているのだ。あの娘が憎いに決まっている。
(……本当に?)
ワタシは、ふはは、と納得しそうになった手前で、ぐっと笑いを飲み込んだ。
(だとしたら、なぜ、あの竜騎士にこだわる)
マリーチとかいう男のことが、とにかく目障りで仕方がない。元々、竜騎士の中でもマシな方だと思っていたのに。ヴィティの周りをウロウロチョロチョロと。うっとうしい。
(ワタシではなく、世話係をたたえるからか?)
いや、違う。少なくとも、そんな子供じみた感情ではない。もっと、あいつを丸呑みにしてやりたいと思うくらい、ドス黒い感情。生易しいものでないことは分かっている。
(……なんだ、これは)
二千五百年。完璧に生きてきて、一度たりともこんな気持ちになったことはない。
嫌でもヴィティのことを考えてしまうし、そうすれば、芋づる式にあの竜騎士の男とヴィティが楽し気にしているのを思い出して腹が立つ。
ヴィティが、ワタシには向けない笑み。ヴィティが、ワタシよりもあいつの名を呼んだこと。応接間に、二人で何やら楽し気に入っていく瞬間。
――近づくな、と心の中でワタシに向かって叫んだヴィティの声。
竜は、元来、病気にもならず、人間の数倍……いや、数百倍は強靭だ。ちょっとやそっとのことでは、何者も、ワタシに傷一つつけられない。
だというのに……胸が痛い。内側からじわじわと、骨の髄にまで広がるような痛み。
『一体、なんだというのだ!』
耐え切れず、ワタシが二度、三度と尻尾をばたつかせ、手あたり次第に当たり散らせば、山は大きく揺れた。苛立ちにまかせて、鳴き声を上げる。
我慢ならん! いつまでも、こんなところにいるのも飽きた。
ヴィティに会って、あいつをからかって、あの娘のいろんな表情を見て、彼女の作った食事を食べて……。
(笑ってほしい)
ふっと自らの中に沸いた情動に、ワタシは自問する。これで、何度目か。もう分からないほど重ねてきた問いかけを。
(どうしてワタシは、ヴィティのことばかり考えているのだ!)
何をどう考えても、最終的にいきつくのは彼女のことばかり。まるでグルグルと同じところを回っているようだ。その理由も分からぬまま、永遠の時が過ぎてしまいそうな気さえする。それがまた、苛立ちを助長させるのだが。
いつまでも、孤独でいるから、こんな風にどうでもいいことばかり考えてしまうのだ、と思うものの、今、ノコノコと屋敷へ戻っては、人間ごときにこのワタシが負けたような気がして、それもできない。
(早く! 迎えにこい!)
ワタシは、ドスン、と尻尾をたたきつけ、三度、雪崩を起こす。雪がワタシの背中側にこんもりと溜まってきて、それを避けるためにワタシは一度体を起こした。
(もしかして、哀れで無力な人間では、この雪の吹き付ける山へは来れないのか?)
ほんの少しだけ、ワタシは体を山の麓の方へと移動させる。いや、これでもまだあの弱い生き物には厳しいか……。
ワタシはなぜか自分自身に言い訳を重ねながら、ずるり、ずるり、と山を下りていく。
(別に! 探しに来てほしいとかではない! ただ! ここにいるのももう飽きただけだ! きっと、今頃神が不在となって、人間も反省しているころだろう! 全てを許すのが神だからな!)
どこかで聞いたことのあるようなセリフを何度も自分に言い聞かせ、
(なんてったって、ワタシは素晴らしい神なのだから!)
と胸を張る。とはいえ、やはりプライドが邪魔をして、空をひとっ飛びして帰るなんてことは出来ず、ずるりずるりと惰性で山を這い降りているのだが。
(ふん。ここで、ヴィティが戻ってきてくれと懇願でもするなら、考えてやらんこともないが……)
あいにくと、彼女の美しい髪も、あのワインを思わせるような香りも、ワタシの五感をもってさえ感じられない。
(世話係のくせに……主のそばを離れるなど)
死ぬまでその身を共にするのが、世話係の役目だろう。ヴィティめ。やはり、まだまだ自覚が足りん。
気が付けば、ワタシの体は、霊峰の麓、屋敷の森一歩手前まで近づいていた。さすがにこれ以上は足が進まない。屋敷の敷地へ自ら戻った、なんて、神としてのプライドが許さない。
神ともあろうワタシが、ここまで譲歩してやったのだ。だから、早く――
「フィグ様!」
その景色を、まるで一瞬にして塗り替えてしまうような、凛とした声が空気を切り裂く。
「フィグ様‼」
ワタシがチラリと目を動かせば、まるで咲き誇る花のように輝く、シェリーの長い髪が揺れていた。いつだったか、買ってやった外套の裾が、彼女の動きにあわせてひるがえる。
宝石よりも美しく、海よりも、山よりも穏やかなエメラルドの双眸が、いつにもましてキラキラと輝いているように見えた。
『ふん』
それでいい。ワタシを見て、喜びにうち震えるのだ。
先ほどまで、あんなにも苛立たしいと思っていた気持ちが消え、雪が舞っていたホルンの山にうっすらと日が差し込む。
彼女の姿が大きくなればなるほど、ワタシの胸に何かがブワリとあふれかえってきて、それは一つの答えを導き出した。
あぁ、そうか。これが――
ワタシは、自らの胸に飛び込んできた小さなぬくもりを、少しも余すことがないように、鱗の一枚一枚にまで神経を集中させた。
つい、その瞬間の苛立ちに家出をしてしまったフィグ様ですが……ずりずりと麓まで降りてきた甲斐あって、無事にヴィティとの再会を果たすことが出来ました!
会えない時間と離れた距離は、二人の想いを近づけるのでしょうか?
次回「ヴィティ、涙する」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




