第三十四話 ヴィティ、飛び出す
フィグ様が見つからないまま、一週間が過ぎて、ついにフィグ様のお誕生日を迎えることになった。いつフィグ様がお戻りになられても良いように、とお誕生日パーティの準備だけは、盛大に進められていたが、私はそれどころではない。
神様なんていらない。いや、むしろ気に留めることすらなくて、いなくて当然くらいに思っていたのに、フィグ様がいないことがこんなに落ち着かないなんて。
せめて、お兄ちゃんや竜騎士様たちに心配や迷惑をかけないように、といつも通りを装ってはみても、フィグ様がいないのでやることなどなく、普段は出来ない場所の掃除や、庭の手入れをしてみても、いまいち気持ちが入らない。
今日だって、あの目立ちたがり屋で、祝われたがりで、かまってちゃんなフィグ様なら、お誕生日だからと戻ってくるかもしれないと思っていたのに。
「はぁ……」
「ヴィティ」
「きゃっ⁉ ……ってお兄ちゃん……」
深いため息をついて小窓の外を見ていた私は、隣に並んだ兄を見つめた。お兄ちゃんは、ため息こそつかないものの、目の下にクマが出来ているし、何よりやつれている。
この国の守り神である竜がいなくなった、というのは、国家を揺るがす大事件らしい。もちろん、フィグ様の恩恵なんて受けたことのない国民たちにとってはそうでない。が、国の中枢にいるような……国王や一部のお偉いさま方は、フィグ様がどれほどの力を持っているのかを知っているらしく、この世の終わりだと絶望しているらしい。
お兄ちゃんたち竜騎士様が、毎日交代で捜索を続けているものの、いまだフィグ様は見つけられていないという。
そもそも、空を自由に飛び、不思議な力を操る竜を、人間ごときがそう簡単に見つけられるものではないのだろうけれど。
「あまり、眠れていないようだね」
するりと自然に頬を撫でられ、そのまま目の下のあたりをなぞられる。どうやら、私にもお兄ちゃんと同じく、クマが出来ているらしい。
「お兄ちゃんも、ひどいですよ」
無理やりとってつけたような笑みを浮かべれば、お兄ちゃんは眉を下げた。
「すまない」
「……謝るのは、私の方です」
「いや、ヴィティのせいじゃないさ。元々、気まぐれな神様だからね。それに、俺たちももうずいぶんとあちこちを探して回ったから、そろそろ見つかるよ」
お兄ちゃんにくしゃくしゃと頭を撫でつけられるが、私の心が晴れるはずもない。
フィグ様が出て行った原因は、間違いなく私にあるだろう。それが何なのか分かっていないから、このままではフィグ様に合わせる顔もない。
いがみ合ってばかりだが、それでも初めて出会った時に比べて、仲良くなれたような気がしていた。フィグ様のことも、少しずつだが分かってきて、良いところはなくても、悪いところばかりじゃないことだって気付けるようになった。
お誕生日だって、心の底からお祝いできそうなくらいに。
(せっかく、フィグ様のために、お菓子作りだって練習したのに……)
全て、今日のために、だ。もちろん、きっかけは王都でタルトを食べて、お菓子に魅了されたことだけれど、それだけで続くような趣味ではない。そこそこ面倒だし、お菓子なんて金持ちの道楽を極めるほど暇でもない。
でも、フィグ様のお誕生日を、少しでも特別なものにしたかった。
「フィグ様が戻ってこないと、飾りつけも、プレゼントも、お料理も……全部、無駄になっちゃうのに」
もったいない。小窓の外を見つめながら、ポツリとこぼした強がりは、兄のあたたかな体温で台無しになった。肩を抱き寄せられ、お兄ちゃんの腕の中に閉じ込められる。
「ひどい顔をしているよ」
「……セクハラですよ」
そうは言ったものの、どうしてだか、小さなガラスに映り込んだ自分の顔を見て、確かにこれはひどい顔だ、と思った。今にも泣きだしてしまいそうな、そんな顔をしていることに初めて気づく。
「神様なんて、いなくていいと思ってたんです」
「今は、違うと?」
「……今だって、いて良かったとは思いません。でも」
私が言葉を切れば、お兄ちゃんはぎゅっと私の肩を抱く力を強める。それが続きを促しているようで、私は素直に打ち明けた。お兄ちゃん相手に意地など張ってもしょうがない。ここにいない、フィグ様に対しても。
「……フィグ様に、酷いことを言ったんです。今まで、たくさん。もっと良い世話係にならなきゃって思った後も……結局、喧嘩しちゃったりして。謝らなくちゃいけません」
今はまだ、泣いちゃだめだ。フィグ様のことは、竜騎士様が探し続けてくれている。まだ、会えないと決まったわけじゃない。フィグ様のお誕生日パーティだってしなくちゃならないし、それに……。
涙をこらえるために、私はゆっくりと息を吐く。
「それに、私は、竜の世話係です。フィグ様が、この国の神様として尊敬されるような神様になるまで、世話をするのが私の務めです」
きっぱりと顔を上げて、ガラス越しにお兄ちゃんを見れば、彼もまた竜騎士の顔立ちになって、そっと私を解放した。
「……今までで一番、立派な世話係だよ」
お兄ちゃんはにっこりと美しく微笑むと、
「それじゃぁ、フィグ様を探しに行こう。まだ、探していない場所があるんだ」
と私の手を引いた。
昨日までは、どんなにせがんでも捜索は家の中だけだと言っていたのに、兄は玄関へと向かっている。しかも、途中で私の部屋に容赦なく踏み込んで、フィグ様から買ってもらった外套まで引っ張りだされた。
「お兄ちゃん?」
「他の竜騎士にばれたら、絶対に怒られるな。竜の世話係がまた脱走したらどうするんだって」
お兄ちゃんは冗談めかして笑い、ちらりと私の方へ視線を投げかける。美しいグリーンの瞳は、誇らし気に輝いていた。
「でも、今までの世話係とヴィティを一緒にするなんて、初めから間違っていたんだ。王都で誘拐犯を捕まえた大手柄だってあるのにね」
お兄ちゃんは、玄関扉を開け放つと、パーティの準備とフィグ様の捜索で忙しそうにしている何人かの竜騎士に見つからないよう、そっと私を背中に隠した。そして、トンと私の体を両手で外へと押し出す。扉の隙間から、私が外へ出たのを確認すると
「いいかい。絶対に、危険な真似はしないこと。夕方には帰ってくること」
と私の目をじっと見つめた。
「きっと、ヴィティならできる。どうしてか、そんな気がするんだ。竜神様を、見つけ出してくれるんじゃないかってね」
「お兄ちゃん……」
「でも、無理だけはしないで。困ったときは、俺の名を呼んで」
「わかりました」
「マリーチ! ちょっと手伝ってくれ!」
扉の向こうから、お兄ちゃんを呼ぶ声がする。お兄ちゃんはゆっくりと扉を閉めながら、
「さぁ、走って」
と小声で私に言い放った。直後、扉が音もなく閉まる。
私は、兄の声に背を押されるように、駆け出した。
初夏の空が澄み渡る庭。霊峰、ホルンの山から、夏が近いとは思えないほどに冷たい風が吹き抜ける。
瞬間、キュィルルルル――
小さな、聞き間違えかと思うほどに微かな、けれど確かな神様の歌声が私の耳に……いや、頭に直接響いた気がした。
駆け出した足は、目的をもって、さらに早く、強く、意識するよりも先に地面を蹴りだす。
目の前にそびえる氷山が、逆光に反射して、まるで竜のように見えた。
フィグ様不在のまま、フィグ様のお誕生日を迎えてしまいましたが、ヴィティはお誕生日パーティまでに無事にフィグ様を連れて帰ることが出来るのでしょうか!?
次回、拗ねて家出したフィグ様の気持ちが明かされます。
次回「フィグ、自問自答する」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




