第三十三話 ヴィティ、主を探す
「フィグ様、お食事をお持ちしました」
ノックをして数秒。部屋の中からは物音ひとつ聞こえず、私は首をかしげる。
いつもなら、遅いだの、入れだの、今日は何だだのとうるさいくらいなのに。
(まだ、昼間のことを怒っているのかしら)
結局、あの後からフィグ様の姿を見ていない。普段は、仕事の最中に何かとからまれることが多くて辟易とするくらいなのに、今日は、応接間での出来事から一度たりともそれがない。いじけているのか、妙な意地を張っているのか。
「お昼のことは、申し訳ありませんでした。謝って許されることでも、言い訳をして許されることでもないと思うのですが、これにはふかぁい訳があるんです!」
私が扉の向こうへ大きな声を投げかけても、やはり返事はない。
「……フィグ様?」
こんなことは初めてだ。口喧嘩だってたまにする。なんなら嫌味の応酬は毎日に近い。だが、大抵数時間もすればおさまるし、どちらかが謝ったり、歩み寄ったりしなくたって、些末なことだと片付けてきたつもりだった。
人間と竜。世話係と主。立場も生き方も違うのだから、どんなにいがみあったって、変えられないことはある。お互いにわかっていたはずだ。だから、私たちはいつだって、馬鹿みたいなことで喧嘩出来たのだ。
「入りますよ、フィグ様!」
それが、今はどうか。何度呼びかけても、主からの返事はない。
応接間の秘密が、そんなに気になったのか。普段立ち入ることのない……いや、はっきり言えば、フィグ様が一度も使ったことのない部屋に入れないことが、そんなに支障をきたすのか。
フィグ様の地雷を踏みぬいたことは間違いないのだろうが、一体それが何だったのか、まったく分からない。検討がつかないのでは、私も今後対処のしようもないし。
「フィグ様!」
(いつまで拗ねてるのよ! 子供じゃないんだし!)
このバカ竜神様! と半ば八つ当たりにも近い気持ちで、私は、ええいと扉を開け放つ。
普段なら絶対にこんなことはしない。フィグ様は、乙女心を勝手に覗くような神様だけれど、私の部屋には入ってこないし、私の心を土足で踏みにじるようなこともしない。だから、私だって、フィグ様のプライバシーには配慮していたつもりだ。
でも、籠城戦なんて、フィグ様には似合わない。
「フィグ様」
私は、絶対にそこにいるであろう場所を睨みつけた。
――が。
「フィグ様?」
部屋はもぬけの殻。フィグ様の姿どころか、その気配さえない。
自室にいるだろうと思ったのに、まさかすれ違った? それとも、フィグ様も意固地になって、私とは顔を合わさないつもりかしら。
この屋敷は広い。いくら使っていない部屋が多いとはいえ、フィグ様は主だ。どこに、どんな部屋があるか、そのレイアウトくらいは知っているはずである。
(まさか、このお屋敷でかくれんぼしようなんて言うんじゃないわよね……)
せっかくの食事が冷めてしまう。冷めるまでが、かくれんぼの制限時間ということだろうか。
(いくらなんでも、悪趣味すぎないかしら)
フィグ様の嫌がらせのラインナップはある程度知っている。まさか、ここまで悪質なものも用意しているとは思わなかったが。
「とりあえず……一つずつ見ていくしかなさそうね」
フィグ様がいない手前、取り繕う必要もない。豪勢なため息を吐き出して、用意した食事をまずはいったんキッチンへ戻そう、と思案する。
そのうち、お腹がすいて、キッチンや食糧庫のあたりに出没するかもしれない。というか、フィグ様のことだから、すでに食糧庫にいそうだわ。私の食事は食べない、とかって言い張るかも。
子供みたいな神様がいたものだ、と思うものの、そんなフィグ様はすでに何十……いや、何百だろうか、とにかく数えきれないほど見てきているのだ。今更何にもならない。
「フィグ様~! ご飯ですよ~!」
とりあえず、キッチンまでに前を通る部屋は見て回ろう。そうでなくても、どこで聞き耳を立てているか分からない。食事を餌におびき寄せる。
「今日は、フィグ様の好きなチーズたっぷりのお食事ですよ~」
怪しい物影、カーテンの裏、私でさえ、一度か二度しか足を踏み入れたことのない部屋。私はあちらこちらにフィグ様の面影を探して、手あたり次第に手をかけていく。
「フィグ様~!」
キッチンに食事を置いても、食糧庫を覗いても、その気配すらないけれど。
「……どこにいるのよ……」
広すぎる屋敷は、一日で見て回れるようなものではない。まずは一階から、としらみつぶしに部屋を見て回ったが、フィグ様の姿はなかった。
夕食を食べていないせいか、おなかもすいた。
出てこないフィグ様なんて放っておいて食事をとってもいいのだが、主より先に食べるのもなんだか気が引けてしまう。私も立派な世話係だ。
「これから、二階と三階も見るなんて……」
この建物をつくった人は、どうかしている。私が大きく肩を落とせば、タイミング良く玄関扉がドンドンと打ち鳴らされた。
「ヴィティ?」
「お兄ちゃん!」
竜騎士様様である。まさに神の使い。最高のタイミングで来てくれた。いつもの倍以上のテンションで駆けよれば、お兄ちゃんは驚いたように目を見張る。
「どうしたんだい」
「フィグ様がいなくなったんです」
「……へ?」
「だ、か、ら、フィグ様がいなくなったんです!」
「今日は、お屋敷でかくれんぼでもしてるのかな?」
「そうだと良いんですけど……」
「何かあったのかい?」
「少し、喧嘩……というか、その……どうしてか、フィグ様が怒ってしまわれて」
「そこから行方不明、と」
冗談めかしたように笑っていたお兄ちゃんの顔が、だんだんと神妙になっていく様子を見ていたら、私もただ事ではないような気がしてしまう。
「き、きっと! 拗ねてどこかへ隠れているんだと思うんです! 一階は探したんですけど、これから二階を見てみようかと」
「ヴィティ」
嫌な予感を誤魔化すように、わざと大きな声で笑みを浮かべれば、お兄ちゃんが私の手を取った。大きな、安心感を与えてくれる手も、今日はどこか冷たくて、それがゾワリと私の胸に緊張を走らせる。
「……竜神様と何があったのか、教えてくれないか」
「え、と……」
真剣な物言いに、私は思わず言葉がつまる。目の前にいるのは、お兄ちゃんではなく、竜騎士様だ。竜神様に仕え、竜の世話係を管理する、ベル家の軍人。
「フィグ様に届いたお誕生日プレゼントを受け取ったところを見られてしまって……。それで、うまく、ごまかせなくて。私、フィグ様が応接間に入ろうとしたのを無理やり止めてしまったんです」
正直に話せば、お兄ちゃん、いや、竜騎士様のマリーチさんは眉間にしわを寄せた。怒っている、というよりは、辛酸をなめているような。
「……俺とヴィティが、二人で応接間にいるところを見た、と言ってはいなかった?」
「……言って、ましたけど」
どうしてわかるのだろう。長くフィグ様と一緒にいると、そんなことまで分かるようになるのだろうか。
私がきょとんと首をかしげると、マリーチさんは「最悪だ」と苦々しく吐き捨てて、先ほど入ってきたばかりの玄関扉を開け放つ。
いつの間にか、外には雨が降り出していて、扉が開くと同時に、ザーッと雨の音がなだれこんできた。
だが、竜騎士様はそんなことなど気にした風もなく、庭の方へと駆けていく。
「ヴィティ、君は家の中をもう一度探してくれ! 全部の部屋を、確実に! 俺は、少し外を見てくる!」
いつものほほんとしていることの多い兄の緊迫した声が、一層雨を激しくさせた。
まさかの拗ねたフィグ様が失踪!?
マリーチさんが竜騎士として、慌てたように外を探しに行きましたが、果たしてフィグ様を見つけることは出来るのでしょうか?
そして、いてもたってもいられなくなったヴィティは……?
次回「ヴィティ、飛び出す」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




