第三話 ヴィティ、罠にかかる?
慣れないドレスに、慣れない靴。私は何度か転びそうになりながらも、必死に男の後をついていく。
建物の中は入り組んでいて、先ほどの部屋がどこにあったのか、すでに分からない。小窓の外に広がる景色も、一体何に必要なのかと思うほど広大な芝生と森があるだけ。
太陽は覗き込まなければ見えず、方角に目星をつけることも出来ない。これでは航海士もお手上げだ。この国に海はないので、手を上げる航海士もいないけれど。
とにかく、冗談を言っている場合ではない。男を見失ってしまえば最後。おそらく、私はこの屋敷から出ることも叶わず、建物内で野垂れ死ぬことだろう。
誰かにすれ違いでもすれば、何か聞けるかもしれないが……建物内は驚くほどシンと静まり返っていて、それも難しそうだ。そういえば竜の世話係はみんな辞めたんだっけ。それこそ、最大のトラップである。
「どうしてもお辞めになられる際は、脱走ではなく、辞表を提出してください」
私の方を一度も振り返ってなどいないはずなのに、男は私がキョロキョロとあたりを見回していることを知っていたようだ。
脱走経路を探すためにあちこち眺めていた訳ではない。が、男が言うからには、過去にそういうことがあったのだろう。というか、竜の世話係も、辞表を出せば辞められるものなのね……。
「同じ失敗を二度と起こさないため、退職制度を設けることにしたんです。脱走だなんて、確実に悪評が立ちます。それを考えれば、辞表の方が体面も良いですし、やむなしです」
打算的すぎる。
「……竜の世話係になるのは、そんなに嫌ですか」
眉を下げてもなお美しい顔から吐き出される深いため息も、数々のご令嬢を虜にするには十分な武器となりそうだった。深窓の令嬢ならぬ、豪邸の竜騎士である。
「正直、嫌な噂しか聞きませんから。奴隷のようなものだと。これで村の生活が改善されなければ、私は間違いなく竜神様とあなたを呪います」
「酷い言われようですが……我が主ながら否定できないところが、なんとも悲しいですね。報酬はお約束しますし、慣れれば、そう悪くはありませんよ。住めば都、竜も赤子です」
(なにそれ?)
竜騎士様と言えば、竜の世話係と同じく、選ばれし男性のみが就くことの出来る仕事だったと記憶しているが、この男は少し変だ。親しみを出すためか、神が二物を与えなかったか。神は神でも、この国に住まうのは竜神様だから、与えたくても与えられなかったのかもしれない。
ひときわ大きな扉の前で、男は立ち止まった。
「竜の世話係についての噂はともかく、事実についてはどこまでご存じですか」
先ほどまでの軽やかな口調が一変、何やらよくないことが起こりそうな物言いに変わる。おそらくこれは何らかの死亡フラグだ。それ以上のことは何も分からないが、それだけは、男の口ぶりから察することができる。
「竜の世話をする人……神様の付き人だと」
「では、竜のことは?」
「この国を守ってくださる神様、ですよね。純潔なる乙女フェチの」
実際に守られたことなどない私に、信仰心はない。皮肉たっぷりにおまけを付け加えれば、男は気まずそうに視線をそらし、ゴホン、とわざとらしく音を立てた。
「否定はしませんが……」
「否定して欲しかったです」
「無理です。人の性癖に口を出して良いことなど一つもない」
男はきっぱりと断言し、とにかく、と私を見つめ返した。やはり、その整った顔立ちには抗えない。自分に似ているせいか、知らないはずの両親の面影を重ねてしまって余計に。
「竜はこの先に存在している、といえば……ヴィティさん、あなたは信じますか?」
男は視線を切って、扉の先をただまっすぐに見つめた。
「信じるというか……神様もちゃんと生き物だったのか、と」
私はいたく真剣だったが、とぼけた答えだと思ったのだろう。彼はほんの少し目を見張った後、おかしそうに顔をゆがめて口元を押さえた。クツクツと揺れる不規則な肩を見るに、どうやら相当お気に召したらしい。
「ヴィティさんは、本当に肝が据わっていらっしゃる。今までの女性の中で、最も竜の世話係に向いているかもしれません。……特別に、竜について、一つお教えしましょう」
男は笑い過ぎたのか目元に浮かべた涙をぬぐいながら、麗しの笑みを投げかけてきた。この後、竜に会うとは思えぬほどの緊張感のなさ。私は、一つどころか全部教えろ、と男を見つめたが、男は無視して、私の耳元に手を当てた。彼の吐息が耳たぶをなぞり、ゾクリと内臓が浮き上がるような感覚が背筋を駆ける。
「――竜に、隠し事は出来ません」
ゆっくりと吐き出されたその言葉に、私が数度まばたきすれば、男はそっと私から体を離した。
噂にも聞いたことのないその事実は、本当にトップシークレットだったのだろう。とはいえ、なんともあっけない幕切れだった。
「竜は、人の言葉がわかります。心の声を聞く生き物なんです」
「心の声?」
「ヴィティさんが今、俺に対して、何を言っているんだと思っている、本音のことですよ」
「なっ……」
あながち間違ってはいなかったので、私は口をつぐむ。
「そんな竜と共に生活し、その世話をする。それが、竜の世話係です」
「世話って」
「食べ物を運んだり、体を清潔に保ってやったり……いろいろですね」
「いろいろ……」
結局説明にはなっていない。だが、心の声がはからずとも聞かれているという状況下で身の回りの世話を――それも、暴君の言いなりとなって働くことの恐ろしさは、私にも容易に想像できた。
なるほど。離職率ナンバーワンの噂も伊達ではない。特に、乙女の心を覗くことなど、本来であれば死刑としても足りないくらいなのに。最も、特別に、と言った竜騎士様の言葉を信じるのであれば、過去の世話係は、心を覗かれているなど知らなかったのだろうけれど。
説明は以上です、とまるで大義でも果たしたかのようにドヤ顔の男に、私が求める答えを期待することは難しかった。私が諦めて嘆息すると、彼は扉に視線を向けたまま「言い忘れていましたが」と切り出す。どう見ても、扉に話しかけている。
「人の目を見て話した方が良いですよ」
私の忠告に、男は尚も頑なに目を伏せた。こればかりは、目を合わせて話すことが出来ないと言わんばかりに。
「ヴィティさんには今から、竜の血を飲んでもらいます」
「はい……?」
竜の血とは何ぞ。
私が硬直したのを好機とばかりに、男が私の両腕を握る。赤面する暇もなく革紐が巻かれ、両腕の自由が奪われた。ざらりとした革の感触が、手首を動かすとこすれて軋む。
「えぇっと……これも、もしかして、過去の失敗を活かした感じのアレですかね?」
「そんなところです」
爽やかな、けれどどこか切ない、なんとも器用な表情で竜騎士様は告げた。彼の内ポケットから、しゅるりと衣擦れの音を立てて、真っ白なハンカチーフが現れる。
「ヴィティさんに拒否権はない、ということですね」
今度は質問を重ねる暇もなく目隠しをされ、私の視界はそこで完全に奪われた。
「あぁ、竜とも話はついていますよ。罠もありませんから、安心してください」
「すでに罠にかかりまくってるんですけど⁉」
「これは罠ではなく、慈悲です」
「はぁ⁉」
ガチャン、と扉の開く音がした。そう思った時には、なすすべもなく。私はこの先に存在している、という神のもとへと突き出されたのだった。
竜の御前で「竜の血を飲め」と謎の指示を受けたヴィティ。
視界を塞がれ、両手の自由を奪われた彼女の運命はいかに……?
次回「ヴィティ、やっぱり罠にかかる」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




