第二十九話 ヴィティ、実感する
マリーチさんが出生証明を持ってきてからというもの、数日は勉強にも身が入らず、彼の姿を見るだけで複雑な心情を持て余した。
おかげで仕事もいまいちだ。フィグ様にも何度か色々と言われた気がするが、申し訳ないことにほとんど記憶に残っていない。
生まれた時から両親はおらず、村長が代わりに育ててくれた。私にとっての家族とは、村長と、あの村の人々で、今更兄が存在していたと知らされても、その実感がすぐに伴う訳がない。しかも、兄はあのマリーチさんである。
マリーチさんは、妹が生まれていたことを、ベル家の義父から聞かされていたらしい。なんでも、ベル家と両親は友人だったのだとか。両親の死や、生まれ故郷が流行り病で壊滅状態に陥ったことも聞いた、とマリーチさんは心底悲しそうに言った。
一度は、私もベル家で引き取るという話になったのだが、この北方の地から、南西にある村までの移動には時間がかかり――そうこうしているうちに、私は近くの村に引き取られたために、私もいなくなったとみなされたようだ。
マリーチさんだけが、私をあきらめなかった。竜騎士になったのも、私のためだと聞かされた時は正直、少しばかり引いた。愛が重い。いや、嬉しくはあるものの、やはりいまだ兄だと認識できていないせいか、ほんの少しだけ、マリーチさんの愛の深さに驚いている。
竜騎士は、竜の世話係を探すために、様々な場所へ行く。女性をしげしげと観察していても怪しまれない。そう語るマリーチさんは、一歩間違えれば明らかに危険人物だったが、こうして出会えたのだから、やっぱり間違ってはいなかったのだろう。
「本当に良かった」
抱きしめられて、耳元で聞こえた声は、泣いていたように思う。きっとマリーチさんは、ずっといなくなった家族を探していたのだ。両親が亡くなってしまった以上、残された家族である、私を。
「ヴィティ」
庭の掃き掃除をしていた私に声がかかる。
「マリー……お、兄、ちゃん」
ぎこちなく返事をすれば、マリーチさん、もとい、お兄ちゃんはにっこりと麗しい笑みを浮かべた。家族とはいえ、この整った顔立ちから繰り出される特上の笑みは、いまだに慣れない。しかも、私が妹と分かってからは余計に、兄としての可愛がりが発動しているのか、今まで以上の破壊力だ。
「まだ、慣れないかい?」
「当たり前です」
名前を呼び捨てにされることも、敬語が消えて、それこそ家族のような口調で話しかけられることも、一気に距離が縮まりすぎて、すぐには慣れそうもない。
「敬語でなくても良いと言っているのに」
「それは、ちょっと。普通の兄妹でも、敬語を使っている方は多いのでしょう?」
「貴族のマナーも、ずいぶんと覚えてきたようだね」
俺は貴族じゃないからいいのに、なんて頭をくしゃくしゃと撫でられても、くすぐったいばかりだ。
「仕事してください」
「可愛い妹の仕事を眺めるのが兄の仕事だよ。それに、食糧庫への補充ならもう終わってる」
「じゃあ、明かりをつけに行きましょう」
私が大量の落ち葉と雑草を溜め込んだ麻袋を掴もうとすれば、するりとそれを奪われる。相変わらず、この超絶紳士は隙がない。
「ほら、またそうやって一人で頑張ろうとするだろう。頼ってくれるんじゃなかったのかい?」
「う……」
いつかの誘拐事件を持ち出されては何も言えず、抱えていたほうきまで奪われた私は、手持無沙汰のまま屋敷に入る。お兄ちゃんは麻袋を荷馬車へ、ほうきを外の倉庫へとしまってくれていた。
実際、こうして作業を分担してくれるのはありがたい。私が先に、一階の食糧庫やキッチン周りを中心に明かりをつけていく。お兄ちゃんは二階から三階のフィグ様が出入りする部屋の方へと向かっていった。
本来の竜騎士としての仕事は、夜間の見回りなのだそうだが、国一つを存在だけで守っているような竜の屋敷に侵入しようなんて輩がいるはずもなく、ほとんど仕事なんてないのだという。それで金を貰えているのだから、これほどまでに楽な仕事もないと笑うお兄ちゃんは、ちょっとだけ下種なフィグ様に似ている。あの二人はさすがに兄弟ではないが、ずっと一緒にいると似てくるのだろう。
(フィグ様と似るのは、ちょっと嫌かも……)
どこか抜けているお兄ちゃんと似るのもな、と思うが。
キッチンの明かりをつけるついでに、水場でバケツに水をくむ。湯浴みの準備だ。バケツを何度も持って往復する重労働。えっちらおっちらと歩く姿をお兄ちゃんに見られれば、またなんだかんだと言われるのだろう。だからこそ、二階や三階の明かりをつけてもらっているのだが。
大量の水を鍋へと移し替え、料理をすすめながらも、湯浴み用の湯を沸かす。ここまでくれば、お兄ちゃんがキッチンへ戻ってくるのを待つだけだ。私は料理に集中する。
ツェルトの町でよく食べられている料理や、王都の料理もずいぶんと覚えてきて、料理のバリエーションが増えてきた。フィグ様の好みも聞いてはみたものの、なんでもいい、の一点張りだったので、あまり張り合いがない。いまだ、ギャフンとは言わせることが出来ていないので、まだまだ努力が必要そうだ。
「っと……今日は、お兄ちゃんも食べていくのかしら」
独り言をこぼしてから、私はハッと口をつぐんだ。自然と口からこぼれ出たお兄ちゃん、に、まだまだ慣れていないと思っていたのに、と苦笑してしまう。お兄ちゃんを目の前にすると、どうにも緊張してしまうが、本人のいないところではすっかり彼を兄と認めることが出来ている、らしい。
自覚すると、その実感もわいてきて、
「お兄ちゃん、かぁ……」
思わず、感慨を言葉で吐き出してしまう。
「どうかしたのかい?」
「ほわっ⁉」
「はは。相変わらず、ヴィティは反応がいちいち面白いよね」
驚きでちょっぴり床から飛び上がった私に、お兄ちゃんはクツクツと肩を揺らした。悔しいことにその笑顔が、竜騎士としてのころよりも柔らかいような気がして、私は口をとがらせる。
「竜神様も、そういうところが気に入っているんだろうな」
「それ、何なんですか?」
「それって?」
「竜神様が、気に入ってるってやつです」
「気づいてないのかい?」
「どこに気づける要素があるのか、まったくわかりませんが」
沸いた鍋をかまどからおろして、兄の方へと差し出す。私が両手でも重いと感じるそれを、お兄ちゃんは軽々と受け取った。湯浴み用のたらいへと移し替えて、大きなたらいでさえ、ひょいと持ち上げる。
「正直、兄としては複雑な気持ちだよ」
少し困ったように眉を下げたお兄ちゃんは、そのままくるりと背を向けて、フィグ様の部屋へとたらいを持って行ってしまった。
「……だから、どういう意味なの?」
ツェルトの仕立て屋のおじいさんにしても、お兄ちゃんにしても、フィグ様と長く付き合いのある人は、どうも私の知らないフィグ様を知っているらしい。確かに、私がここへ来るより以前の、竜の世話係への対応なんかを見ていれば、わかるのかもしれないが。
「お兄ちゃんも、大概意地悪よね」
彼は出会った時から肝心なことをはぐらかす癖がある。フィグ様のような分かりやすい意地悪ではないからこそ、余計に気になってしまうものだ。
「フィグ様のことだけは、実感がわかないままね」
私はいまだ全貌のつかめない竜神様のことを考えて、もっと知りたい、だなんて変だろうか、と嘆息した。
ヴィティのお兄ちゃんだと分かった途端、ぐいぐいと距離を縮めるマリーチさん。
とはいえ、ヴィティもまんざらではない様子。
そんな二人を見たフィグ様は……?
次回「フィグ、モヤモヤする?」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




