第二十八話 ヴィティ、驚愕する
窓の外をたたく雨音だけが、部屋いっぱいに響く。応接間でマリーチさんと対面した私は、彼の複雑な表情を見つめた。
今日も今日とてお楽しみの勉強タイムだ、と意気揚々、玄関を開けた先にいたのが、ずぶ濡れマリーチさんだった。どうかしたのか、と尋ねても、彼は曖昧な返事を二、三返すだけで、それ以上は、私を見つめて何やらぼんやりと考えに耽っていた。
そんなマリーチさんにタオルを手渡し、応接間へと通したが最後。彼は沈黙したまま、じっと絨毯の編み目を数えているのか動かない。
夏が近いとはいえ、この辺りは雨が降れば気温も下がる。寒いだろうと温めたハチミツ湯も、すっかり冷めてしまった。
「えっと……マリーチ、さん?」
大丈夫ですか、と私がマリーチさんの前で手を振っても、彼は微動だにしない。いや、正確にはその顔だけを百面相のようにコロコロと変えている。
「あのぅ……」
さすがに気まずい。気まずすぎる。私がそっと彼の顔を覗き込むと、マリーチさんはハッと気が付いたように私を見つめる。
「……すみません、その」
マリーチさんは目元を手で押さえ、はぁ、と深い息を吐き出す。悩み事、というのがしっくりは来るものの、マリーチさんがそんな風に悩みを前面に押し出す姿を見るのは初めてのことで、私はどうすれば良いのか分からない。
だいたい、良い年をした男の人から、悩みを打ち明けられるなんて経験はほとんどない。村長の腰が痛いだの、歯が欠けただの、せいぜいそんなところが関の山だ。しかも、こんなに眉目秀麗、完璧超人な竜騎士様の悩みともなれば、その辺のちっぽけな悩みとはけた違いだろう。
果たして、そんなマリーチさんの相手を私が出来るのか。答えは、否。絶対に無理だ。人間、出来ることと出来ないことがある。今日は、マリーチさんには申し訳ないがお引き取りいただこう。それが良い!
「マリーチさん! 今日は……」
「今日は、ヴィティさんに大切なお話があってきました」
おおっと。私の言葉を遮るようにして、急にずいと身を乗り出したマリーチさんに、私は思わずのけぞる。お互いソファに腰かけているので、シンクロするように両方のソファがギシリと軋んだ音を立てた。
「大切なお話って……」
私がゴクリと唾を飲み込むと、マリーチさんの美しい喉ぼとけも一瞬上下したように見えた。ここまでのシンクロ率だけなら、世界記録を狙えそうだ。
緊張をそんな冗談でやり過ごしながら、マリーチさんの言葉を待っていると、マリーチさんは言葉ではなく、制服の内ポケットから、なにやら紙を取り出した。羊皮紙ではなく、紙だ。最近、王族や貴族の間ではやっているという、東の方からお取り寄せした上等な紙。
(……まさか、ラブレターじゃあるまいし)
こんな貴重な紙を使って、私に何をさせようというのか。この屋敷に初めて連れてこられた時くらい、やばい予感がする。
「ここから先は、俺のエゴです」
「罠ではないんですよね……?」
「ヴィティさん、罠、お好きですね」
「いや、好きなわけではないのですけど」
「とにかく……勢いでこうして来てしまいましたし、大切なお話があるとも言いましたが……いざ、お伝えするとなると、俺の気持ちばかりを押し付けてしまうのではと」
「もう! なんなんですか! 早くしてください!」
あんまりこうしてためられても、気になるというもの。マリーチさんのエゴとやらを打ち明けられる側の身にもなってほしい。綺麗な顔を神妙にしてため息をつくんじゃない。私以外の乙女なら、間違いなく愛の告白と取られて大変な事件に発展してしまいますよ、マリーチさん。
「ですが……」
「あぁ! もう! とにかく、この紙を見ればいいんですよね⁉」
いつまでもうじうじとじれったい。応接間に通してから、一体何十分が過ぎていると思っているのか。私の貴重なお勉強タイムを返してくれ。私は、優秀な家庭教師であるマリーチさんを期待しているのであって、乙女もびっくりな恥じらうずぶ濡れマリーチさんを期待している訳ではないのだ。
私がマリーチさんの手から紙を奪い取ると、マリーチさんは「あぁ!」と情けない声をお上げになられた。私はその紙を容赦なく広げていく。
羊皮紙と違って、スルスルと手指に馴染むなめらかな紙は、よほど上等なものだろう。噂には聞いていたけれど、まさかこんなに良い紙があるとは。
開いた右下に、おそらくこの紙を書いたであろう人の名前が走り書きされているのが目に入った。
「え……?」
最近、マリーチさんから教えてもらった、ここら一帯を治めているという区長のものによく似ている。いや、似ているどころの騒ぎではない。ゆっくりとその文字列を読み解けば、やっぱりまごうことなき区長の名前である。
私が硬直した様子を、マリーチさんが、ほら見たことか、と言わんばかりに頭を抱えているのが視界の端に映った。マリーチさん、それはまだ早いですよ。
「えぇっと……これはなんて読むんですか?」
「あぁ、これは出生証明と……って、まだ内容は読んでなかったんですか」
「区長さんのお名前を見つけてびっくりしただけです。マリーチさん、次の文章は?」
「これは、依頼人、ですね」
「えぇっと……依頼人からの調査を実施。結果、確認により、証明された……。出生を、証明されたので、ここに記す。また、この文章は、依頼人とその家族の身分を、証明するものであり、捨てることは出来ない?」
「正解です。よく読めましたね」
私の頭を自然と撫でるマリーチさんの手は大きくてくすぐったい。なんだか、子供に戻った気分だ。というか、近頃のマリーチさん、フィグ様みたいにスキンシップが激しい気がするのだが、気のせいだろうか。助けてもらったあの日から、どうにもマリーチさんの距離が近い気がする。
「出生証明というのは、その人の生まれを証明するものです。王都や一部の町では、生まれた後、教会で洗礼を受ける際にいただけたりすることもあるようですが……通常は、あまり発行されることはありません。養子を取ったり、婚姻を結んだ時に作ったりすることはありますが」
「はぁ……」
「まぁ、家族ですよ、ということを知らせるための紙ですね」
なるほど。私はマリーチさんの説明を聞きながら、下に続く名前へと目を走らせる。
「えぇっと……両親は死亡、兄、マリーチ・ベル・シャヴォンヌ。妹、ヴィティ・シャヴォンヌ……」
妹、ヴィティ・シャヴォンヌ?
兄、マリーチ……?
「え?」
「はい」
「え? えっと、え? マリーチさんって、マリーチさんですか?」
「はい。ヴィティさんの兄の、マリーチです」
「私の、お兄さん?」
「はい。ヴィティさんは、俺の妹です」
「私が、妹?」
「はい」
「え?」
私が目をパチパチとしばたたかせ、マリーチさんを見ると、彼もまた私の方を見て、パチパチとまばたきを繰り返す。
同じ緑色の瞳。どこか似た珍しい、ピンクがかった淡い髪色。同じシャヴォンヌの名。小さいころに、両親を失ったという共通点。ちょっと損な性格も。
似ている、なんてものじゃない。同じものを、両親から受け継いできたのだ。
「え……?」
いまだ受け入れがたい真実は、喜びや困惑よりも驚きを連れてきて、私はもう一度、ゆっくりとその紙に目を通す。
「初めてお会いした時は、まさかと思っていましたが……一緒にいるうちに、だんだんと確信めいたものになってきましてね。調査をしてみたら、やはり、というべきでしょうか」
むしろ、世話係になる前に気付いていたら、竜の血を飲ませようなどとは思えなかったから、都合は良かったですが、と付け加えるマリーチさんの笑みが黒い。
だが、瓜二つ、とまではいかずとも、確かに本能が告げている気がする。いなくなったと思っていた家族というものを、彼から何度か想起したこともある。
でもこれは、あまりにも……。
「だから、言ったでしょう。神様の思し召しだと」
マリーチさんは麗しい笑みを――いや、兄としての穏やかな笑みを浮かべて、そっと私を抱きしめた。
マリーチさんが兄だと知って、驚愕するヴィティ。
二人が家族だと分かったところで、竜騎士と竜の世話係としての関係性にも変化が?
次回は、ぜひぜひ美しきかな? 兄妹愛をご堪能ください。
次回「ヴィティ、実感する」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




