第二十六話 ヴィティ、改める
マリーチさんの姿に、私の膝が笑う。先ほどまで、とにかく生き延びることに必死だったから気が付かなかったけれど、やっぱり怖いものは怖い。村でのうのうと育ってきた私が、純然たる悪意に触れることなんてなかったし、誘拐犯の男は悪い人ではなかったけれど、それでも一度は命を狙われたのだ。心の奥底に隠れていた恐怖が、マリーチさんを見たことで安堵に変わり、一気に実感が押し寄せる。
「マリーチさん……」
震える手を差し出せば、マリーチさんは人目もはばからず、私をしかと抱きしめた。ふわりと香る彼の香水が、ブドウの香りによく似ていて、村のことを思い起こさせる。
「無事でよかった」
かすれたテノールが耳元で聞こえて、私の胸がいっぱいになる。
「ごめんなさい……」
「いえ、謝るのは俺の方です。この場に不慣れなヴィティさんを一人にするなど。竜騎士失格です」
「そんな……私は、大丈夫ですから」
顔を上げてください、と促せば、彼の美しいマスカット色の瞳と至近距離で視線がかち合った。
バチン、と星が弾けて、私は反射的に彼から離れる。近い。男の人に抱きしめられるなんて、子供のころ以来だ。男の人の大きな手が背中に回っていたことも、端正な顔がすぐそばにあったことも。意識すればするほど、私の顔が赤く染まっていく。
自分にどこか似ている顔で、他の人よりも幾分か親近感がわいているとはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしい。
「す、すみません!」
マリーチさんもようやく自らの行動に気付いたのか、バッと私から距離を取る。その身のこなしはさすが竜騎士様だ。
「とにかく、ご無事でよかったです」
真っ赤にした顔を見られまいと頭を下げるマリーチさんに、私もつられて頭を下げる。
「こちらこそ、本当にごめんなさい」
お互いに謝り倒しあい、このままではどちらかの額が地面についてしまう、というところで誘拐犯の男から声がかかった。
「あの……」
大変遠慮がちなその声に、私とマリーチさんはようやく我に返るのだった。
男は、マリーチさんの手で自警団に引き渡された。
道中、自警団の人たちやマリーチさん以外の竜騎士様からも声をかけられ、私は方々に頭を下げた。私を捜索するために大勢の人たちが駆り出されていたようだ。自らの失態がどれほどの人たちに迷惑をかけていたのか。
「本当にすみません」
マリーチさんに何度目かの謝罪をすれば、「竜の世話係がいなくなったのですから、当然です」と真顔で返される。
マリーチさんもずいぶんと落ち着いたのか、今はすっかり冷静だ。今まで何度となく、こういうことがあったのか。それとも、それほどまでに竜の世話係は貴重な人材なのか。両方だろうな、と思いつつも、今回の件については決してフィグ様が嫌になって逃げだしたわけではない、としっかり念押ししておいた。
ついでに、メロウさんのことも聞けば、マリーチさんは「調べておきます」と答えてくれる。先の男の罪状についても、情状酌量の余地があるとのことで、私はようやく、本当の意味で安心したのだった。
「さ、今度こそワインを選びに行きましょう」
気を取り直すように、マリーチさんに言われ、私もいつまでもくよくよしていてはいけないと前を向く。ワインを貯蔵している倉庫は、私とマリーチさんがはぐれた場所からそう遠くはなく、この距離で迷子になってしまったなんて、と恥じる他ない。
「ヴィティさん、お手を」
サッと腕を差し出され、今度こそはぐれないように、と私はおずおずとその腕を取る。大した距離ではないけれど、それこそ二度があったら目も当てられない。
(遠慮せず、最初から荷物を持ってもらえば、こんなことにならなかったのに)
私は、もっと周りに頼ることも覚えなければ、と嘆息する。
ここはもう、自らの育った村ではないのだ。私は、ブドウを育てていた田舎娘でもない。マリーチさんのように、頼りになる竜騎士様がいて、この国を守る竜神様を世話する役割をいただいた。私も、竜の世話係にふさわしい人間にならなくては。
(フィグ様のことばかり、文句を言って、叱っていたけれど……私も私で、もっとしっかりしなくちゃいけないのよね)
神様に仕えるに相応しい人間にならなくてはいけない。それが、どんな人なのか分からないけれど、とにかく、今のままではまた迷惑をかけてしまうだろう。
私は隣を歩くマリーチさんをそっと盗み見る。抜けたところはあるものの、優しく、穏やかで、それでいて大切なことはきっちりとしている竜騎士様。フィグ様にはもちろん、私に対しても敬意を払ってくださっている。お手本にしなくて何になろう。
「マリーチさん」
「どうかしました?」
「私、もっと竜の世話係に相応しい女性になります」
マリーチさんは少し驚いたように目を丸くして、それから、柔らかに目を細めた。
「それは、素晴らしい心がけです」
「だから、これからはもっと、いろんなことを教えてください。私にはまだまだ、竜の世話係に必要な知識や技術がありませんから」
「もちろんです。竜の世話係をサポートするのが、竜騎士の役目ですから。まずはそのことを竜神様にお伝えになられることから始めましょう。竜神様もお喜びになられます」
「フィグ様に?」
「えぇ。我々がお仕えするのは、竜神様なのですから。主様の望むことを叶えるのが、我々の役目です」
なるほど。先ほどの意気込みをフィグ様に聞かせるのは、鼻につくような傲慢な態度を取られることが目に見えていて少し嫌になるが……マリーチさんの言う通りだ。
戻ったら、フィグ様に、今までのことを謝って、これからもお願いします、と伝えよう。それに、もっといろんなことを勉強しなくちゃ。読み書き、計算、この国のこと。
それに、フィグ様のことも、もっと。
「マリーチさん、頼りにしてます」
「それは光栄です。ヴィティさんは、少し頑張りすぎるところがありますからね」
冗談めかして笑うと、マリーチさんからも麗しい笑みがかえってきた。やっぱり、この人頼もしい。お父さんや、お兄ちゃんってこんな感じなのかしら。
「妹がいたら、こんな感じなのでしょうかね」
不意に、マリーチさんが私の考えていたことと同じことを呟いたので、驚いてしまった。はえ、と声というよりも音に近い声を発すると、マリーチさんがフッと口角を上げる。
「いえ。こちらの話です」
さらりとかわされては深追いもできず、しかも、貯蔵庫に到着したことでこの話は流れた。
貯蔵庫には大量のワインが……いや、ワインに限らず、様々な種類の酒が保存されており、マリーチさんはその中から、出来の良いものを香りと舌で選んでいく。樽に取り付けられた簡易弁で、試飲まで出来るのだから本格的だ。
「あ!」
私は見慣れた村の名前を見つけて、思わず声を上げる。マリーチさんは、そんな私の後ろから手を伸ばして、その樽からほんの少しだけワインを瓶へ注いだ。
「フィグ様がお気に入りのワインです」
「そうなんですか?」
「えぇ。この村のワインは、ここ数年かなりうまくなった、とお褒めになられておりました。だから、竜の世話係も、ヴィティさんの村から探したんです」
「そうだったんですね……」
村はあれから、どうなったのだろうか。支援金がいただけて、少しは豊かになったのか。
自らの働きが、神様に認められ、今度は自らが神様に仕えることで村を潤すことが出来ている。
そう考えると、やっぱり私はもっともっと、竜の世話係として頑張らなくてはいけないと思うばかりだ。
竜の世話係としての自覚をもったヴィティ。
心新たに、もっと仕事に励まなければ、とどこまでも社畜根性を発揮しております。
これからもヴィティの頑張りをあたたかく見守ってください*
次回「ヴィティ、勉強する」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




