第二十三話 ヴィティ、勘づく
薄暗い部屋を、壁の隙間から差し込んだ光がぼんやりと照らす。砂埃の舞う様が、たなびく光の筋に浮かび上がった。
私は、ゆっくりと目を開ける。ゆらゆらと揺れる視界と頭痛に、自らの置かれた状況を理解する。手と足は椅子に固定されていた。動かそうとすれば、麻紐がこすれて痛い。
「起きたか」
ニヤニヤと下劣な表情を浮かべた男は、手元で小さなナイフをくるくると回す。いつでも簡単にお前を殺せる、そんな態度が余裕を生み出しているらしい。
「……ここは」
「さあな。俺が質問することに答えるなら、考えてやる」
「答えられることなら、答えます。だから、離して」
「それは無理だ」
淡い期待を抱いたが、やはり思うようにことは進まない。
「何が聞きたいんですか」
男を睨みつけると、彼は私の態度が気に入らなかったのか、一瞬顔をゆがめた。そういうのはフィグ様でおなかいっぱいだ。だが、ここは大人しく言うことを聞いておくべきだろう。私は、心の内に沸き上がる怒りを抑えるため、目を伏せる。
「お前、本当に竜の世話係か?」
「だったら」
「メロウという女を知っているだろう」
「メロウ?」
「メロウ・グラーノ。竜の世話係にいるはずだ」
聞いたことがない。そもそも、私が世話係になった時にはすでに、それまでの世話係は全員辞めていたのだから知るはずがない。素直に首を横に振ると、男はナイフをこちらへ向けた。
「嘘をつけ! 彼女は竜の世話係になると言って、一年前、俺のもとを去ったんだ!」
「本当です。私が世話係になったのは数か月前ですが、その時にはもう、竜の世話係は皆辞めていました」
男を煽らないよう冷静に返答したつもりだが、男はナイフを私の首筋に当てた。
「嘘だ! それじゃぁ、メロウはなぜ帰ってこない⁉」
メロウ、という女性は、この男の恋人だったのだろうか。理由は分からないが、竜の世話係になると言って自らこの男のもとを離れ、以来、行方をくらましているらしい。そして、男はそれを「竜に奪われた」と逆恨みしている。
なるほど。どうして私が今こんなことになっているのか、状況が飲み込めてきた。
それにしても、メロウさんという女性は、竜の世話係についての噂を知らなかったのだろうか。私が言えた話ではないが、あの噂を知っていて自ら志願したのだとしたら、とても正気の沙汰とは思えない。
「おい! なんとか言え!」
何か言ったら、今度こそそのナイフで切り付けられそうだ。そう思いつつも、黙っていてもそれは同じだろう。本当に何も知らないんです、と精一杯の表情で訴える。
「……本当に、知らないのか」
あれ、この人、チョロい? いける。このまま、いったん落ち着いてもらうことが優先だ。
竜を……フィグ様を勝手に恨んでくれるのはなんら構わない。自らの大切な人が、あのフィグ様に仕えたいだなんて言ったら、誰だってそう思う。少なくとも、恨まれてしかるべきだ、とも。
だが、それと、私に危害を加えることには全くなんの接点もないのだ。八つ当たりも良いところである。
私は、ナイフから体を遠ざけるようにゆっくりと頭を横に振り、目に涙をためた。
「私も……村を救うために世話係になれと言われ……」
わざとらしすぎるか。泣き落としが通用する相手かは分からないけれど、今自分が出来ることはこれくらいだ。
「竜神様はとても横暴で、多くの方が辞めたと聞きました。私も、本当はこんな仕事、辞めてしまいたいのです」
半分は冗談だが、半分は本気だ。メロウさんが一体何を思ったか、本当に竜の世話係になり、そして辞めていったのか、そんなことは知らないけれど、とにかく、大切な人を奪われたと思っている男の怒りを、私からフィグ様へ向けてもらわなければ。
メソメソと泣き真似をすると、首元に感じられたナイフの冷たさが消える。作戦成功。本当にチョロい男である。だましているこちらが不安になるレベルだ。
「やっぱり、あの噂は本当なのか……」
「噂?」
「竜神様の噂だよ! くそ! やっぱり、メロウを働きに出すべきじゃなかったんだ!」
王都では、フィグ様の悪行が世間一般に広がっているようだ。乙女だけの間でまことしやかにささやかれているものかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
「その……メロウさんとは、どういったご関係で?」
「付き合っていたんだ! 綺麗な女で、それはもう自慢の恋人さ」
「そう、だったんですか……。でも、どうして竜の世話係なんかに」
「そんなこと知るか! 俺とメロウは運命的な出会いだったんだ! 俺が失業して、ヤケ酒をしていたあの夜……」
聞いてもいない自分語り、ならぬ、メロウさんとの愛の物語が始まった。メロドラマならぬ、メロウドラマである。
私は、衝動的に口から吐き出されそうになったため息を必死に飲み込む。いかにも、それはお辛いですね、の顔を先に作って、男の話に耳を傾けた。
この男とメロウさんの出会いは、一年と少し前。
失業した男がヤケ酒をしていると、彼女が隣に現れた。彼女もまた、失恋の後で、何かを失ったもの同士意気投合したらしい。しかも、メロウさんはその日、財布まで盗まれたらしく……これは、会計の時にメロウさん自身が気づいたのだそうだが、そこで男がメロウさんの酒代を貸しとした。それがきっかけで、メロウさんはお礼をしたいと男に次の約束を取り付け、やがて、二人は仲を深めていく。
「とにかくいろんなものを贈ってやったよ。俺も、仕事がなくて、金を工面するのには困ったが、メロウの言うことを叶えてやりたかった。あいつは可哀想な女なんだよ。両親に捨てられ、家もなくてな。贅沢ってもんを知らねぇんだ。酷い男に捕まって、金とかも盗まれたらしくてな」
……なにやらきな臭い話になってきた、とは言わず、私は神妙な顔つきを崩さぬよううなずく。話だけ聞いていると、この男、メロウさんに良いように使われているのでは、と思わざるを得ない。
「しかも、メロウはとにかく優しい女でな……。自分が苦しい思いをしたから、孤児たちに恵んでやりたいと……」
やっぱり、だんだんと雲行きが怪しくなってくる。どうして、自らの金もないのに、孤児たちに恵もうだなんて思えるのか。いや、メロウさんがとてつもなく良い人なのかもしれないが、そういう人は、他人の家に転がりこんだり、他人の金で孤児に寄付したりしないはずだ。
「俺にも、幸せになる壺なんてものをプレゼントしてくれて」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「な、なんだよ」
「幸せになる壺ってなんですか」
「おう、やっぱり嬢ちゃんも気になるか? なんでもあいつの友人が破格で譲ってくれたらしくてな。それをわざわざ俺に……」
「買ったんですか?」
「買ったに決まってるだろう! あいつがくれたものだぞ!」
「……ちなみに、それ以外にも清めの聖水とか、開運の石とか、そういうものも買わされ……いえ、プレゼントされませんでした?」
「あぁ! そうだ! 懐かしいな!」
あぁ、駄目だ……。やっぱり、チョロい男だ。
メロウさんはおそらく、竜の世話係になんてなっていない。メロウさんは、この人からまき上げられるだけ金をまきあげて、不要になったから、雲隠れにフィグ様の噂を利用したんだわ。
「あの……、私の話を落ち着いて、聞いていただけませんか」
私が決死の覚悟で男を見つめると、男は少し気圧されたように、ジリと一歩後退した。
さらわれてもなお、ヴィティのたくましさ健在!
なんとか説得を試みるヴィティは、果たして男を更生させることが出来るのか⁉
次回は、ヴィティを必死に探すマリーチさんのテンパる様子をご覧ください!
次回「マリーチ、奔走する」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




