第二十二話 ヴィティ、さらわれる⁉
タープを幾重にも張り巡らせた広い屋台の下。どんと鎮座するテーブルに、これでもかと並べられた大皿の料理の数々は、私のお腹を満足させるには十分だった。
「すっごくおいしかったです」
食べたことのない料理もいくつかあったし、フィグ様にもいつか作って差し上げたい。
私が頭を下げると、マリーチさんも満足したのか「おいしかったですね」と笑う。
「ヴィティさんがあまりにもおいしそうに食べるんで、つい食べ過ぎてしまいました」
「本当においしかったので……」
ここから立ち去るのが惜しいほどである。聞けば、量り売りをしてくれるとのことで、今日の夕食の一品として、フィグ様へ買って帰ろう、と私は持ってきた袋から代金を支払った。
料理を詰めてもらった瓶を両手に抱えながら、いくつかの買い物を済ませ、いよいよ本日最後の目的地へと向かう。
「本当にお持ちしなくても良いのですか」
「大丈夫ですよ。これくらい、大したことありませんし」
マリーチさんの両手はすでに荷物だらけ。さすがに、そんな人に荷物を持ってもらう訳にはいかない。マリーチさんに差し出された腕を取ることはかなわなくなってしまったけれど、それこそ、もう子供ではないのだし。
「わかりました。では、落とさないよう気を付けてくださいね。ご無理なさらずに」
いつでも頼ってください、と麗しい微笑を投げかけられては断りにくいものの、マリーチさんも、私の頑なな姿勢にそれ以上は口出ししないことを決めたようだ。
「最後はどこに行くんですか?」
「ワインの貯蔵庫ですよ。フィグ様のために納められているものから、最も出来のよいものを選ぶんです」
マリーチさんはそういうと、露店や人々の間をするすると抜けた。だんだんと大通りから離れていくと、街は閑散としていく。裏通り、とまではいかないが、市場の敷地から人々の居住区域へと移ったようだ。
人が減ったからか歩きやすくなり、キョロキョロとあたりを見回しながら進む私と、スタスタと最低限の動きで歩くマリーチさんとの間には自然と距離が出来る。あまり離れないように、と言われてはいるものの、さすがに背中が見えている距離なら問題はないだろう。道は入り組んでいて複雑だが、見失いさえしなければ、迷うこともはぐれることもない。
……なんて、考えていた私がバカだった。
似たような家々に囲まれ、細い道を何度か曲がれば方向音痴な私の方向感覚は当然失われるもので、さっきも同じ場所を通ったような、と一瞬でも思えば、どこもかしこもそう見える。
居住区域にも小さな店がポツポツとあるのね、なんてのんきなことを考えていたら、マリーチさんとはぐれていたし、それに気づいて慌てて道をいったり来たりしたら、元の場所に戻れなくなってしまった。方向音痴の典型的な悪い例である。
「……せめて、あそこまで戻れれば……」
マリーチさんの姿を最後に見た場所には、小さな井戸があった。だが、目印が印象的すぎて、それ以外の情報が記憶から抜け落ちている。そこへ戻るまでの道筋をどうしたって思い出せない。
こういう時に、フィグ様の心の声を聞く能力や、頭の中に直接話かけることの出来る能力は、大変便利なのだろうが……あいにくと今日、彼はお留守番だ。さすがにフィグ様といえど、これほど離れていては力も使えまい。
幸いなことに、料理だけは腕の中にしかと抱えている。最悪、一日や二日は野宿で食いつなぐことも出来よう。本当ならば、避けたいところではあるが。
マリーチさんも、そろそろ私がいなくなったことに気付いて探してくれている、はず。
「やっぱり、下手に動かない方がいいよね」
先の教訓をいかそう。他人のアパートの玄関先を借りる形になってしまうが、緊急事態だ。致し方あるまい。何か言われれば、理由をきちんと話せばわかってもらえるだろう。
心を落ち着けるために、私はふぅ、と息を吐き出した。
一体、それから何分が経ったのか……。
春先とはいえ、王都も暮らしていた村に比べれば十分北に位置していて、少し肌寒い。まだまだ日が高いところを見ると、大した時間も経っていなさそうだが、何もせず、ただ不安をやり過ごす時間というのは、想像している以上に長い。
マリーチさんに怒られるのだろうな、と嫌な妄想もはかどってしまう。
困った、と顔をしかめた時、
「お嬢さん」
頭上から声がかかって、私が反射的に顔を上げると、気の良さそうな男がニコリと笑みを浮かべた。
「どうやらお困りのご様子。どなたかお待ちになられているのですか?」
第一王都人発見! しかも、紳士的な態度が好印象で、私は思わず大きくうなずいた。
「実は、一緒に来ていた方とはぐれてしまって」
「おや。それは、大変ですね。どちらではぐれたんです? お相手の方も探しているでしょう。良ければ、ご案内しましょうか」
「良いんですか?」
「えぇ、もちろん。麗しいお嬢さんを助けるのが、男の役目というものです」
歯の浮くようなセリフでさえ、今の私には、これが真の神というものでは、と思わせる。
「ありがとうございます!」
「お気遣いなく。さ、どちらへ参りましょう」
「あ、それでは……この辺りに、大きなワインの貯蔵庫があるか、ご存じではありませんか?」
「……ワインの貯蔵庫?」
「えぇ。その、竜神様にお供えされているワインを、たくさん保存している場所があるそうなのです」
私の説明に、男は何やら思案顔だ。知っているのか、知らないのか。心当たりがあるのか、ないのか。男の答えを、私も固唾を飲んで見守ってしまう。
「もしかして、あなたは……竜の、世話係か何か?」
紡ぎだされたのは、期待とも、予想ともずれたものだった。
こちらに向けられた男の視線は、ゾッとするほど濁っている。
「……そう、だと言ったら、何か……」
小さな声で返事をした途端、男の目が一瞬にしてカッと見開かれる。ほの暗い瞳はどこかまがまがしくゆがみ、うっすらと上げられた口角は狂気的だ。
「……や、やっぱり結構です!」
私が本能的に危険を察知して後ずさるも、すでに男との距離を詰めすぎていたのだから、とびかかられては逃げようがない。弾き飛ばされるようなタックルをくらい、私の体は大きく後ろへと投げ出される。抱えていた瓶が手から離れ、石畳の上でガシャン! と激しく音を立てた。いくつかはゴロゴロとそのまま転がっていき、いくつかは派手に中の料理をぶちまける。
「っ……」
自らの体も石畳と衝突し、ほんの少し着飾った洋服が路面にこすれて汚れていく。だが、男は当然、そんな私の服にかまうどころか、広がったスカートの裾を靴で踏みつけて、体を起こした私の目の前にしゃがみこんだ。
「あぁ、ようやく会えたなぁ。嬉しいよ」
ニタリと悪辣な笑みを張り付けた男が、私の顎を掴む。
(ようやく会えた……? どういうことなの……?)
男の瞳には、確かに自分が映っているはずなのに、男はまるで、私を介して他の誰かを見ているみたいだった。
「どいつもこいつも、竜神様、竜神様と……。神が一体何をしてくれた? 俺に、何を与えたって言うんだ?」
うつろな瞳が虚空に語り掛ける。
「奪うばかりの能無しが、どうしてチヤホヤされる? なあ、教えてくれよ」
「……そんなの、知らないわ」
私が男を睨みつけると、男の顔色が変わる。火に油を注いだ自覚もあるが、だからといってどうして私がこんな目に合わねばらなないのだ、と怒りを止めることが出来なかった。
「偉そうな口をきくな!」
私の体が強い力に持ち上げられて、私の喉が閉まる。直後、ガツンと頭を路面にたたきつけられ、私の意識はあっけなく飛んでいった。
なんと、マリーチさんとはぐれてしまったがゆえに、ヴィティ大ピンチ‼
ヴィティはどうやらヤバイ男を寄せ付ける天才なようですが……果たして、彼女の運命は⁉
次回「ヴィティ、勘づく」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




