第二十一話 ヴィティ、王都へ行く
マリーチさんに連れられて馬車を下り、私はその人の多さに目をチカチカとさせた。
ツェルトも賑やかだったが、王都はそれ以上。しかも、ドレスを着こんだ貴婦人たちもいて、少しおしゃれをした程度の私では、庶民にもなれていないのでは、と思うほどだった。
「ヴィティさん、大丈夫ですか?」
「え、えぇ……。少し、驚いてしまって」
本当に驚いたとき、人は声が出なくなるらしい。ただ、あんぐりと口を開けた私に、マリーチさんが苦笑する。
「俺も、初めて王都へ来たときは驚きました。人も多いですから、今日は俺から離れないようにしてください」
自然な動作で腕を差し出され、私も素直にその腕をとる。普段なら断りを入れるところだが、さすがにこの人の多さでは、簡単にはぐれてしまいそうだ。高揚感もあるが、緊張と不安も入り混じっていて、マリーチさんの腕を掴む力も強くなってしまう。
「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ」
どちらかといえば強がりな部分ばかりを見せてきたせいか、マリーチさんにとってはしおらしい私が面白いのだろう。フィグ様ほどではないが、この人も大概意地悪だ。
「どこへ行くんですか」
「まずは、ガストリエへ」
「ガストリエ?」
聞いたことのない単語だ、と首を傾げれば、マリーチさんは「菓子屋のことです」と簡単に説明をしてくれる。村にはなかったものだし、先日、フィグ様と一緒に行った町でも見かけなかった。
「嗜好品ですから、小さな村や町にはまだ少ないのでしょう。パンのようなものと考えていただければよいかと」
へぇ、とよくわからないなりに相槌を打てば、
「きっとヴィティさんも気に入られると思いますよ」
マリーチさんに微笑まれ、私の胸に少しの好奇心が芽生える。
初めて見るもの、初めて聞く言葉、初めて嗅ぐ香り……。村にいただけでは知ることの出来なかったそれらが、当たり前のように通り過ぎていくことに気付けば、後は自然とそれらに導かれるだけだ。
気づいた時には、すっかり私はあちらこちらの物に目を奪われ、あれはなんだ、これはなんだ、とマリーチさんに尋ねていた。
「ここが、ガストリエ!」
食欲をそそるバターの香りと、小麦の匂い。それに、甘い香りがあたりいっぱいに立ち込めている。他にも香辛料のような香りがほんのりと漂ってきて、私のお腹がくぅ、と音を立てた。
「せっかくですから、一緒に中へ入りますか?」
「は、はい……」
聞かれてた。いかにも笑いをかみ殺しているマリーチさんに、私の顔は当然真っ赤に染まっていく。穴があったら入りたい。私をフォローする気があるのかないのか、ニヤケ顔のまま、マリーチさんが再び手を差し出す。
「行きましょう。中に入ったら、もっとお腹がすいてしまうかもしれませんけど」
やっぱり、この人意地悪だ。恥じらう乙女を馬鹿にして。
私がきっと睨みつければ、マリーチさんは、再び笑みをかみ殺すように視線をそらした。
「マリーチさんも、大概人が悪いですよ」
「はは、すみません。ヴィティさんは、可愛らしいので、からかいたくなってしまうんですよ。さ、機嫌を直してください。ガストリエの中はもっと素敵ですよ」
あからさまに不機嫌オーラをかもしだせば、どうどう、とマリーチさんにたしなめられ、私はそのままガストリエの中へと押し込まれた。
瞬間、私の不機嫌が吹き飛ばされる。
外にいた時よりも、はるかに濃厚な甘い香りが体全体を包み、どうしたって多幸感が心を支配した。
「……これが、お菓子」
「フィグ様のお誕生日をお祝いする、特別なデザートを用意しなければなりませんから」
マリーチさんはさすがに慣れているのか、店員の方へと歩いていくと何やら羊皮紙を広げて相談を始めた。横にそっと並べば、大きさはどうの、とか、クリームがどうの、とか、そんな話をしている。
「そうだ。一つ、小さなタルトをいただいても?」
最後にマリーチさんが付け加えると、店員は奥から手乗りサイズのパンを持ってきて、なぜか私へと差し出す。一つ、とマリーチさんが言ったのに、二つ渡されたのは、きっとマリーチさんの笑顔のせいだろう。
「ありがとうございます。それでは」
マリーチさんは支払いを済ませると、私を外へと促した。
「近くの店まで、まだ少し歩きますし、先にそちらをいただきましょう」
私は言われるがまま、握らされたタルトを一つマリーチさんに差し出す。
「このまま、食べられるんですか?」
「えぇ。周りの器もパンで出来ているんですよ。そのままかじります」
マリーチさんは、ひょいとそれを一口で平らげてしまう。はしたないかもしれないが、今は二人きりだ。文句を言う人もいないのなら、と私も恐る恐るそのままタルトを口へほうり込んだ。
「んんっ!」
堅パンの器とは対照的に、中はもったりとした卵とミルクのクリーム。濃厚な味だが、決してくどくはなく、むしろ滑らかな舌触りと優しい甘みが次の一口を促してしまう。
「ほいひぃへす!」
もごもごとタルトを頬張ると、マリーチさんに再び笑われたが、そんなことなど気にもならない。初めて食べる味。ここにも知らない世界が広がっていたのだ。
「感動しました! こんなに素敵な食べ物があるなんて!」
あっという間にタルトを平らげた私がマリーチさんに迫ると、マリーチさんは柔らかに緑の瞳を細めてうなずく。
「いつも頑張ってくださっているヴィティさんには、これくらいのご褒美もなければいけませんからね」
あくまでも、竜騎士としての仕事だ、ということなのだろうか。
それにしても、素晴らしい待遇だ。竜の世話係なんて、最悪の仕事だと思ったりもしたけど、心を改めなければならない。
まさにそれこそ、竜騎士様の手のひらで踊らされているというものだが、この時の私はそんなことにも気づかず、ただただ、世話係としてもっと頑張らねば、と自らに誓ってしまったのだった。
フィグ様の誕生日パーティに使う飾りつけや、花、フィグ様に着ていただくための衣服などを選んでいるうちに昼を過ぎた。
途中でタルトを食べたものの、やはりお腹はすくというもので、私は今度こそ、お腹が鳴る前に自己申告を試みる。
「そろそろお昼にしませんか?」
とはいっても、村でも、こっちに来てからも、私は外で食事をしたことなどなく、そんな場所があるのかは知らないが。
「あぁ、それもそうですね。まだもう少し買う物がありますから、休憩も兼ねてお昼にしましょう」
マリーチさんの反応を見るに、どうやら食事もできるらしい。さすがは王都。素晴らしきかな、王都である。王様、万歳。
「食べられないものなどありませんか?」
「いえ! 私はなんでも食べられます!」
食べ物の好き嫌いなどしている余裕は貧乏人にはない。むしろ、食べられるものであれば、味だって気にしない。
私が元気に返事をしたことが、再びマリーチさんの笑いのツボを刺激したのか、彼はフッと息を吐き出した。
「では、近くのトレトゥールを探しましょう」
「トレトゥール……。食事をする場所ですか?」
「えぇ。日替わりで色々と食べられる店のことです。何か食べたいものがあれば、もちろん、その店に行きますが」
尋ねられても、王都で何が食べられるのかは知らない。私がフルフルと首を振れば、マリーチさんは、決まりだというように足をすすめた。
王都での、マリーチさんとの買い物を楽しむヴィティ。
見たことのないもの、聞いたことのない場所、初めて食べるもの……その全てが新鮮なようです。
ですが、楽しい時間は長く続くわけでもないようで……?
次回「ヴィティ、さらわれる⁉」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




