第二十話 フィグ、違和感を覚える
今回はフィグ様視点です。
おや、お留守番中のフィグ様の様子が……?
ヴィティを見送った後、屋敷へと現れた代わりの世話係とやらは、普通の人間に比べてもとげとげしい雰囲気をまとった女だった。
もちろん、ワタシにとっては、誰が世話係だろうと関係ない。むしろ、ヴィティのようにこざかしく、一を言えば十も返ってくるようなうるさい女がいなくなって清々する……うん、清々している、はずだ。べ、別に寂しくなんかない。
「ヴィティ様の代わりを仰せつかりました。ノアと申します」
切りそろえられた黒髪は、光に透けるとやや赤褐色がかって見える。どちらかといえば、この女も、顔立ちははっきりとしていて整っている方だが、幾分目元がきつく好みではない。
『貴様、何を企んでいる』
女は意味が分からない、と隠すことなく表情に出したうえで、コテンと首をかしげた。ヴィティがやれば、愛らしくも見える仕草だったかもしれない。いや、そうではなく……。
「わたくしは仰せつかったお仕事を遂行するのみですが」
これだ。
一言一句、心の声とたがわぬ音を発したかと思えば、口が閉ざされると同時に、心の声も止む。これほどまでに静かな人間は初めてだった。
ヴィティのような小うるさいのも面倒くさいが、心の声が一切聞こえないというのも面倒くさい。何を考えているのか分からない、というのは人にとっては当たり前でも、ワタシにとっては弊害でしかない。
(何者だ?)
最近やたらとヴィティにかまう竜騎士マリーチが育った、ベル家とかいう軍人一家の優秀なハウスキーパーらしいが。軍人に仕えている世話係は、軍人のように教育されているのか?
「フィグ様」
不意に名前を呼ばれ、ワタシは思わず顔をしかめた。
ヴィティが名付けてくれた、特別なもの。それを、易々と先ほど出会ったばかりの女に呼ばれるなど……。なぜか苛立ちのようなものを覚え、ワタシは冷気を発する。
『気安く名を呼ぶな』
いつもなら、これで大抵の世話係は顔を伏せるか、眉をしかめる。弱い者なら、ガクガクと膝を震わせる。あのヴィティでさえ、最初は目をそむけていた。
だが、この女は顔色一つ変えず、失礼しました、と頭を下げるのみ。その後に普通なら続くはずの不平不満や、内省も聞こえず、ワタシの方が余計、眉間にしわを寄せてしまう。
「それでは、竜神様。わたくしは、世話係としての仕事がありますので。ヴィティ様より、竜神様は一日ゆっくりお休みになられると伺っております。いつも通りお過ごしなさってください」
女は再び切りそろえた髪をしなやかに揺らして、頭を下げた。ブラックチェリーのように、つるんと真ん丸な頭の形が、いつものふわふわとした柔らかなヴィティのシェリーカラーの髪を懐かしく思わせる。
(こいつは……好かん)
好みでない女を側に置くほどイライラするものもない。こういう時に、竜の血は選別に便利な代物なのに、運が良いのか悪いのか。この女は代理だからという理由で、竜の血を飲まずに屋敷へと足を踏み入れている。
しかも……。
『おい、ワイングラスが空に……』
「お待たせしました」
『ベッドを……』
「メイキングでしたら、先ほどのお食事の間にすませております」
『湯浴みを』
「すでに沸いておりますので、いつでもどうぞ」
この調子である。分身しているのかと疑いたくなるほど、働きだけは完璧なのだ。ヴィティのようにちょっと抜けているところがあったり、そそっかしくも一生懸命になっているようなところがあったりするから、人間というのは可哀想な生き物だと憐憫の目を向けてやれるのに。それを、この女。可愛くないどころの騒ぎではない。鉄仮面め。
「どうかなさいましたか?」
『なんでもない! 下がれ!』
「では、失礼いたします」
表情筋一つ、ピクリとも動かさない女は、さっそうと部屋を後にする。ヴィティはからかいがいもあって、ついつい仕事の邪魔をしたくなるものだが、この女にはそういった気持ちも一切沸いてこない。
楽しくない。つまらん。なぜワタシがこのような目にあって、ヴィティは竜騎士とよろしくやっているのだ。買い物くらい、竜騎士だけで済ませるはずだ。今頃、何かうまいものでも食っているに違いない。
だいたい、あの男。なぜ、主人であるワタシの許可もなく、ヴィティを連れ出せるのか。いくら国に雇われているとはいえ、ワタシが神だぞ⁉
フーッと荒く息を吐き出して、ワタシはそこで、なぜ先ほどからヴィティのことばかりを考えているのかと自らに違和感を抱く。
少し前までなら、こんなに一人の世話係に執着することなどなかった。むしろ、一人になれて清々したのだ。今日だって、代理の女は優秀で、心の声すら聞こえず静かだ。快適じゃないか。一を言わずとも百を理解する世話係。口出しもせず、こちらにたてつくような感じでもない。あのやけにとげとげしいような雰囲気とキツイ印象の見た目さえなければ、今までの中で最も優秀な世話係かもしれない。
なのに――。
『ヴィティは、何をしているんだ』
「ヴィティ様は、マリーチ様と共に王都で買い出し中ですが」
『っ⁉ と、突然現れるな!』
「失礼いたしました」
『それに! 買い物へ行っていることくらい知っている!』
「余計なことを口にしてしまい、大変申し訳ありません」
当然のように頭を下げて、またもサッと踵を返す女。どこまでも鉄仮面が崩れない。
それにしても、真のハウスキーパーは足音も立てないと聞いたことがあるが、まさか本当だったとは。足音どころか気配まで消していたので、やはり軍人一家のハウスキーパーは只者ではなさそうだ。
神様であるこのワタシを出し抜くなどと。生意気な小娘に、どうしても一泡吹かせたい。
(そうだ……)
『おい』
「なんでしょう」
もうすでに廊下の先を曲がろうとしていた女を呼び止めると、一瞬、あからさまに嫌悪感全開な視線を投げかけられた気がした。気のせいだろう。今はすでに真顔である。
『貴様、何か面白い寝物語はないのか』
「寝物語、ですか?」
『あぁ。今から昼寝をする。主の機嫌を取るのも貴様の役目だろう?』
ヴィティにそんなことを要求したことはない。要求せずとも、ヴィティは見ていて飽きないから必要がないだけだ。
だが、今この場で退屈をしのげるものは、目の前にいる女のみ。面白い、などというものから最も遠そうであるし、これでなら、女の困った顔も拝めるのではなかろうか。
期待に胸を弾ませ、さぁ、どうくるか、と女を見据える。鉄仮面は少しばかり何かを考えた後、小さく一人でうなずいた。
「竜神様のお望みとあらば。百でも、二百でもお聞かせいたしましょう」
『な⁉』
「竜神様ともなると、千や二千の物語は用意してしかるべきでしたでしょうか。失礼いたしました」
嫌味か、とツッコんでしまいそうになるのをぐっとこらえ、ワタシは鼻をならす。
『ふ、ふん! 人間ごときが、神たるワタシを満足させるとは到底思えんがな』
仕方がないから聞いてやろう、と虚勢を張ったのが良くなかった。
鉄仮面の女が語り始めた寝物語は、ワタシの望んでいたものでもなんでもなく、血で血を洗う人間の醜悪やら、血なまぐさい戦火の話やら、貴族同士の泥の塗りあいやらで最悪の一言に尽きた。いや……淡々と悪びれる様子もなく、
「むしろこの程度では神様にはお優しい話ばかりでしょうけれど」
と煽るような言葉を付け足して話を締めくくられては、こちらも引くにも引けず、最悪どころの騒ぎではなかった。しかも、これで昼寝をしたと思われたらもっと質が悪いだけにたぬき寝入りすらできない。
早く、ヴィティが帰ってきますように――
思わずワタシは、誰に対するでもなくそんなことを祈ってしまうのだった。
突然現れた、ヴィティの代理、ノアに苛立ちを覚えるフィグ様。
当然、王都へと買い物へ行ったヴィティとマリーチさんはそんなことは知りません。特にヴィティは、初めての王都に、フィグ様そっちのけで楽しんでいるようです。
次回は、そんなヴィティの様子をお届けします。
次回「ヴィティ、王都へ行く」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




