第十八話 ヴィティ、相談される
青々とした芝生が、撒いたばかりの水をキラキラと反射させていた。竜騎士様たちにも手伝ってもらいながら、なんとか庭の手入れも進んできた、と私は額の汗をぬぐう。万年雪に覆われるホルンの山にほど近い、フィグ様の屋敷にもようやく春らしい陽気が降り注ぐようになり、気持ちがいい。
「ヴィティさーん!」
ぐっと背伸びをしていた私の背後から、もうすっかり耳になじんだ声が聞こえ、私は振り返る。声の主と共に、玄関先へ止められた荷馬車が目について、思わず安堵の笑みが漏れた。先日の吹雪のこともあって、こうして食料やら日用品やらが届けられることのありがたみが良くわかる。竜騎士様こそ信じるべき存在だ。
こちらへと走ってきたマリーチさんに、両手を組んで祈りを捧げているところを不審がられたが、とりあえず私は全力の愛想笑いでごまかした。うまくごまかせたかどうかは、この際気にしないでおく。
「お荷物をお届けに参りました」
「いつも本当にありがとうございます。ちょうど、休憩にしようと思ってたところだったんです。マリーチさんも良かったら、上がっていかれませんか?」
「ですが……」
敵対視するような、厳しいフィグ様の様子を思い出したのだろう。マリーチさんは、少し戸惑ったように顔をしかめる。端正なお顔立ちが、これまた端正にゆがむ。相変わらず、どんな表情でも絵になる人だ。
「フィグ様も、最近は機嫌が良いんです。それに、今はお昼寝中だと思いますから、大丈夫だと思いますよ」
私はフィグ様が休んでいるであろう部屋をちらりと見やって、そのカーテンがしっかりと閉められていることを確認する。
「主様の許可なく立ち入ることは……」
「食糧庫に入っているんですから、キッチンだろうと同じです」
私があっけらかんと事実を突きつけると、マリーチさんは戸惑いを困惑に変えたのち、大きく息を吐いた。
「……やはり、ヴィティさんにはかないませんね」
頭が回るというか、口が立つというか、と小言をこぼされたような気がしたが、聞かなかったことにした。マリーチさんだって、大概働きづめなのだ。少々休憩をしたって、文句は言われまい。ある一人の神様をのぞいて、だけど。
それじゃぁ、とまずは食糧庫へいつも通り食糧を補充する作業を二人で行う。いつもならそこで解散となるところを、今日はそのままキッチンの方へと案内した。
フィグ様が起きてきたときのために、とワインボトルを霊峰の雪解け水に放り込み、私とマリーチさんのグラスには果実水を注ぐ。
「ありがとうございます」
マリーチさんは、神妙な顔でそれを受け取り、そっと一口。私も少し遅れて口をつけると、マリーチさんは少し安堵したようにグラスから口を離した。
「世話係の仕事には、慣れましたか」
「えぇ、まぁ。悔しいですけど」
「悔しい?」
「竜神様なんて、最悪な生物だと思ってましたけど……実際、こうしてずっと一緒にいると、慣れてきちゃって」
「はは、なるほど」
マリーチさんが、まるで共感したというように屈託なく笑う。彼もまた、竜騎士として、あの神様に振り回されている人間の一人だろう。
「正直、俺も驚いておりまして」
「すぐに辞めると思われてたんですね」
「いえ、まぁ……それもありますが……。どちらかというと、あの竜神様が、ヴィティさんのことは受け入れていらっしゃるように見えますから」
似たようなことを先日も言われた気がする。理解不能だと顔をしかめると、マリーチさんがふっと目を細めた。自分と同じ色のマスカットみたいな瞳が、柔らかに弧を描く様は、王城に飾られている絵画にも劣らない。もちろん、王城の絵画など、私は見たこともないけれど。
私がちびちびと果実水を飲みながら、マリーチさんを覗き込むと、彼は何かを思い出したように、果実水を脇へと避けて、背筋を伸ばす。
「そうだ。ヴィティさん、一つご相談が」
「相談?」
今回は、彼特有の言い忘れではなかったようだ。どこかで、マリーチさんのおとぼけを期待していただけに、私は思っていた以上にすっとんきょうな声を上げてしまった。
「えぇ、まだ先のことなので、もう少し後にお話をしても良かったんですが」
意外と二人でゆっくりと話をする時間がとれないのは、お互いによくわかっている。
「実は……」
心の声が読めるフィグ様相手に、声をひそめるというマリーチさんの行動にどれほどの効果があるのかは分からない。やっぱりこの人、若干ポンコツなのでは……。
しばらくして、ごにょごにょと耳元でささやかれた言葉に、私は思わず大声を上げた。
「誕生日⁉」
その瞬間、マリーチさんの大きな手に口元をふさがれて、私はふがふがと息を漏らした。
フィグ様と違って、人間の体温が伝う。自分よりも少しだけ体温が高いのか、あたたかな大きな手は、記憶にもないはずの父の手を思い出させた。
「こ、声が大きいですよ!」
しーっと人差し指を自身の口に当て、マリーチさんはようやく私の口からそっと手を離した。
「主様が起きてしまうかもしれません」
「そ、それはそうですね。すみません……でも、フィグ様にお誕生日があるなんて」
「神様といえど、生まれている以上はあるのでしょう」
マリーチさんの至極まともな意見に、私も大概ポンコツと思われているのだろうな、と気恥ずかしくなる。
「とにかく、そのお祝いをするのですが、今年はどうやら二千五百歳の節目を迎えるようなんです」
「二千五……もがっ⁉」
「ヴィティさん」
静かにしてくださいと言いましたよね、とマリーチさんに笑顔で脅され、口を再びふさがれた私はコクコクと頷いた。
確かに、フィグ様は以前、二千五百年前に生まれたとおっしゃられていたはずだ。よくよく考えれば驚くことではなかった。でも、そんなことすっかり忘れてたんだもん……。あの見た目に慣れちゃったら、驚きもするでしょうよ。
「盛大にお祝いをしようと思っていたので、ぜひ、ヴィティさんにそのご相談をさせていただこうと思っていたんです」
もうこれ以上私にしゃべらせないという強い意志で、私の口をふさいだまま、マリーチさんが続ける。私に拒否権はない。再びコクコクと頷けば、マリーチさんが
「絶対に、他言無用でお願いしますよ」
と無理難題を押し付ける。そんな無茶な、と言いかけたところで、
『何をしている』
いつもの冷徹な声色が、ゾワリと私の背筋を駆けあがった。
マリーチさんが真っ青な顔で、私の口元から慌てて手を離す。私はプハッと息を吐き出して、それから思い切り吸い込んだ。
なぜか不機嫌なフィグ様に怒鳴られるのが先か、酸素枯渇で死ぬのが先か、という絶望的な選択肢の一つを回避する。
「内緒話です」
『このワタシにか?』
「私もそう思うのですが、マリーチさんは本気でしたよ」
『阿呆なのか?』
私がそっとマリーチさんの方へ視線を投げかけると、マリーチさんはゆっくりと視線を外して、席を立つ。
「そ、それでは俺はそろそろ……ヴィティさん、詳細は改めて、お手紙にてご相談させていただきますので!」
それじゃぁ、とフィグ様の横を通り過ぎるマリーチさんに、フィグ様は、はぁ、とあからさまに大きなため息をつく。だが、珍しくそれ以上突っかかることはなく、代わりにマリーチさんが先ほどまで座っていた椅子に腰かけた。
『あいつに近づくな』
マリーチさんではなく、私に向かっての警告。その声は、不機嫌というよりもどこか、寂しそうにカサついていた。
ヴィティは、マリーチさんからフィグ様のお誕生日祝いの相談を受けましたが……果たして、お誕生日当日まで、心の声を聞くことのできるフィグ様に、内緒にしておくことは出来るのでしょうか。
次回は、早速、お誕生日祝いの準備として、マリーチさんからの「お誘い」が?
次回「ヴィティ、デートする?」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




