第十五話 ヴィティ、空を飛ぶ
外套を買うと譲らないフィグ様に折れ、私はその言葉を額面通り受け取ることにした。外套なんて、何着あっても困らない。もちろん、必要があるかと言われれば答えは否だ。マリーチ様にもらったもので事足りている。とはいえ、フィグ様がなぜか外套に執着するものだから、遠慮すら面倒くさい。こんなことも、もう二度とないかもしれないし。
「それにしても」
『まだ何かあるのか』
「いえ、フィグ様はもしかして、そのお姿で町に行くのですか」
『この姿以外に、どう町へ行くつもりだ』
「へ?」
『飛んでいくに決まっている』
「……え?」
飛ぶ、というのは、鳥のように、ということだろうか。確かに、フィグ様の背中にはそれはもう立派な翼がついていて、おそらく飛ぶことも出来るのだろう。
だが、それでは私は? 馬車を使ってもいいのだろうか。いくら歩ける距離とはいえ、この雪を踏みしめて、慣れない土地を歩くのだから、恐ろしいほど時間がかかる。
さすがにフィグ様をお待たせするわけにもいかないし……まさか、お留守番?
『何を言っている』
「口には出してませんよ」
『乗れ』
「ノレ……?」
『背中に乗せてやると言っているんだ』
「セナカニ……?」
聞き間違えか、それとも私の知らないグルゲン語か。頭をフル回転させようと、脳にエンジンをかけたところで、大きなため息が聞こえた。いや、ため息というか、十フィルの竜から吐き出されるそれは、もはや豪風。これぞゴッドブレス。
フィグ様はくだらない私の思考回路に付き合う気はないらしく、体勢を低くして、チラリと目で私に促す。背中に乗る。その言葉の意味が、ようやく理解できた。
「……冗談、じゃ、ないんですよね」
私が恐る恐るフィグ様へ目を向けると、フィグ様は当たり前だと言わんばかりに私を一瞥した。フィグ様は暴君で素直じゃないが、こういう嘘はつかないのだ。心の内を読む竜にとって、嘘というものほど、愚かなものもないと知っているからだろうと思う。
けれど、まさか、その背に乗ってもいいと言われるとは思ってもみなかった。だって、あのフィグ様だ。むしろ、動くのが面倒くさいから、貴様がワタシをおぶって歩けと言われた方が納得できる。
『早くしろ』
ぶっきらぼうに告げられた最後の一押し。どうやら、本気らしい。
「……重い、ですよ」
『だからなんだ』
「竜でも、ぺしゃんこになってしまうかもしれませんよ」
『それはぜひ体験してみたいものだな』
「ご主人様の背中に乗る世話係なんて、聞いたことがありません」
これでも一応、フィグ様は主だ。だからこそ、相手が竜で、例え自分の何倍も大きかろうと……背中に乗るなんて許されない。百歩譲って、フィグ様がブタ野郎で、背中に乗られたい趣味とやらをお持ちであるのなら話は別だが。
『ワタシは竜だ、ブタではない』
「……存じております。だから、遠慮しているんです」
『はっ、この期に及んで遠慮など。時間の無駄だ。早くしろ』
人よりも数十倍は軽く生きているフィグ様に、時間が無駄になるという概念があることに驚きを覚えれば、フィグ様からギロリと睨まれた。頭の中で少しばかり思考する時間さえ、許されはしないらしい。勝手に覗いているくせに、理不尽なものである。
「本当に、良いのですね」
『しつこい』
フィグ様が興味なさげにフイと顔をそむける。これ以上は取り合わないとでも言いたげないつもの態度である。私も、これ以上は機嫌を損ねるだけで良いことはない、といよいよ覚悟を決めた。
「では……失礼します」
ゴクンと飲み込めるだけの唾を飲み込んで、私はフィグ様に誘導されつつ体をのぼる。慣れればもう少し早く、安定して乗ることが出来そうだが、初めてなので、かなり滑稽な姿だったに違いない。フィグ様に指定された場所にお尻をおろすと
『確かに重い』
と告げられて、私は出来る限りの力で鱗まみれの堅い皮膚をペチペチとたたく。頭の中に、フィグ様の笑い声が響いて、この神様、やっぱり呪ってやる、と私は誓った。
『振り落とされるなよ』
ひとしきり私をからかって満足したのか、フィグ様は真剣な声色で告げ――私が、そうは言われても、と口火を切る前に、ぶわりと風が巻き起こった。
「まってまって! まって‼」
私の言葉など、耳にも脳にも響いているはずである。だが、フィグ様は止まらない。風に乗るようにして、高度を上げていく。
がっしりとつかめるところを体全身で掴んでいたが、不思議なことに私の体は多少のことでは揺れることもなかった。どうやらフィグ様が、知らぬ間に、あの、体を縫い留める特殊な力を使ってくれていたらしい。
とはいえ、内臓がせりあがってくるような感覚には吐きそうになったし、どんどんと空が近づいていく様子にはめまいがした。眼下にちらりと目をやって、落ちたら終わりだと冷や汗が流れる。
『ワタシが落とすわけがなかろう』
最も信頼の出来ない言葉ランキングの堂々一位を飾れそうだ。それに、死亡フラグランキングの上位にも食い込んできそう。フィグ様なら、平気で一回転して見せて、私を怖がらせることだってする。ニタニタと最悪な笑みを浮かべるところまでがセットだ。
『して欲しいのか』
「そんなわけありません!」
『気が向いたらな』
「向かないでください! 一生、そんなことに気を向ける必要はありません‼」
私が必死に叫ぶと、フィグ様の悪魔的な笑い声が再び頭いっぱいに響いた。
最初こそ、恐ろしくて眼下に広がる景色を見ることすらできなかった私も、フィグ様が高度を保つようになってからは、余裕が生まれた。
フィグ様は、すいすいとまるで水中を泳ぐように空を飛ぶ。そのおかげか、揺れもなく、馬車よりも快適だった。
空を渡る風も穏やかに感じられ、夢のような心地だ。
真下に広がる森は、屋敷の外からずっと続いているもので、町との間に、こんなに森が広がっていたのかと思うと、あの屋敷がただの屋敷ではないと改めて感じる。木々の緑にフィグ様の影が落ち、より一層その緑を深める。
やがて木々がまばらになっていくと、それに合わせて今度はポツポツと民家が見えた。
さほど吹雪の影響を受けなかったのか、ほとんど雪もかぶっていないグレーがかった屋根や、茶色く煤けた屋根。壁は木材と石膏を組み合わせて作られているのか、白や茶のコントラストが目を引く。
「……すごい」
改めて、初飛行、もとい、空の旅の感動を噛みしめる。
世話係になったことを後悔しなかったわけではない。むしろ、仕事に慣れてきた今でさえ、ふとした瞬間に、後悔してしまうこともある。だが、世話係にならなければ、この景色を見ることは出来なかった。いや、空を飛ぶなんてことは、想像もできなかっただろう。
「フィグ様のおかげね……」
私がそっとフィグ様のつややかな鱗を撫でると、フィグ様は鼻を鳴らした。いつものふん、という可愛げのないものではなく、キュイ、という可愛らしい音だ。
ツルツルとした鱗の継ぎ目が手にひっかかっても、悪くはない、とフィグ様の口調を真似してしまう。
――私も相当、浮かれている。
だんだんと眼下の家が増えてきて、やがて一つの町が見えた。ツェルトだ。
「フィグ様! 町ですよ!」
『見えている』
「あ、見て! 皆さんがこっちを見てらっしゃいます! おーい!」
誰しも頭上に突然大きな影が出来たともなれば、空を見上げるに決まっている。まだ遠いので、私には表情こそはっきりとは見えないが、フィグ様の背中から大きく手を振った。
完全におのぼりさんと化した私に、フィグ様は再び鼻を鳴らす。可愛らしい音は、私のトキメキに重なって、私の気分をさらに上昇させたのだった。
フィグ様に振り回されつつも、ヴィティは無事に空旅を楽しむことが出来ました。
ツェルトの町へとついたヴィティはいよいよ「はじめてのおつかい」にチャレンジです。
次回「ヴィティ、町へ出る」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




